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「研究が人の役に立つか立たないか?」という議論はインターネット上で毎日のように行われている。関連性の見出せないデータを取らない限りは、どの分野の研究も何かしら人の役には立つのではないかと私は思っている。しかし、研究成果は今すぐ現世の人の役に立つかどうかは分からないということに注意が必要だ。例えば、医学的な研究はその研究成果が直接的にすぐ人の役に立つ場合が多いことと思う。これは誰もが簡単に想像できるだろう。
では、私が行っているマンボウの研究は何か人の役に立つだろうか? この疑問に答えを見出せる人はほとんどいないだろう。何故なら私自身も人の役に立つかどうかはよく分からず研究をやっている。私がマンボウの研究を続けている理由は、単純にマンボウという謎多き生き物を色々知りたいという好奇心からくるもの以外何物でもないからだ。雇われて研究をしているわけではないので、マンボウを研究すること自体に何も金銭的な報酬は発生しない(講演した時などは報酬がもらえるが、講演が目的で研究しているわけではない)。むしろ研究をすればするほど貯金は減っていく……。博士号を取っているので、マンボウの研究は仕事と言えば仕事だが……「仕事とは金銭的な報酬が発生することが確約されている(給料がもらえる)作業」だと私は思っているので、金銭的な報酬が確約されていない私の研究活動は、趣味と言われれば趣味になる。私は自分が面白ければ研究は別に人の役に立たなくてもいいと思っているが……人の役に立つという建前が無いとお金はもらえないということも何となく理解できる……現実はなかなか難しいところだ。
研究が人の役に立つか立たないか議論は自分では良い答えを導き出せそうにない。では、他の人はどう考えているのだろうか? そんな疑問に答えてくれそうな本を見付け、今回拝読した。『「役に立たない」研究の未来』という本について読んだ感想を私見も交えてお話ししたい。

本書は、「推し研究者」はいますか?、という一文から始まる。「推し」という概念は現在広く広がり、イメージも一般化して定着した感じがある。推しとは、自分の好きな応援したくなる対象のことを指す。つまり、本書は冒頭で読者に対して、応援したくなる研究者はいますか?と問いかけをしている。研究者は専門性を極めている人が多いので、良くも悪くも個性豊かな人が多い。しかし、研究者は一般人(非専門家)と接する機会が少ない。その理由は、研究者は国や企業から研究費をもらい、その成果は研究費をもらった国や企業に還元するだけの閉じた世界でやり取りされるので、国や企業から研究成果が一般向けに公表されることはあっても、中の人である研究者は表舞台に出てこないので、なかなか接する機会がないからだという。確かにそのとおりである。
研究にはお金がかかる。しかし、研究者に分配される公的機関の研究費はどんどん減っているという話は、近年よくニュースにもなるので聞いたことがある人も多いだろう(2026年度予算案は増額になったが)。公的機関からの研究費分配に頼れないなら、もっと研究活動をオープンにして、一般の人達にも研究の面白さや重要さを知ってもらい、応援してくれる人達からお金をもらえばいいじゃないか?という考えのもと活動しているのが、本書の編集を行ったのがアカデミスト株式会社である。アカデミスト株式会社は2014年に日本初の学術系クラウドファンディングサイトacademistをリリースし、数多くの研究者と一般人を繋ぎ、結果として基礎研究支援の輪と推し研究者の概念を広めてきた。本書はそんなアカデミスト株式会社と理化学研究所数理創造プログラムが共同して、コロナ禍の2020年8月に開催したオンライン座談会「初田哲男×大隅良典×隠岐さや香 オンライン座談会 ~「役に立たない」科学が役に立つ~」を文章化したものである。
推し研究者の概念は、2019年に記事が出て、X(旧Twitter)上でも少し話題になった。もしかしたら研究者もアイドルみたいな感じで一般人から推されて資金が確保でき、研究がやりやすくなるのではないか?と期待した矢先、深刻なコロナ禍が到来して対談イベントができなくなり、世間が盛り上がる前に忘れ去られてしまった感がある。これはとても悲しい……。私は推し研究者の概念とクラウドファンディングなどの支援は密接に関係していると考えていて、心理的に研究に興味あるから支援しようという場合もあるが、この人だから支援しようという場合もあると思っている。なので、良くも悪くも一般人から支援を受ける場合は、推しになれた方が双方にとってより良い形になると思われる。
研究には大きく3つの段階がある。可能性の0を1にする「基礎研究」⇒ 基礎研究の1を100や1000にする「応用研究」⇒ 応用研究でできたシステムや材料などの改良を行う「開発研究」。応用研究や開発研究は発展系なので目的を定めやすく成果も出やすいので研究費を確保しやすい……が、基礎研究は膨大な可能性の中から試行錯誤してようやく新しい発見をするので、成果が出にくく時間も掛かり研究費が確保し辛い。なので、支援が必要なのは基礎研究なのであるが、近年は「選択と集中」という国の政策によって、特定の分野しか発展し辛くなってしまった。これは限られた予算をどこに投資すれば効率よく成果が得られるか?という発想から考え出された政策なのだが、実際にやってみて結構失敗した感がある。確かに選ばれた分野はお金の心配なくどんどん研究できるので発展していくが、その分野の発展も永遠に続くわけではなく、ある程度研究が進んだら停滞するのである(その間、選ばれなかった他分野の研究はお金が無いので廃れていく)。例えるなら、ロールプレイングゲーム(RPG)で、レベルが高くなればなるほどレベルアップが難しくなる状態だ。
結局のところ、何が大発見に繋がるか分からないので、様々な分野に不自由なく研究できるお金を広く配った方が実際は良かったのではないか?と現在批判されている。RPGで例えるなら、勇者一人に全能力値を振って一人だけレベルを高くするのではなく、パーティーメンバー全体に能力値をまんべんなく振って全体的にレベル上げした方が、色んなタイプの敵に対抗しやすいという感じだ。本書ではヒッグス粒子を予言した論文が出版当初はあまり引用されなかったが、50年後に爆発的に引用されるようになった例を挙げており、研究は短期的な成果を求めるだけでなく、長期的視野も持つことが重要であることを指摘している。将来何が重要になるかは誰にも分からないので、今すぐ役に立たない研究も進めておく必要があるし、あまり研究成果が引用されないからといって無駄な研究になったということにはならないのである。重要なのは、様々な研究分野を発展させ、人類が知識を蓄えていく事にあると著者達は述べている。様々な分野を発展させていけば、自ずと異分野同士が融合して新しい可能性が切り開ける場合もあるのだ。
人類が誰も知らない情報0の状態から、人類の誰もが知ることができる情報1の状態にする基礎研究は、人類の可能性を広げる上で非常に大切なことであるが、直接的に今すぐ人の役に立つことには繋がらないことが多く、その重要性を一般人に理解され辛い。しかし、これには例外もあり、例えば、小惑星探査機はやぶさ2の研究などは直接的に人の役に立たなくても、知的好奇心を満たせることで一般人は基礎研究の重要性を理解すると本書は指摘する。確かにそうだ。はやぶさ2の研究成果が現代生活を送る上で直接的に何かの役に立つとは思えない。しかし、今までの人類が知らない情報という点に人々はロマンを感じ、もっと知りたいと思うのだ。また本書は、マンガやアニメといった芸術分野は人の役に立つか立たないか?という視点で議論されることはないと指摘する。確かに、芸術は図解などで人の役に立つ分野であるが、マンガやアニメを人の役に立たせる風にしろという議論は私も見たことが無い。実際、芸術分野は心を満たせる点で人々からの需要は高く、アイドルなどは推し活も盛んである。これを考えると、研究分野も無理やり人の役に立つかどうかの議論に当てはめるのはよくないと思うのだが……読者の方はどう思われるだろうか?
本書は日本の特徴として、行政や企業のトップに科学に理解のある人が少ないということを指摘している。また、大人の関心を変えることは難しいが、子供の関心は変えられるとも指摘する。今後の未来を担う若い人達に研究の魅力や重要さを伝え、科学的関心のある人達をつくっていくことが今後ますます大切になっていくのだろう。そのためには、科学分野と芸術分野のコラボ、メディアミックスも結構重要だと私は考える。芸術分野は話題性に事欠かず、多くの人が注目しているため、その中に研究成果を盛り込むことで、おのずと科学的な知見も知識として吸収されるようになる、と私は思っている。人は自分の知っていることには親しみを覚えるので、「役に立たない研究」とされる基礎研究にも今よりもっと親しみを持って推されやすくなるのではないかと思うのだ。研究の最大の魅力は、情報0を1に変える「発見」作業にある。時間もお金も掛かるこの発見作業を是非推して欲しい。
研究は
発見第一
積み重ね
今役立たずとも
未来を豊かに