合唱が脳卒中後の失語症を改善できる神経学的証拠( eNeuro 5月号掲載論文)

2024.06.11

言語に関わる脳領域が卒中などで傷害されると失語症と呼ばれる状態に陥る。私が学生だった頃は、発話が傷害されるブローカ失語と言語理解が傷害されるウェルニッケ失語を習うだけだったが、現在では関与する様々な領域が特定され、失語の分類も複雑になっている。

 

いずれにせよ、脳障害とそれに続く神経死が原因なので、残っている神経回路を動員して、言語を取り戻すリハビリテーションが唯一の治療になる。さらに、我々の脳は活動しなくなると、ますます神経結合が低下するので、失語により機能が失われることで、神経障害がさらに拡大することから、これを食い止めるためにもなおさら刺激によるリハビリテーションが重要になる。

 

この論文を読むまでほとんど知らなかったが、失語症のリハビリテーションとして、言語野と一部オーバーラップする音楽を用いる研究が進んでおり、リズムをたどったり、歌うことを通してイントネーションや、抑揚の感覚を取り戻す様々な治療法が開発され、効果を上げている。

 

本日紹介する論文

今日紹介するヘルシンキ大学からの論文は、すでに効果が確かめられているグループでの合唱練習を中心として、歌う努力を重ねるリハビリテーションの効果を、症状だけでなく、MRIを用いた様々な指標で神経学的に確かめて研究で、eNeuro 5月号に掲載された。

 

タイトルは「Structural Neuroplasticity Effects of Singing in Chronic Aphasia(慢性的失語症で歌うことの構造的神経可塑性効果)」だ。

 

解説と考察

卒中で失語症が発生し、通常のリハビリを繰り返しながら5年以上が経過した慢性の患者さんを無作為的に、グループ合唱と自宅での歌うプロトコルを組み合わせた方法と、それ以外のグループに分け、失語の改善を調べると、様々な指標で歌を通したリハビリテーションを行ったグループが改善率が高い。

 

そこで、これらの患者さんについて、様々な段階で MRI 検査を行い、脳内の神経結合と、神経細胞の数を反映する灰白質の体積の変化を調べている。

 

実際には各症状との相関を調べる研究になるが、詳細を飛ばして紹介すると、脳の後部と前頭葉を結ぶ神経回路、及び Frontal aslant tract と呼ばれる前頭葉内で言語に関わることが知られている回路の活性が高まっていることが明らかになった。

 

さらに、言語野(ブロードマン領域44)の神経細胞が存在する灰白質の大きさを調べると、歌を通したリハビリテーションを受けたグループは、明らかに体積が増加している。

 

重要なのは、コントロール群でこの領域が持続的に減少していることで、言語野が使えなくなることで、他の領域まで神経数が変化することを示しており、歌を通したリハビリテーションによりこの体積減少を食い止めるだけでなく、新たな神経回路を開発できていることがわかる。

 

まとめと感想

以上が結果で、症状の改善だけでなく、脳実質の変化とリハビリテーションを関連付けることができたことが大きい。リハビリテーションは、未来を信じて地道な努力を繰り返す作業だが、このように明確に脳回路の変化が認められるというこの研究は、おそらく多くの患者さんの励ましになること間違いないと思う。

著者紹介:西川 伸一

京都大学名誉教授。医学博士であり、熊本大学教授、京都大学教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長などを歴任した生命科学分野の第一人者である。現在はNPO法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン (AASJ) 代表理事を務めながら、1日1報、最新の専門論文を紹介する「論文ウォッチ」を連載している。

【主な活動場所】 AASJ(オールアバウトサイエンスジャパン)
オールアバウトサイエンスジャパンは医学・医療を中心に科学を考えるNPO法人です。医師であり再生科学総合研究センター副センター長などを歴任された幹細胞や再生医療に関する教育研究の第一人者である西川伸一先生が代表理事を務められております。日々最新の論文を独自の視点でレビュー、発信されておりますのでご興味のある方はぜひお問い合わせください。

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