鹿が増えると、チョウも増える(ことがある)。"食害"とその影響の話

2023.07.12

近年、狩猟者人口の減少に伴い、狩猟対象だった野生の鹿が増加している。そして、増えた鹿たちによる食害が増えている…そんな話、よく聞きますよね。聞かない・・という方は今聞いたので、聞いたことにしてください。

食害は畑や果樹園の農作物が食べられるという農業への影響だけでなく、木の皮が食べられたり若い苗木がたべられたりするといった林業への影響もあります。

そして、鹿と同じ植物を食べる他の動物たちも、食べ物の競争相手として影響を受けます。それは、ジャコウアゲハという蝶の幼虫にとっても事情は同じ。鹿と違ってウマノスズクサという植物の仲間しか食べることのできないジャコウアゲハは、鹿にウマノスズクサを食べられると食べるものがなくなってしまいます。だからといってイモムシであるジャコウアゲハの幼虫が鹿を追い払うことができるはずもなく…

つまり、鹿がその地域に増えると、ジャコウアゲハの数も減る。そんな結論が得られそうですが、実際には増えることもあるのだとか。鹿に共通の食べ物を食べられてしまうことでジャコウアゲハの数が増えることがある。どういうことでしょう?

 

ジャコウアゲハの”ジャコウ”って?

ジャコウアゲハはこんな姿

ジャコウアゲハは大きな黒い翅をもつ大きなチョウで、アゲハチョウの仲間。東アジア一帯に生息しており、日本だと北海道や青森県を除く一帯、特に暖かい地域で普通に見ることができます。

ちなみにジャコウとは、漢字で書くと「麝香」。麝香というのは、ジャコウジカと呼ばれる鹿のオスの生殖器付近から取れる分泌物から作られた香料のことです。

この分泌液は独特な香りがあり、本来はこの香りが発情期のメスを惹き寄せる役割を担っていますが、これが香水や漢方、生薬などに使われているのです。この麝香を求めて捕獲頭数が増えた結果ジャコウジカの個体数が減少しており、現在はワシントン条約などで取引が制限されています。

ジャコウアゲハは、そんな麝香に似た独特の香りをオスが放つことからこの名前になりました。そしてジャコウアゲハの特徴はその香りだけでなく、体内に有毒成分を蓄えていることにもあります。その毒は体内で自ら作り出すのではなく、幼虫時代の食べ物であるウマノスズクサやオオバウマノスズクサという植物に含まれるアリストロキア酸を体内に蓄えることで毒を獲得しています。この毒は天敵である鳥類から身を守るために使われていると考えられています。

 

食べ物は柔らかい方が好きですか?

産卵のためにウマノスズクサに訪れたジャコウアゲハ

フワッフワで柔らかい食べ物と、カッチカチで固い食べ物、どっちが好きですか?

ジャコウアゲハは柔らかい食べ物の方が好きみたいです。どちらかというと、固い食べ物が嫌いというべきでしょうか。どのくらい固い食べ物が嫌いかというと、食べ物が固いというだけで蛹の状態で休眠に入ってしまうくらい嫌いみたいなんです。

ジャコウアゲハの性質として、幼虫時代に低すぎる気温や短すぎる日照時間を経験すると(つまり冬が近づくのと同じような経験をすると)、一定期間成長を含めた活動を停止する休眠状態に入ることが知られています。休眠蛹とよばれる蛹状態で休眠に入ることで、自身の生育に不適切な時期をやり過ごそうという作戦をとっているのです。

そのため、冬に近づく秋になるとジャコウアゲハたちは休眠蛹になる割合が増えるわけですが、一部のジャコウアゲハは春から初夏にかけて育ったのに休眠蛹になるものがいることが知られています。

春から初夏なのに休眠蛹になってしまうジャコウアゲハ達に共通するのは、平地ではなく山地に生息しているということ。なぜ、山地に生息するジャコウアゲハは暖かい時期にも休眠するのでしょうか。

平地と山地で食べ物がちょっと違う

オオバウマノスズクサの花

ジャコウアゲハの食べ物は、冒頭に書いた通りウマノスズクサやオオバウマノスズクサという植物です。どちらも近しい仲間なのですが、生息している環境が異なっています。

ウマノスズクサは主に平地、特に河川敷のような環境でよく育つ、つる植物。河川敷に生えている他の草に絡みつきながら横へ横へ成長していきます。一方でオオバウマノスズクサは主に山地、背の高い木々が生えている森林の中でよく育つ、つる植物。木に絡みつきながら上へ上へ成長していきます。

…だから何?と思われるかもしれませんが、この生息環境の差が決定的な影響を与えるのです。河川敷に生えているということは、河川の増水などの理由で生息環境が物理的に改変させられたり、人の介入などで伸ばした葉や茎が刈り取られたりする機会が一年中あるということを表します。

そのように植物が体の一部を切り取られたり傷つけられたりすると、補償成長と呼ばれる、受けたダメージを取り戻すように体を成長させる反応を見せることが知られています。つまり、河川敷に生えているウマノスズクサは補償成長を示す機会が一年中あるということ。それは、補償成長によって新しく生えてきた新芽が一年中提供されるということを表すのです。

一方で山地に生えるオオバウマノスズクサは、河川敷に生えるウマノスズクサほどは生息環境が改変させられたり、人の介入で葉や茎が刈り取られる機会はほとんどありません。そうすると補償成長が起きづらくなるため、春に出てきた新芽が初夏には硬くて丈夫な葉になってしまい、それが冬まで続くということが起きるのです。

食べた葉っぱが硬くても休眠してしまう

ジャコウアゲハの蛹

そしてジャコウアゲハの幼虫は、先述した気温や日照時間という条件以外にも、食べた葉が固い葉が多かった場合も休眠蛹を作る傾向が高まるということが知られています。

実際に固い葉と柔らかい葉をそれぞれ与えた場合にどのような違いを示すかを確かめた実験があります。それによると、柔らかい葉を与えられ続けた幼虫は固い葉を与えられ続けた幼虫に比べて、幼虫の期間が短くなり(すぐに成長することができ)、生存率も高くなるということがわかりました。

逆に、固い葉を与えられ続けた幼虫は、休眠蛹になる傾向が高まるということがわかりました。このことから、幼虫の成長にとって固い葉を食べるより柔らかい葉を食べる方が成長に有利だということが分かります。

休眠蛹になるというのは、生育に不利な時期をやり過ごそうとする作戦。つまり、現時点で自分が固い葉ばかり食べているということは、すぐに成虫になって卵を産んでも、次世代の幼虫たちが固い葉ばかり食べることになりそうだから、休眠蛹になって新芽が出る時期までやり過ごそう!という作戦をとっているのです。

ということで、平地で年中柔らかい葉が生えているウマノスズクサを食べることができるジャコウアゲハの幼虫は、冬が近づくまで休眠蛹にならない。そして、山地で初夏ごろには固い葉になってしまうオオバウマノスズクサを食べるジャコウアゲハの幼虫は、初夏にも関わらず固い葉を食べて休眠蛹になってしまう。

そのため、平地では春から秋にかけていつでも成虫のジャコウアゲハを見ることができるのですが、山地では成虫を見る機会が減ってしまうのです。

しかし、鹿がいると話は変わる

鹿の個体数が増えすぎると様々な生き物に影響が波及するのです

逆にいうと、山地のオオバウマノスズクサだって補償成長する機会が年中あれば、ジャコウアゲハの幼虫が休眠蛹になる機会が減り、年中成虫が発生することができるようになるということ。山地という環境でそんなことが起こりうるのか?というと、起こりうるのです。そう、鹿がいれば。

オオバウマノスズクサは先述の通り有毒成分を持っているので、鹿も好んで食べているわけではありませんが、それでも多少は葉を食べられているということが知られています。

しかも、オオバウマノスズクサは上に高く伸びるつる植物のため、十分に成長していれば全ての葉が食べられるということもないため、鹿の食害で全滅することも少ない。実際に、実験エリア内の鹿の生息密度が高ければ高いほど、オオバウマノスズクサの株から生える葉全体の内、若い葉が占める割合が高いという調査結果があります。

そして、ジャコウアゲハの成虫のメスは、若い葉に選択的に卵を産みつけるという習性があります。鹿の生息密度が高いほど、ジャコウアゲハの幼虫も若くて柔らかい葉を食べることができる。すると、休眠蛹になる必要がなく、代を重ねるためたくさんのジャコウアゲハの成虫を見ることができるようになるのです。

鹿の食害が与える影響は様々とはいえ、ジャコウアゲハのように鹿の食害によって別の生き物の個体数が増えることがあるというのは稀な例。大抵のチョウを含む植物食の生き物にとって、鹿の生息密度が増すことは幼虫時代の餌を減らすことにつながり、場合によっては絶滅の危機に瀕するということもあります。

ただ、餌となる植物の特性だったり鹿が好んで食べるか否かだったりといった条件によっては、鹿の生息密度が高まることでむしろ個体を増やすという事例も存在するということもあるんだよ、ということをご紹介したくジャコウアゲハの例を取り上げました。

まとめ

今回の話は、ジャコウアゲハの数が増えたから鹿の数が増えることは良いことだということを言いたいのではありません。ジャコウアゲハのように個体群の維持にプラスの影響がある場合があるとしても、鹿の存在によって様々な生き物たちのバランスが崩れているということに変わりはありません。

鹿が増えることで、どのようなプロセスを経て、どのような種にどのような影響を与えるのか。これらの知見がますます増えていくことで、鹿の管理や食害の影響を最小限に抑える対策に応用されることが期待されています。

 

…さらに研究が進めば、鹿と蝶の関係だけじゃなく、猪との関係も見えてくるかも。

鹿が増えると蝶も増え、猪も増える。まるで鹿が猪と蝶を「来い来い」と呼んでいるかのような濃い濃い研究結果が出てきたりするかもしれません。

無理やりオチを猪鹿蝶に寄せるなんてわざとらしいですか?そこは故意故意で申し訳ありません。許しを請い請いさせてください。

…それではまた!

参考文献

『チョウの行動生態学』,井出純也,北隆館

 

「ゆる生態学ラジオの生き物あっぱれ!」シリーズ

【著者紹介】よしのぶ

生き物が好きな人。オーディション企画「ゆる学徒ハウス」から誕生したYouTube及びPodcast番組「ゆる生態学ラジオ」に出演中。生き物の凄さ・可愛さ・面白さをゆるく楽しく紹介します。

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