著者紹介:西川 伸一
京都大学名誉教授。医学博士であり、熊本大学教授、京都大学教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長などを歴任した生命科学分野の第一人者である。現在はNPO法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン (AASJ) 代表理事を務めながら、1日1報、最新の専門論文を紹介する「論文ウォッチ」を連載している。
【主な活動場所】 AASJ(オールアバウトサイエンスジャパン)
オールアバウトサイエンスジャパンは医学・医療を中心に科学を考えるNPO法人です。医師であり再生科学総合研究センター副センター長などを歴任された幹細胞や再生医療に関する教育研究の第一人者である西川伸一先生が代表理事を務められております。日々最新の論文を独自の視点でレビュー、発信されておりますのでご興味のある方はぜひお問い合わせください。
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なぜうつ病は治りにくいのか。最新の単一細胞解析技術を駆使した研究から、海馬の神経幹細胞レベルで起こる異常が浮上。神経回路説と神経新生説をつなぐ重要な発見を紹介する。
セロトニン吸収阻害剤はもとより、ケタミンや幻覚剤がうつ病症状を改善することから考えると、うつ病は神経回路の病気と考えるが、もっと深いところでは神経幹細胞からの分化細胞の供給が傷害された結果という研究結果も多く出されている。この考えに基づき、うつ病患者さんに神経幹細胞の増殖をサポートする薬剤の治験が行われており、このブログでも紹介した(https://aasj.jp/news/watch/4537)。
CONTENTS
本日紹介する論文
今日紹介するコロンビア大学からの論文は、平均47歳前後の健常人、あるいはうつ病患者さんの死亡後の脳の提供を受け、海馬の歯状回とアンモン角の細胞について、現在可能なほぼあらゆる単一細胞テクノロジーを用いて解析し、うつ病が幹細胞からのリクルートメントの異常であることを示した研究で、8月21日 Nature Medicine にオンライン掲載された。
タイトルは「Dysregulated adult hippocampal neurogenesis in major depressive disorders(大うつ病性障害で見られる成人海馬の神経細胞新生異常)」だ。
解説と考察
組織バンクから死後24時間以内の50人を超える大うつ病性障害 (MDD) の脳サンプルを得られるというのが驚きだが、この脳のpHを調べ、変性が進んでいないことを確かめた上で、
とあらゆる解析方法を駆使して、MDD の脳を正常と比較している。
まず、正常脳で神経幹細胞から分化細胞へのリクルートが成人でも見られることを single cell 解析から明らかにしている。この研究では総数50万という大量の細胞が解析されており、遺伝子発現が重なり合いながら変化するのを利用する分化の道筋の解析 Pseudotime が信頼性高く行える。この結果、成人の海馬で、神経幹細胞から、様々な中間段階を経て顆粒細胞までの分化が確認され、さらに未熟細胞段階では増殖マーカーも発現していることを示している。そして、それぞれの段階を誘導維持する特異的な転写因子を特定、このように、成人の脳でもコンスタントに神経幹細胞からのリクルートが存在する。
この研究では Visium 等の空間トランスクリプトミックスを使うことで、これらの細胞分化が起こる場所も特定しており、歯状回の幹細胞から顆粒層へと分化した細胞が移動していることも確認している。
このように正常個体での神経細胞の新陳代謝を明確にした上で、うつ病の脳を調べると、歯状回で神経幹細胞数が上昇する一方、分化した neuroblast 細胞の数が変化することから、MDDでは未熟細胞からの分化が阻害されていることが示唆された。
後は、この結果として起こる様々な遺伝子発現について検討しており、うつ病では神経細胞のリクルート異常とともに、その結果としてセロトニンシグナル経路をはじめとする神経伝達システムの発現異常がおこり、さらに自然炎症の誘導が二本の柱となって、ストレス依存的に神経幹細胞のエピジェネティックの変化を持続的に誘導するというサイクルが進んでいることを示唆している。
実際には、様々な転写因子について詳しい解析が MDD で行われているが全て割愛した。おそらくストレス反応と脳の炎症が最初に来るような気がするが、その結果エピジェネティックな変化が幹細胞レベルで起こり、分化細胞の供給とともに、転写因子の発現異常などが重なるのがうつ病ということになる。
今後は、神経回路から考えるうつ病と、細胞レベルで考えるうつ病をうまく統合することが重要だと思うが、その先に本当のうつ病の根治法開発がある気がする。しかし、ここまで多くのテクノロジーを動員できる研究グループがうらやましい。