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鳥取県境港市にある海とくらしの史料館(海くら)で毎年企画展を行っている「マンボウ祭」の話が館長から来た時、私は今まで対岸に位置する隠岐諸島に足を運んだことが無いことに気が付き、今年は行ってみようと思い立った。
ウシマンボウ博士、はじめての隠岐の島フィールド調査!
CONTENTS
隠岐諸島に行く前に、隠岐諸島におけるマンボウの記録を調査した結果、諸島レベルでの漁獲記録はあったものの、4つある有人島のうち、どの島で漁獲されたのかは今まで明確ではないことが判明した。そんな折、偶然にも2023年12月に隠岐諸島の中ノ島でマンボウが漁獲されていたことを、海くら館長がインターネット上で発見し、今までに中ノ島からの学術的なマンボウの漁獲記録が確認されないことから、澤井・大池(2024a)として論文を出版した。
私は隠岐諸島に行った際に、中ノ島でマンボウを漁獲した海士町漁業協同組合にも立ち寄り、過去にマンボウ類が漁獲された情報が他にもないか聞き取り調査をしようと考え、現場に近い海くら館長に海士町漁業協同組合に連絡を取り合ってもらっていた。そして、隠岐の島フィールド調査 を終えた私は、2024年5月21日、続いて中ノ島(=海士町)へと向かった。今回は中ノ島でのフィールド調査の話である。
隠岐の島の西郷港から中ノ島の菱浦港に渡るフェリーは1日に2本あるが、昼からだと滞在時間が短くなるため、私は8時30分発の「しらしま」に乗るために、6時頃、島根大学隠岐臨海実験所を出発した。前日の電動アシスト付き自転車で隠岐の島を1周した疲労が足に蓄積し、特に下り坂で右足が少し傷んだが、思ったより筋肉痛ではなかったので、なんとか隠岐の島のフェリー乗り場まで1時間半ほど掛けて歩いて行くことができた。坂道は上りと下りでは上りの方がキツいように思われるが、実際は下りの方がキツく、登山でも下りの方が事故が多いということを改めて実感した。
フェリー乗り場で中ノ島へと渡る片道乗船名簿を記入し、売り場で2等室の切符を買った。フェリー乗り場の2階から乗船時間になると、フェリーに乗り込んだ。この日は連日の早起きで疲れていたので、甲板へは上がらず、大部屋で寝転がって過ごした。
1時間ほどでフェリーは予定通り9時40分頃に中ノ島の菱浦港に到着!中ノ島では宿泊せず、この日のうちに本州へと戻る予定だったので、滞在時間は限られていたが、2つの大きなミッションがあった。
1つは海士町漁業協同組合に訪問し、過去に漁獲されたマンボウについて聞き取り調査をすること。もう一つは海中展望船あまんぼうに乗ること。最初のミッションは10時に海士町漁業協同組合に訪問することだったので、フェリー乗り場のお土産屋をザっと確認後、フェリー乗り場近くにある海士町漁業協同組合に向かった……。
が、しかし、ここで問題が発生! 漁協の人に海くら館長から聞いていた、話を聞かせてくれる方の名前をあげると、その人は現在地からほぼ反対側に位置する現場近くにある崎地区にいるという。こ、これは漁師さんとの擦れ違いあるあるだー!!!
漁協は同じ名前でも複数の支所がある場合があり、海くら館長はフェリー乗り場の近くにある「海士町漁業協同組合(本部)」でいいと思っていたが、話を聞かせてくれる漁師さんは現場近くの「海士町漁業協同組合崎支所」に来るものだと思い込んでいた。
お互いの勘違いが発覚したが、崎地区まで行く足が無い……漁協本部の職員さん(漁師ではない)――浜さんが崎支所の方と電話でやり取りしてくれて、急遽車を出して崎支所まで連れて行ってくれることになった。ひゃー、申し訳ないが非常に有り難い!しかし、こういう突発イベントは院生時代にあったフィールド調査を思い出して、冒険しているような少しワクワクする懐かしさがあった。
崎支所まで車で30分前後。浜さんに漁協の車に乗せてもらって向かう道中、中ノ島のことについて色々質問する。澤井・大池(2024a)で獲れた個体以外のマンボウは浜さんの記憶には無いらしい。つまり、中ノ島でのマンボウの漁獲率は著しく低いということだろう。実際、地元の人達が調査した海士町役場地産地商課(2016)にもマンボウは載っていない。前日に調べた隠岐の島でも同じような感じだった。
冬は雪が40 cmくらい積もる時があり、除雪されるまでは移動できないためそれぞれの集落で孤立してしまうそうだ。やはり日本海側の冬は厳しい。5月は中ノ島でもサザエは禁漁期であり、代わりにイワガキが市場に出回るようだ。中ノ島はイワガキの養殖が盛んで、「春香」というブランド名が付いている。中ノ島にも田んぼがあり、離島でありながら米を生産している。また、隠岐牛も特産品なのだという。上の写真の奥に大きな風車が見えるのが分かるだろうか? この風車は中ノ島でとても印象的であり、フェリーの甲板からでも非常に目立って見える。中ノ島について話を聞いていると、あっという間に崎支所に到着した。
私を崎支所まで送り届けると、浜さんはすぐに車で戻って行かれたが、ここで私を待っていたのが、大窪漁労長だった。まず、漁労長なのに、30代前後という若さに驚いた。建物の中に入っていいと言うので、中に入れて頂く。この建物は、澤井・大池(2024a)で報告したマンボウが漁獲された時に映っていた建物だとすぐに分かった。論文を書いた現場に来たのだ!
支所の中に入れてもらい、まずは澤井・大池(2024a)の論文を出版したことを報告し、海くら館長から託されていたお土産もお渡しした。話をすると、大窪漁労長は海くらに来たことがあり、定置網の模型が他の漁法の模型より大きく展示されているところが気に入っているのだと言った。海くらを知ってくれているのは有難い話である。
過去のマンボウ情報について尋ねると、大窪漁労長が中ノ島の定置網で働き始めてから10年以上経つが、マンボウを見たのは、澤井・大池(2024a)の個体を含めて5~7回程度であり、澤井・大池(2024a)以外の個体で写真を撮っていたのは1個体だけだという。やはり中ノ島でもマンボウの漁獲率は非常に少ないようだ。となると、このもう1個体のデータも貴重であり、論文として残した方が良いかもしれない(帰った後、早速、澤井・大池(2024b)として論文化した)。逆に何故マンボウの漁獲が少ないのかと聞かれたが、私にもよく分からない。しかしながら、マンボウ類に興味を持って下さったので、一般的なマンボウ類の生態について色々お伝えした。
大窪漁労長の感覚としては、隠岐諸島の東側に海の生き物が溜まるスポットがあるらしい。こういう現場の人のフィーリングは、研究的にも結構重要だったりする。中ノ島の大型定置網は2ヶ統 あり、両方とも崎地区の沖にあるのだそうだ。海士町漁業協同組合、海士町漁業協同組合崎支所、定置網のある場所をGoogle地図上で示すと、以下のようになる。
大窪漁労長と連絡先を交換し、今後マンボウ類(特にウシマンボウ)が獲れることがあれば、写真と全長の計測をしていただくようお願いした。もしかしたら、忙しい日々の中で忘れられてしまうかもしれないが、大窪漁労長はフレンドリーで、いろんな生き物の情報が知りたいという好奇心を強く感じたので、私も話ができて楽しかった。この出会いを記念して、定置網船と共に一緒に写真を撮って頂いた。もしかしたらこの出会いが将来、大きな発見に繋がるかもしれないし、繋がらないかもしれないが……それはそれでいいのだ。
しかしながら、大窪漁労長は海くら館長が連絡を取っていた私に話を聞かせてくれると約束していた人物とは異なるとのことで、今度は大窪漁労長に車を出して頂き、その人物が働いている現場へと向かった。初めて来た中ノ島で、人伝で次々と移動していくのは、本当に冒険者気分であった。
着いた先は、定置網を修繕している現場で、ここでようやく本来話を伺うことになっていた人物である笹鹿副漁労長と会うことができた。網の修理をしているところ申し訳なかったが、笹鹿副漁労長にマンボウのことを聞いた。すると、10年以上働いているが、マンボウはほとんど見たことが無いとのことで、新たな情報は得られなかった。
実際に定置網の現場で働いている方々の話を聞いて、マンボウはほとんど獲れないというのだから、稀なのだと思う。隠岐諸島に出現するマンボウ類の情報を集めるには、長期的な視野が必要になりそうだ。ちなみに、この現場から見える堤防の先に、マンボウを漁獲した定置網(下の図の矢印あたり)があるとの話だったが、見ることはできなかった。
帰りはさらに今年4月から中ノ島で働き始めたという若い漁師の方にフェリー乗り場まで車で送って頂けることになった。本当にもう致せり尽くせりで感謝以外の言葉が出ない。送ってもらう道中、漁師の方に色々話を聞くと、中ノ島は町をあげて移住者の誘致に力を入れており、離島でありながら人口は増加しているのだという。
かく言う、若い漁師の方も大窪漁労長も県外から中ノ島に移り住んできた移住者であった。私が現場で見た感じでも漁師の方々は、若い人が多いなという印象があった。若い漁師の方曰く、中ノ島の定置網は、他の地域の定置網より出勤が朝早くなく、今までの生活リズムをあまり変えずに働くことができ、昼過ぎには仕事が終わるので自分のやりたいことをする時間も確保でき、島の景色も綺麗であることが魅力なのだという。なるほどと私は納得した。私の論文も中ノ島の魅力アップに貢献できていれば嬉しい限りだ。
その後昼食を終え、海中展望船あまんぼうの予約を行うために、フェリー乗り場の近くにある海士町観光協会の案内所に向かった。職員の方にあまんぼうの予約を申し込むと、2名以上にならないと運航されないとの話をされた。この時、私しか申し込みをしている人はいなかった……これはもしかして乗れないのかと残念な気持ちになったのだが、この後、またフェリーが到着するので、そのお客さんの中で申し込みがあれば運航されるとのことであった。新たな申し込み希望者は出るだろうか……あまり期待はしないでおくことにした。
観光案内所では、あまり目立たないが、御船印を1つ300円で販売しており、ここではあまんぼうの御船印を購入することができる。あまんぼうの御船印はメルカリなどで2000円近くの値段で転売されているため、現地に行く機会がある人は現地で買った方が安く入手できる。マンボウのキャラクターが印刷されているので、中ノ島に行く機会があれば、絶対に入手しようと思っていた。日付も入り、中ノ島(海士町)に来た良い記念になった。
あまんぼうに乗れなかった時のことを想定して、フェリー乗り場近くに留めてあるあまんぼうをいろんな角度から写真に撮った。お、船にもマンボウのキャラクターが印刷されている! ピンク色のマンボウとは何だか親近感がある。この船は下に潜れるようになっており、船内の窓から海中の様子が観察できる船なのだ。ただし、潜水艇ではないので、船全体が海の中に沈む訳ではない。
船が運航されるか否かが判明するまで微妙な時間があったので、私はコンビニ代わりとなる地元の商店を2つ回った。ローカルなものはないかと見て回ったが……残念ながら、観光客向けのローカル商品はほとんど置いていなかった。ローカル商品を探索するなら隠岐の島の商店の方が充実していたかもしれない。
あまんぼうは乗れないだろうなと思っていたものの、一応確認も兼ねて観光案内所に戻って聞いてみると……なんと運航するとのこと! しかも、追加で申請した人は一人だけ! 最低乗船人数二人をギリギリクリアした形となった! どこの誰だか分からない若い男性よ、申し込みしてくれてありがとう! 観光案内所に大きな荷物は預け、二人だけのほぼ貸し切り状態であまんぼうは出航した。あまんぼうは期間限定で4月1日~11月4日の間、基本的に1日に2回 しか運航しない。運航時間は50分間で、私が乗ったあまんぼうのタイムスケジュールは13時30分~14時20分なので、本土へ帰還する15時15分発のフェリーには間に合う。船長と、解説員、私ともう一人の男性が乗り込み、ちょっとしたクルーズが始まった。
あまんぼうはフェリー乗り場から出発して、三郎岩と呼ばれる3つの岩が並ぶ奇岩まで走り、魚が多い三郎岩の周辺をゆっくり旋回して、海中を見て楽しむレジャーイベントだ。乗った時はイイ感じに晴れてくれたので、海の色も青やエメラルドグリーン色をしていて綺麗だった。解説員の話を聞きながら私は写真を撮りまくった。三郎岩に到着して、記念に1枚パシャリ。
ここからは船の下に入り、海中を観察できる。中に入ると、ちょっとした異空間な感じがした。私はあまり揺れを感じなかったが、海中にたくさんあるホンダワラが揺れているのを見て酔う人もいるようで、もう一人の男性は早々に船の上へと上がって行った。
海中で見られる魚類は解説員が説明してくれるのだが、一般向けの説明なので、おおまかな魚類の分類群しか分からなかった。私が観察できたのはクロダイ、スズキ類、スズメダイ、メジナ、ベラ類と、沿岸近海でも観察でいるごく一般的な魚類だった。そう考えるとちょっとがっかりしてしまうのだが、まあ、これはこれで楽しかった。
もしかして海上での行動履歴もYAMAPのアプリで記録できるのかな?とふと思い、起動させたままあまんぼうに乗ったところ……見事に海上での移動経路のデータも取れていた!
航路のデータも取れたw 最早山じゃない
— 牛マンボウ博士@レンタル博士など依頼募集中 (@manboumuseum) May 21, 2024
ウォーキング-2024-05-21https://t.co/zx6evQkJ93#YAMAP #山歩しよう #3Dリプレイ pic.twitter.com/J1AlSGkZhF
こ、これはすごい! 最早山ではないのだが、海でも活用できるとなると、例えば、YAMAPを起動して調査に行き、釣れたポイントで写真を撮り、後からYAMAPにその写真データを加えることで、どこで釣れたかの詳しい位置を確認することができる。ツールは使い手の発想次第ということか。
あまんぼうがフェリー乗り場に戻ると、まずは本土へと帰る切符を買う。中ノ島から本土に帰るフェリーは1日に3本しかなく、私が乗る予定の時間が最終便だった。帰りはフェリー「おき」に初めて乗ることになった。
乗船まで少し時間があったので、フェリー乗り場のお土産屋やEntôという近くのホテルに足を運んだ。ホテルにはお土産屋には無いものも売っていると思ったからだ。その考えは見事ビンゴだった。中ノ島の特産ではなかったが、ブラックオリーブのアイスクリームという風変わりのアイスクリームが売られていて、それを買った。船を前に海を眺めながらブラックオリーブのアイスクリームを食べる。塩っぽいチョコレートのような味だったが美味しかった。
乗船時間になり、「おき」に乗船すると(今回も2等室)、船内を少し探索。内装は「しらしま」と少し異なる部はあったが、基本的には似たような感じであった。ただ、売店で売っているお土産のラインナップが少し違う!船によってお土産が違うのは観光客としては楽しみがあって少し嬉しい。帰りの船も疲れが出ていたので、大部屋でゴロゴロ寝て本土に到着するまでの時間を潰した。隠岐の島、中ノ島と3日間本当によく歩いたり、自転車で走ったりで、足が結構痛くなっていた。
フェリー「おき」は直接鳥取県の境港へは戻らず、島根県の七類港に到着するが、七類港から出る接続バスに乗ることで境港駅に行くことができる。しかし、ここで大きな注意点がある。フェリー「おき」が到着する前にトイレは済ませ、フェリーが着いたらすぐに接続バスに向かった方が良い。接続バスはフェリーから降りた客がいないなと判断したらすぐに発車してしまうため、フェリー乗り場でトイレに行こうものなら置いて行かれる。私はこのアドバイスを知人から聞いていて本当に良かった。本当に境港行きの接続バスは乗り込むとすぐに出発した。ちなみに、境港行きの接続バス(はつみ交通)は、バスの前にいる運転手に500円を払うことで乗ることができる。同じ場所に松江駅行きの接続バスもいるので、間違わないように運転手に確認することをおススメする。
無事境港まで戻ることができ、その後、米子を経由して高速バスで難波OCATに帰り、私の初めての隠岐諸島調査は幕を閉じた。
まだ上陸していない隠岐諸島の有人島は知夫里島(知夫村)と西ノ島(西ノ島町)の2つ。西ノ島には定置網もあり 、マンボウが獲れている可能性もある。また機会を見付けて、残る2つの島にも行きたいと思う。
中ノ島
マンボウ漁獲
とても稀
あまんぼう乗りは
2名以上
隠岐ジオパーク推進協議会.2012.隠岐ジオパークガイドブック.隠岐ジオパーク推進協議会,島根,183 pp.
海士町役場地産地商課.2016.海士の魚たち:隠岐諸島・中ノ島の近海魚類調査.海士町役場地産地商課,島根.192 pp
澤井悦郎・大池明.2024a.写真に基づく中ノ島(隠岐諸島)から得られたマンボウの確かな記録.Nature of Kagoshima, 51: 15-18.
澤井悦郎・大池明.2024b.中ノ島(島根県・隠岐諸島)からのマンボウの追加記録.Nature of Kagoshima, 51: 39-40.