LINE公式アカウントから最新記事の情報を受け取ろう!
皆さんはコインとメダルの違いは分かるだろうか。これらは同一視されることが多いが、一応異なる定義があり、コインは硬貨(お金)として使うことができる一方、メダルは似たような形状でもお金としては使うことができない。しかしながら、一般的に記念コインも記念メダルも同じように扱われているので、ここでは呼び名をメダルに統一して話をしていこうと思う。
CONTENTS
中村(1987)によると、世界で初めて記念メダル(記念コイン)を発行したのは、1626年の神聖ローマ帝国だとされ、日本で初めて記念メダルが発行されたのは、1964年の東京オリンピック大会の時だという。
記念メダルは良いものだ。手頃な値段で金ぴかの高級感があり、旅先でしか売っていない限定感に、想い出を刻むことができる。飾っても綺麗。
私は昔からメダルが好きだ。メダリオンやメダラーと呼ばれるようなコレクターには遠く及ばないが、今はマンボウに限定して記念メダルを収集している。最近は見掛けることも少なくなった気がするが、記念メダルは水族館でよく見掛けたイメージがある。
私が持っているマンボウの記念メダルコレクションはまだまだ少ないが、一例を紹介すると、2021年3月末に営業休止になった志摩マリンランドでマンボウの記念メダルが販売されていた。表がマンボウ、裏が海女さんだ。もう入手不可能となってしまった現在は、メルカリやヤフオクなどで高値で取引されている……。
ただの記念メダルと侮る事勿れ。今はまだそれほど年月は経っていないが、志摩マリンランドの記念メダルは、確かにこの水族館がかつて存在していたこと、マンボウが飼育されていたことを示す歴史的証拠になるので、今後のマンボウ研究の中でその価値は上がっていく事は必然だ。
記念メダルのデザインがデフォルメされていると微妙だが、リアル寄りの生物であればあるほど、その記念メダルが販売されていた時代にその生物が存在していた証拠としても使える可能性があり、生物分類学的に1種だと思われていた生物が複数種に分かれた時、どの種が記念メダルに刻まれていたのか……から分布域の研究の参考になる可能性もある。
同様の研究は切手でもできる可能性があり、私はマンボウの切手も収集している。記念メダルは芸術的価値だけでなく、学術的価値も持つ場合があるのだ。
それにしてもこの記念メダル、どの水族館でも同じような形状で、同じような販売機で売られているので、同じメーカーが作っていると思われる。気になってインターネットで調べてみると、志摩マリンランドのマンボウの記念メダルは、茶平工業株式会社という会社が作っていたようだ。
茶平工業についてさらに調べてみると、全国各地の様々な施設にある記念メダルを作っている。水族館の記念メダルもほとんどが茶平工業の作ったもので、茶平工業の記念メダルを収集するアツいコレクターも何人かいるようだ。
私は同人イベントでグッズを頒布するようになり、グッズを色々作っていると、いいなぁ、記念メダル……個人的に作ってみたいなぁ……と思うようになった。
調べてみると、記念メダルを作ってくれる会社はいくつかあるようだ。しかし、記念メダルの出来栄えがやはり気になるところで、記念メダルを作るのもそれなりに高価だし、イマイチな物が大量にできたら後悔するな……と思って、なかなか記念メダルを依頼することができずにいた。
そんな折、X(旧Twitter)上で交流のある心斎橋ビッグステップのアカウントの方が、2023年6月に突如ビッグステップの記念メダルを設置したというポストをした。
記念メダル自販機、1Fアトリウムにて、ついに販売スタートしました!!!!!!!!数量限定のメダルもあるので、ぜひこの機会に🥰 pic.twitter.com/U9pXLwz1oV
— 心斎橋ビッグステップ (@bigstepweb) June 9, 2023
気になった私はすぐに反応し、どこの会社で作ったのかを聞いてみた。ビッグステップの方が教えて下さった製作会社が、奇しくも茶平工業だったのである!
ビッグステップの方が茶平工業の担当者を知っていると思った私は、中の人に色々話を伺い、茶平工業は個人的な注文も受けていることを知った。記念メダルを注文するなら、見知った記念メダル製作の大手である茶平工業にしようと心に決めたのである。
バタバタしているうちに少し時間が流れ、確定申告を終えてホッとした2024年2月末。今年こそは記念メダルを作るぞと意思を固めた私は、そのままの勢いで茶平工業にマンボウの記念メダルを作りたい旨の相談依頼を出した。
私はメダル作りの知識が全く無かったので、とりあえず気になることを聞いて、どういう記念メダルが作れるのかを茶平工業の方から丁寧に教えて頂いた。私の予算と作れる記念メダルの種類を吟味した結果、メダルの表面をデザイン通りに凸凹させる金型を作ると結構高くなってしまうとのことだったので(本当はこっちをやりたかった)、金型は作らずに片面にUVプリント加工をして仕上げる記念メダルを作ってもらうことにした。
記念メダルのサイズは一般的な直径31 mm(厚さ2.5 mm)。素材の色はゴールドとシルバーを選べるが、記念メダルと言えばゴールドかなと思ってゴールドにした。
メダルの表面全体はザラザラした感じの放電タイプと、つるつるしたテリタイプが選べ、私のデザインの見えやすさを考慮して、最終的に放電ですることになった。
デザインの入稿はillustratorで作成したeps形式が推奨されるが、透過pngでも可能(私は透過pngで入稿した)。注文の流れとして、相談・見積もり→データ入稿→サンプル製作・確認→支払い→製作→完成品送付となる。支払いはクレジットカードが使えず、銀行振込しかできないので、そこが少し注意点だ。
私が注文してできた完成品がこちらのマンボウ科5種。ハッキリ言って、めちゃくちゃ良い!!!
色もツヤも完璧!自分が欲しかった記念メダルがここに体現された!!!マンボウ科各種の成魚の形態的特徴をこだわって作った甲斐がある。画像では見え辛いが、マンボウ属の舵鰭の骨板の数も実物は見て取ることができる(虫眼鏡などで見るとより分かりやすい)!
まさにこの記念メダル自体がマンボウ図鑑として機能しているのだ!どのくらい売れるのかが分からないため、今回は少なめで作ったが、今後の同人イベント(まずは8月12日の夏コミC104)で頒布予定をしている。
茶平工業は大阪の我孫子前駅から徒歩約5分の場所にあり、工場見学もできるらしいという話をインターネット上で仕入れ、注文のやり取りの中で担当者の方に聞いてみたところ、予定を合わせれば工場見学も可能という返事を頂いたので、私は2024年6月5日に、完成品の引き取りついでに工場見学させていただきに現地に向かった。
こちらが全国各地の記念メダルを作っている茶平工業。思っていたよりは小さな工場だが、ここにはたくさんのロマンが詰まっているのだ。
約束した時間に訪問し、対応して頂いたのはなんと代表取締役の方であった!まずは商品を受け取り、茶平工業について色々お話し頂いた。茶平工業は1960年に設立され、1966年頃から記念メダルの製造を開始したという。
日本初の記念メダルが上述した1964年とされているので、茶平工業は記念メダル製造の老舗中の老舗と言っても過言ではないだろう。現在の代表取締役の方は3代目で、初代は3代目の祖父にあたる。従業員は現在10人と工場にしては少ない気がするが、皆で頑張って記念メダルを作っている。
茶平工業では、記念メダル、メダル販売機、メダル刻印機を自社で製造している。なるほど、だから全国各地の販売機は似たような形状をしていたのか!
工場を案内していただいて、最初に目に飛び込んできたのがメダル販売機だった。これが全国各地に出荷されていくのだ。
案内して頂いたところは1階と2階。1階は主に記念メダルの型作りがメインの場所で、2階は主に記念メダルの色付けや完成までの作業を行う場所だった。1階にあったこの金ぴかの板。これが記念メダルになる大元である。
この板が丸くくり抜かれた後がこちら。
そして、出てきた丸い金属が、生まれたての記念メダルの元だ! これからどんな記念メダルになるのかはまだこの時点では決まっていない。ただの丸い金属。なかなか見ることができない貴重なものである。
この金属の板を丸くくり抜いたメダルの元を、金型でプレスして、メダルの元にデザインを刻んでいく。こちらが金型。現場にはいろんな金型がたくさんあったが、著作権的に問題ありそうなので、ここでは無地のものを載せている。
金型は一度作れば何枚でも凹凸のある立体的な記念メダルを作れるが、細かいデザインを金型に刻印するのが大変なので、金型を作るとなるとどうしても値段が高くなってしまうとのこと。私はUVプリント加工の注文をしたので金型にデザインを刻む必要は無いが、無地の金型でプレスして、縁辺を少し盛り上げた形状にする。
縁辺を盛り上げた状態にすることによって、メダルを重ねてもプリントされた部分が削れずに済むのだ。よく考えられている。
2階に上がると、金型でプレスされた記念メダルが巨大なプリンターで色付けされていた。順番に色を載せていき、すぐに青く光る紫外線でインクが固められていく。このプリンターの登場によって、記念メダルの表現の幅が広がり、様々な色やデザインのものが比較的速く簡単に大量に作れるようになった。売り切れが続出しているという、ちいかわと通天閣のコラボの記念メダルもまさに目の前で作られていた。
このプリンターが登場するまでは、記念メダルの色付けは1枚1枚手作業で行っていたといい、2階にはまだその色付けの職人の方がいらっしゃるというので、作業風景を見学させて頂いた。
この時は、バナナワニ園の記念メダルに色を付けられていた。マスクとゴーグルを付けて、1つ1つ注射器で色を流し込んでいく。作業されていた方はこの道16年の職人の方であった。色を多く注ぎ過ぎたら後でシンナーで拭いて色を落とす。色を付ける→乾燥させる→別の色を付ける……単純作業でも枚数が多いと大変だ。
プリンターのような複雑な色付けには対応できない。なので、この形式で作られている記念メダルはその時の状態によって微妙な個体差がある。インターネット上でもバナナワニ園の記念メダルの個体差に気付いている人がいた。
私は記念メダルが好きだったので、一通り工場を案内していただいて、いろんな記念メダルを見ることができてとても楽しかった。今全国各地で販売されている記念メダルがそこらじゅうに色々あったのだが、やはり水族館の記念メダルが多いなという印象だった。代表取締役の方も水族館からの発注が多い印象を持たれているようだった。
玄関の入り口には前回大阪で開かれた万博の記念メダルが飾られている。聞いてみたところ、来年開かれる大阪万博の記念メダルも担当しているとのことだ。
50年以上の歴史を持つ記念メダルの歴史を持つ茶平工業。これまでに私のような個人の依頼もあったという。個人の依頼も受け付けているが、現在は注文が多く完成までに4~5ヶ月はかかることを見込んで欲しいそうだ。
従業員の皆さんの記念メダル製作に私はアツい職人魂を感じた。代表取締役の方は、私が今回注文したマンボウ科の記念メダルについても興味を持って下さったので、私はマンボウ科の分類について簡単に解説した。
多分、研究者が直接記念メダルを依頼して工場見学にまで来たケースは今までになかったのではないだろうか。この記念メダルをそのまま売るか、ガチャガチャにするか……イベントでどのような形式で頒布しようか悩んでいるところだ。私はこのこだわったデザインの記念メダルを、サイエンスコミュニケーションにもうまく活用したいと考えている。
大阪に
記念メダルの
老舗あり
茶平工業
アツい心
中村佐伝治.1987.世界の記念コイン.保育社,151 pp