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南米エクアドル本土から西に約1000キロの洋上に浮かぶガラパゴス諸島。
この島々での経験から『種の起源』の着想を得たとされるダーウィンの名を冠した、生態学研究の殿堂であるチャールズ・ダーウィン研究所がここにはあります。
この研究所がある日、暴徒に占拠されるという事件が起きました。
暴徒たちはガラパゴス島における生物保護のシンボルともいうべき固有種のゾウガメを人質ならぬ亀質にとり、その殺戮を仄めかすことで政府に対し自分たちの主張と要求を通そうとしたのでした。
この事件は、とある生物を巡るエクアドル政府の決定とそれに反対する人々の対立から起きました。
そのきっかけとなった生物の名を冠して、この一連の混乱と事件はこう呼ばれることになります。
”ナマコ戦争”と。
ガラパゴス諸島を構成する島の一つ、バルトロメ島の風景
CONTENTS
国内外問わず、ナマコの密漁事件が多発していることをご存知でしょうか。
「ナマコ 密漁」といった検索ワードで各種ニュースサイトで探すと、結構な数の密漁事件を報じたニュースがヒットすると思います。
密漁が増えれば、対策も講じられます。
2021年に「特定水産動植物等の国内流通の適正化等に関する法律」という法律ができました。
ざっくりいうと、「特に違法に採取されやすい水産物を”特定水産動植物”に指定して、それらを許可なく獲ったり流通させたりしたら厳しく罰するからね」という法律です。
その特定水産動植物に登録されているのが、シラスウナギ・アワビ・ナマコです。
特定水産動植物の選ばれし三種の内の一種に選ばれるくらい、ナマコは密猟されているのです!
では、なぜそんなにナマコは密猟されているのでしょうか。見た目が可愛いから、ペット要員でしょうか?
答えは、食材としての需要が近年どんどん増加しているからです。
ナマコの肉は酢の物に、はらわたは「このわた」の名で珍味として日本でもよく食べられているのですが、特に中国において高級中華料理の食材としてナマコは非常に人気の食材です。
しかも、近年続く中国の経済成長によって富裕層が増加し、高級食材としてのナマコの需要が爆増。
現に、ナマコは世界中で漁獲されていますが、獲れたナマコはほぼ全て中国向けの輸出品となっています。
また、需要の爆増は単なる高級食材としてだけでなく、中国での健康食品ブームもその人気に一役買っているようです。
中国語でナマコは「海参」と書くのですが、これは「海の朝鮮人参」という意味なのだとか。
実際に朝鮮人参に含まれる主要薬効成分のサポニンという成分が、ナマコにも含まれているんだそうです。
この成分が特に魚類に対して毒性をもつため、プニプニしててノロノロしてて大した武器らしい武器も持っていないナマコでも海でのんびり生きていられるのでしょう。
ちなみに、ナマコを触ってみたことがあるでしょうか?
掬い上げても抵抗らしい抵抗をせず、ちょっと握ると縮みながらちょっと固くなって。
もっと刺激を与えると肛門や口からネバネバした糸状の内臓を飛び出してくることがあります。手に絡まると意外と千切れたりせず、中々とれません。
その飛び出てくる糸状の物質、ナマコの種類によって異なるのですが、キュビエ器官というものであることが多いです。防御として飛び出させる専用の内臓です。
このキュビエ器官に前述のサポニンが多く含まれている場合が多いので、魚にとってはただ絡みつくだけでなく、毒も含まれた恐ろしい武器。
とはいえ、人間にとってはキュビエ器官が絡みついても少し不快な程度。網ですくえばナマコは簡単に捕獲できてしまいます。
ここで言いたかったのは、中国でナマコの需要が爆増しており価格が高騰しているということ。そして、キュビエ器官のような武器はあれど、人からしたら簡単に獲れてしまう、ということです。
ナマコ。手に乗せてもぬるぬるするだけ。
では、冒頭にお話しした”ナマコ戦争”。戦争を冠するほどの物騒な出来事がなぜ起きたのか?
理由をザックリいうと、中国向けに儲けるナマコ漁をしたい漁師と、乱獲を規制したいエクアドル政府が衝突したことによって起こった事件というわけです。
先述の通り、最終的に漁師側はチャールズ・ダーウィン研究所を乗っ取り、研究所の生き物たちを盾に自分たちの要求を通そうとするという暴挙に出たわけですが、とはいえ「戦争」なんてセンシティブな言葉を使うほどの出来事だったのか?というと、疑問符が残ります。
では、もう少し詳しく事件の経緯を見てみましょう。
始まりは1980年代。
エクアドルの本土側で、とあるナマコの一種(Isostichopus fuscus、以下フスクスナマコ)が、中国への輸出に向いている種ということがわかり、フスクスナマコ漁が活発化します。
背景として、当時のエクアドルの平均の年間所得が1600ドル程度だった一方で、フスクスナマコ漁は三人一組の漁で1日に数百ドル稼ぐことができました。しかも、ナマコは見つかりさえすれば簡単に捕獲できます。
漁師たちがこぞってフスクスナマコ漁に参入したのはある意味自然の成り行き。
結果、本土側の浅瀬ではほとんどのフスクスナマコが獲り尽くされてしまいました。
1990年代ごろになると、本土では浅瀬のナマコは取り尽くされてしまいました。
困った漁師たちが目をつけたのは、エクアドル本土から約1000キロ離れた洋上に浮かぶガラパゴス諸島。俄かに島々はフスクスナマコ漁の新天地として注目を浴び始めます。
そんな1990年代は、従来から重要であったガラパゴス諸島での観光業がより活発化している時期でもありました。
観光客の増加や資材の流入が増えた結果、ガラパゴス諸島では島の外から紛れて入ってきた外来種の侵入が問題化していました。ガラパゴス諸島といえば、環境保護のシンボルのような有名な土地。当然、ガラパゴス諸島の環境を守ろうとしていた環境保護団体がピリピリしはじめていたのでした。
そこへ、ナマコ漁師たちが新天地を求め本土から雪崩れ込んでくることになります。
ちなみに、日本ではナマコは生で食べることが多いですが、中国では乾燥ナマコが主流。乾燥ナマコは一度熱湯で煮た上で乾燥させるという工程を必要としています。
そんなわけで漁師たちは、ナマコ煮るための木材として、島々のマングローブを伐採をズンズン進めます。ガラパゴス諸島のマングローブには、非常に貴重なマングローブ・フィンチという鳥が生息しているところ。環境保護団体のピリピリがより高まっていきました。
さらに、漁師たちだってお腹が減るので、島に住んでいる貴重なゾウガメたちを狩り、自らの食糧にし始めたのでした。ここでついに環境保護団体の怒りが爆発したようです。
国内外の環境保護団体の圧力を背景に、エクアドル大統領は1992年にいきなりナマコ漁禁止の大統領令を出しました。漁師たちはびっくり。
とはいえ漁師たちだって生活がかかっています。どうにかせねばと密漁を続けながら、政治家への働きかけを強めます。先述の通り、当時のエクアドルにおいてナマコ漁は儲かる仕事。
ナマコ漁師たちはそれなりの財力を持っていたことから、政治家への働きかけも上手く進めることができる状況にあったことが推測されます。
そんな漁師たちの働きかけの甲斐があって、1994年末に「資源量把握の調査目的」の名目のもと、3ヶ月で55万匹だけ取っていいよと許可が政府から出ることになりました。
55万匹だけならとっていいの!?ということで、ナマコ漁師たちは張り切ります。
結果、1・2ヶ月かそこらで1000万匹以上のナマコが漁獲されてしまいました。
驚いた政府は3ヶ月の期限を急遽前倒しし、途中で許可した期間を打ち切ることを決定しました。
その決定に漁師たちは怒り狂うことになります。その結果、内外の注目を集めやすいチャールズダーウィン研究所を突撃し占拠。ゾウガメを人質にして殺戮を仄めかしながら、要求を政府に突きつけるのでした。
ちなみに、ガラパゴス諸島の名前の由来である「ガラパゴス」とは、スペイン語でゾウガメを意味する「ガラパゴ」からきています。
そのゾウガメを人質に取るということは、単なる希少動物を脅しに使うということ以上の意味を含んでいたのかもしれません。
この一連の流れを受け、とあるアメリカの環境保護団体が「ナマコ戦争(The sea cucumber war)」という名前をつけ、機関誌に投稿。
漁師たちの蛮行がいかに現地の環境を破壊しており、いかに悲惨な状況であるかを喧伝するため、「戦争」という言葉を使って世界中に喧伝したのでした。
乾燥ナマコ。茹でて干すとこんなに縮んじゃう。
同様の構図は世界中で起きています。一概にどっちが悪いと決めつけられないのが難しいところ。
浅瀬で簡単に採れる取引価格が高い生き物がいたら、何もしなければ乱獲されてしまうというのは、特に当時のエクアドルのような所得が低い地域においては、ある種当然の成り行きともいえます。
そして、そんな乱獲を止めようと環境保護団体が動き出すのも、もちろん当然の成り行き。
こういった対立は、関係者の善悪や価値判断が原因というよりは、構造的な問題であることがほとんど。
そんな構造を変えることができる力を持つ利害関係者の一つが国家権力だとすると、日本の政策決定においてもナマコ戦争の顛末は他人事ではない示唆を与えてくれそうな気がします。
ということで、ナマコ戦争のご紹介でした。
ちなみに、戦争の後ナマコたちはどうなっていったのか。
このナマコ戦争が直接の引き金になったのかは不明ですが、アメリカからの提案で2002年のCoP12からワシントン条約の締結国間会議や動物委員会で、ナマコの扱いについて議論されることになります。
そして、2013年にはIUCNのレッドリストにナマコ戦争の火種となったフスクスナマコが絶滅危惧種として記載され、保護されることにもなります。
それまで国際的にもあまり注目を集めていなかったナマコたちが大きな国際会議の議題になり、IUCNのレッドリストにも載ることになった。
ナマコ戦争のおかげか否か、直接的な影響を断定するのは難しいのですが、ナマコたちの保全を決定したこの一連の流れにおいて、ナマコ戦争もある程度の影響を与えたのではないかと推測されます。
私はナマコ戦争(The sea cucumber war)という言葉を見た当初、どこかの国でナマコの大群が現れた事件とかなのかな?と勘違いしていました。
ノロノロでブヨブヨなあのナマコからは想像できないような、複雑で難しい問題を孕んでいたナマコ戦争。
人の利害関係などお構いなしに、今日もナマコたちは海の底をノソノソと這い回り、キュビエ器官を飛び出させているのでしょう。
『魚たちとワシントン条約』文一総合出版