著者紹介:西川 伸一
京都大学名誉教授。医学博士であり、熊本大学教授、京都大学教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長などを歴任した生命科学分野の第一人者である。現在はNPO法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン (AASJ) 代表理事を務めながら、1日1報、最新の専門論文を紹介する「論文ウォッチ」を連載している。
【主な活動場所】 AASJ(オールアバウトサイエンスジャパン)
オールアバウトサイエンスジャパンは医学・医療を中心に科学を考えるNPO法人です。医師であり再生科学総合研究センター副センター長などを歴任された幹細胞や再生医療に関する教育研究の第一人者である西川伸一先生が代表理事を務められております。日々最新の論文を独自の視点でレビュー、発信されておりますのでご興味のある方はぜひお問い合わせください。
このライターの記事一覧
CRISPR/Cas を用いた遺伝子編集で、エイズウイルス受容体になる CCR5 を受精卵でノックアウトした双子を誕生させたというニュースが世界に発信されたのは2018年のことだ。この事件は、中国のヒト胚操作の法律違反ということで実刑が下されたが、その後の研究で受精卵のゲノムを Cas でカットすること自体が、DNA損傷修復力の低いヒト胚で如何に危険であることが続々報告され(https://aasj.jp/news/watch/14399)、法律以前の問題であるとしてほとんど行われなくなった。
CONTENTS
本日紹介する論文
これに対し、ゲノムを切断しない塩基編集法を用いてヒト受精卵の Nanog遺伝子の不活化を行い、Nanog の胚発生での機能を明らかにした研究が、7月1日 Nature にオンライン掲載された。
タイトルは「Base editing reveals an essential role for NANOG in human embryogenesis(塩基編集によりヒト胚発生での Nanog の役割を明らかにする)」だ。
解説と考察
個人的な話になるが、山中さんに最初に出会ったのは、彼がNanogの研究論文を発表しようとしているときだった。同じ頃、CDBのアドバイザーだった Austin Smith の研究室の Ian Chambers も Nanog分子の論文を準備しており、Austin が CDB に滞在しているとき、話し合いがもたれ、同じCellに両方の論文が発表された。この時、おそらく山中さんがおれて、分子の名前はスコットランド神話からとった若返りの国= Nanog と言う Chambers の提案の名前が付けられた。そして、まさに多能性幹細胞の未熟性を決める分子 Nanog が、iPS細胞に必要無かったという報告を聞いたときも、大きな驚きだった。
この研究では受精卵遺伝子の Nanog を不活化したときに何が起こるかを調べ、ヒト胚での Nanog の機能を調べることを目標にしている。既に述べたようにゲノムが切断されると、受精卵では大きな問題になるので、代わりに塩基からアミノ酸を外すデアミナーゼベースの塩基編集システムABE8e を用い、受精卵自体や他の遺伝子を傷害することなく、目標の遺伝子を編集できるかの条件検討を行っている。その結果他の遺伝子や細胞の生存に影響することなく、8割近い胚で両方の遺伝子を不活化できることを示している。
この方法を用いて次に Nanog を不活化する実験を行い、Nanog が欠損しても胚盤胞期への発生が進むが、細胞数や構築に異常が誘導されることを明らかにしている。
次に single cell RNA sequencing を用いて、Nanog 不活化による異常を細胞レベルで解析している。また、マウス受精卵でも同じ実験を行い、種による Nanog の機能の違いを調べている。実験の詳細は割愛して、結果だけをまとめると、
まとめと感想
以上が結果で、実験としてはヒトで FGF4 なしで原始内胚葉が発生する以外の新しい話はないと思うが、ヒト受精卵は塩基編集を使うことで安全に操作可能であることを改めて示し、受精卵の遺伝子編集を認めるのか、禁止するのか改めて世に問う重要な研究だと思う。