AI冬の時代からフロンティア、そしてゲーム情報学の提唱へ

2021.09.01

空前のAIブームが吹き荒れ、人工知能がクイズ番組や囲碁の対戦でヒトに打ち勝つような現代では信じられないかもしれませんが、人工知能研究を志すことがタブー視されていた時代がありました。そのような時代にあえて人工知能とゲームを組みあわせて考えようとした研究者がいらっしゃいます。松原氏は若い研究者達に何を期待するのでしょうか。お話を伺いました。

 

― 人工知能との出会い、そして研究するに至った経緯をお伺いできますか

 

 幼稚園児のときに鉄腕アトムを見て、天馬博士に憧れたのがはじまりです。中学生のときにはフロイトにかぶれて、人の心を科学的に考えることに興味を持ちはじめました。東京大学の理科一類に入学し、人工知能(Artificial Intelligence:AI)というものを初めて知りました。その当時人工知能は日本ではそんなに盛んではない、まだ冬の時代でしたが、数少ない本を読んで、「これはやりたい学問かもしれない!」と思いました。調べてみると情報系の分野でしたので、理学部情報科学科の3期生として人工知能の勉強を始めました。新しい学科でしたので、しっかり勉強できるかなと思っていました。

 

― まだ卒業生も出ていない頃ということですね

 

 そうです。先生もいないし、授業もありません。AIの専門家がいないどころか、AIのエの字もありませんでした。京都大学には長尾真さんという、京大の総長、国会図書館長にもなった先生がいらっしゃって、当時すでにAIの研究を始めていました。それを知ったときは、東大への入学は失敗だった!と思いました。大学院に進学して、AIを勉強したいと思ったのですが、理学部情報科にはAIの先生はいませんでした。工学部の大学院案内を見てみると、世界的に有名なロボットの研究家である井上博允先生がいらっしゃいました。研究テーマが3つ書かれていて、そこに人工知能とありました。

人工知能と書いているのは、井上先生だけだったので、第1希望で受けました。それまで先生の授業を一度も受けたことはなく、面接ではじめて先生とお話しました。井上先生はAI分野でも世界最高峰だったMITに1年滞在されていて、そこではロボット研究の隣でAIの研究がなされていたそうです。大学院の案内を書くときに、文字数が余ったので「人工知能をやってもいいかな」程度の感覚で書かれたらしく、初めての会合では「私には教えられないから自習したまえ。」と言われたことを覚えています。わかったふりをして教えることのない、良い先生でした。ですので、『AIUEO』という自主ゼミで、英語の本の輪読をしていました。そこが、AIを学んだ場所ですね。

 

― 日本ではメジャーではなかったときに、教える先生もいないところを、開拓しつつ進めてきたということでしょうか

 

 偉そうなことを言うと、そうですね。いろいろな先生に「人工知能だけはやるな」と言われたり、脅されたり、諭されたり…「君は人間のクズだ」と言った先生もいました。今だったらハラスメントで訴えると思います(笑)。その中でも、やってもいいと言ってくれたのは井上先生くらいです。

 

― それは教える人がいなかったからでしょうか

 

 AIはブームと冬の時代を繰り返していて、当時が1回目の冬の時代。見込みのない学問でした。先がなく、就職先もない。路頭に迷わないように言ってくれていたのだと思います。

 

― 先生が研究を始めた頃に第二次ブームがやってきたわけですね

 

 大学院生の時に第二次ブームとなりました。通産省が出資する、コンピュータを作る10年程度のプロジェクトもあり、第五世代コンピュータの時代で、日本はバブルだったため、日本の電気メーカーもAIにお金を出したりして、そこからブームになったのです。はじめは、冬の時代でしたが、そのうちもてはやされるようになりました。数人だった『AIUEO』ゼミも100人程までに大きくなっていて、気が付くとブームの中にいました。

 今はAI分野の研究も盛んで、Googleのような会社もありますが、当時はまだ就職先が増えたわけではありませんでした。博士号をとって民間に行くとか、ベンチャーを作るとか、そんな選択肢は無かったですね。大学の先生になるか、研究をするか。当時はバラ色の道はなくブルーで、大学のポストを除くと電子技術総合研究所(以下、電総研)かNTT研究所の2択でした。

 

― 最初はどのようなAI研究に取り組まれていたのでしょうか

 

 最初に書いたプログラムは将棋のプログラムです。AIがまだ冷たい時代に、先生に「将棋のプログラムの研究は厳しいからフォローできない」と言われました。なので、表向きとしてはロボットの画像認識研究として、将棋はいっさい表に出さず、家に帰ってこっそり将棋のプログラムに取り組んでいました。

 電総研に入って3、4年経った頃にコンピュータ将棋の論文を出しました。周りの顔色を伺って、そろそろ将棋と言っても雰囲気的に許されるかな、という頃合いで出してみました。研究者は、まあいいのではないか、という反応でしたが、事務からは「将棋なんて趣味だろ」と言われました(笑)。それでも、一生懸命理由書を書いて、なし崩し的に認められました。AIをやるだけでもそもそもおかしいのに、「将棋とは異常だ」みたいなことを言われていましたね。外国ではゲームを研究テーマにするのは普通だと思われているのですが。

 

― フロンティアにいすぎたということですね

 

 かっこよく言えば、そうですね。AIや、ゲームの研究を目指していたけれど、説得されて転向した人はたくさんいました。僕は鈍感だったから、周りから冷たくされたりしてもあまり気にならないのではないかと、周りから言われました。

 

― 電総研時代の後は、どのような研究や活動に取り組まれているのでしょうか

 

 僕はいろいろなことに関心を持つのが特性で、ロボカップを開催しようと言い出したり、函館観光のAI分析など、なんでも手を出すのです。AI発展のために、将棋や囲碁の研究が進んだらいいなと思っているので、後輩のためにゲーム情報学を設立したりもしました。

 

― はこだて未来大学で観光に関する研究を始められた経緯を教えてください

 

 公立大のミッションには、地元貢献があります。地方だと漁業、農業といったAIの現場がありますが、函館はメインの産業が観光です。これをAIで分析すると面白くて、外国人を相手にした外国語利用という観点でもAIが役に立ちます。北海道に来たきっかけは、北海道が好きで学生時代からよく旅行していたからです。環境が新しくなると研究テーマも増えていき、北海道の交通の不便さから、交通も研究しています。いろいろなことに興味をもって研究を始めましたが、時間をかけたけれどモノにならなかった研究も沢山あります。

 

― AI第三次ブームの今、短い時間で出せる成果をどんどん積み重ねていこうという風潮もありますが、どのようにお考えでしょうか

 

 今はコツコツとヒットを狙うような、内野安打程度の研究となりがちです。僕の時代はホームランを狙って空振りしても、誰も振り向きもしませんでした。見捨てられた学問をやっている感覚だったので、成功しなくても別に良かったんです。今は、注目されていて恵まれた時代でもありますが、ホームランを出しにくくなっている時代だと思います。

 AIはブームになると、それこそディープラーニングなどの最新の技術で、もうやることはないのではないか、と言われるんですね。でも、全くそのようなことはなくて。人間の知能を山の山頂に例えた場合、すぐにでも頂上に辿り着くのではないか、と気楽に言われるのだけど、全然辿り着けなかった。第二次ブームの時に受けたインタビューで、僕は「まだ1合目くらいだ」と言った記憶があります。それからAI研究もだいぶ進んだと言われますが、それでもたかだか3合目くらいかなと思いますね。あとの70パーセントを解くのは皆さんにかかっている。なので、先は長いけど頑張ってください。

 

― 学生に向けてメッセージをお願いします

 

 興味を持った道に進んでほしい。敢えて言うなら、今行われている研究や技術に常に疑問を持ってください。AIもそれなりにすごいことができるけど、欠点もあります。よく勉強して限界を見出して、どうしたら克服できるか、考えてください。師匠の真似から上手く模倣できるようになったら、それを超えることも意識してください。人の話をよく聞くのは良いですが、鵜吞みにしない。自分を信じて、先輩をも乗り越える気概をもってください。

 

松原 仁(まつばら ひとし)

1959年東京生まれ。1986年東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻博士課程修了。同年電子技術総合研究所(現 産業技術総合研究所)入所。2000年公立はこだて未来大学システム情報科学部教授。2020年東京大学大学院情報理工学系研究科教授。研究分野は人工知能、ゲーム情報学。著書に「人工知能に哲学は必要か」、 「コンピュータ将棋の進歩シリーズ」、 「鉄腕アトムは実現できるか」、「AIに心は宿るのか」など。

 

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