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山と溪谷社による書籍『新種発見! 見つけて、調べて、名付ける方法』によると、世界には推定870万種の生物がいるとされており、そのうち150万種の生物に学名が与えられているという。150万種の生物が明確に確認されているのなら、その裏には150万個の研究者達による新種発見物語があったはずだ。
しかし、論文として後世に残るのは、客観的なその生物に関するデータだけで、基本的に研究者達の舞台裏は語られない。アマゾン奥地に潜む未知の生物を追い求める冒険譚ではないにしても、生物発見にまつわる研究者達の物語にはみんなきっとワクワクするはず……少なくとも私は面白いと感じている。
だから私は、記憶が鮮明なうちにマンボウ類の研究物語を多くの人に伝えたいと考えているし、時間の経過とともに当時を知らない人達はどんどん増えていくので、何度語り直してもいいと考えている。
私が語れる物語は少ないが、日本におけるウシマンボウの発見から学名を特定するまでの道のりには、3人の大学院生が大きく貢献したと明言することができる! 研究成果の詳細は各記事の終わりにある参考文献を読んで欲しい。今回よりウシマンボウ発見伝三部作として、3回にわたって各大学院生が明らかにしていったウシマンボウの研究物語について、それぞれお話したいと思う。
CONTENTS
ウシマンボウ Mola alexandrini (Ranzani, 1839) が新種記載されたのは、今から180年以上前のことである。しかし、今でこそウシマンボウは種として明確に認められているが、2000年代に入る前は、いるのかいないのか存在が曖昧な種として世界的に扱われていた。2000年代以前のウシマンボウは、ゴウシュウマンボウ Mola ramsayi と呼ばれ、南半球にのみ分布する種として考えられていた。北半球に位置する日本近海には当然ながら出現せず、日本近海に出現するマンボウ属の種はマンボウ Mola mola 1種のみと長らく考えられてきたのだが……2000年代に入ってDNA解析が行われるようになると、事態が一変することになった。
2000年代に入るまで、日本では形態や飼育以外のマンボウ類の研究はあまり行われてこなかった。そのため、マンボウ類がいつどこに出現するのかという基本的な情報すらよく分かっていなかった。そこで、相良・小澤(2002a)は全国各地の水産関係の研究機関にアンケートの紙を郵送し、マンボウ類の出現情報について調査を行った。このアンケート調査により、日本近海におけるマンボウ類の大まかな出現場所、出現時期などが明らかになった。
相良・小澤(2002b)ではアンケート調査で漁獲量の情報があった県に絞り、マンボウ類の年間漁獲量の変動と季節性について詳しく調べた。これらの研究により、日本近海におけるマンボウ類は、夏は北方、冬は南方に出現する傾向が明らかとなり、特に夏の東北地方ではよく漁獲されていることが分かった。今から約20年前の話である。
第一著者の相良さんは卒業研究でこの研究結果をまとめ、大学院では別の魚の研究をやりたいと広島大学に入学したものの、周りからマンボウの研究をそのまま続けなよと薦められ、その流れで修士課程でマンボウの研究を継続することになった。結果として、相良さんは広島大学での初代マンボウ研究者となり、これが私へと続くマンボウ属の分類研究を大きく進展させる起点となった。もしここで相良さんがマンボウ以外の魚の研究を選んでいたら、日本でのウシマンボウの発見はもっと遅れ、ウシマンボウの標準和名も別の名前が付けられていた可能性があった。
相良さんがマンボウの生態研究をやるにあたり試行錯誤した結果、当時流行り始めていたDNA解析を使った研究に注目した。マンボウ類は基本的に魚体が大きいので、保存して持ち帰るということが難しい。しかし、DNAならば、組織片をエタノールの入った小瓶に入れるだけなので、サンプルの保存も簡単で持ち帰ることも難しくない。まさに画期的な研究だった。
相良さんが特に注目したのは、「日本近海に出現するマンボウは本当に1種なのか?」という点だった。相良さんは卒業研究で日本各地にマンボウが出現することは把握していたものの、1種が回遊しているのか、いくつかの種が特定の時期に特定の地域に出現しているのかは、当時は全く分からなかった。
そこで、全国各地からマンボウの組織片を集めることにしたのだが……サンプルが得られたのは青森県、宮城県、茨城県、三重県、大分県、山口県、長崎県、鹿児島県と断片的な地域からだった。そこで、実際の漁獲現場に行って直接サンプルを集めたいと考え、夏の宮城県に行くことにした。それがウシマンボウ発見の大きなフラグとなった。
宮城県で相良さんは巨大なマンボウ属の個体と遭遇し、その後、ミトコンドリアDNAのD-loop領域を解析したところ、その巨大個体は、他のマンボウとは遺伝的に遠いことが明らかになったのである。この時点では別種かどうかまでは分からなかったが、同じ宮城県で遺伝的に異なるマンボウ2集団が獲れていたという事実は、マンボウ型の別の魚類がいることを強く裏付けていた。相良さんの時点では、全長 3 m 前後の大型個体で構成される集団(宮城県のみ)と、全長38~120cmの比較的小型個体で構成される集団(幅広い地域)に系統樹が分かれたので、大型個体で構成される集団は黒潮に依存しない回遊経路で日本近海に来遊してくるのではないかと推測された。
この時点ではまだ形態的差異もよく分かっておらず、「遺伝的に異なるマンボウ2集団」という表記であったが、遺伝的差異を明確に示していた点で考えると、相良ら(2005)は初めて日本近海でウシマンボウを発見したと言えるだろう。相良さんは修士論文を書いて卒業し、社会人となったが、日本でのウシマンボウの研究はここから大きく動き出すことになったのである。相良さんはかなりマンボウ運を持っていたと思う。新発見は偶然の産物であることも多いのだ。
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