著者紹介:西川 伸一
京都大学名誉教授。医学博士であり、熊本大学教授、京都大学教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長などを歴任した生命科学分野の第一人者である。現在はNPO法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン (AASJ) 代表理事を務めながら、1日1報、最新の専門論文を紹介する「論文ウォッチ」を連載している。
【主な活動場所】 AASJ(オールアバウトサイエンスジャパン)
オールアバウトサイエンスジャパンは医学・医療を中心に科学を考えるNPO法人です。医師であり再生科学総合研究センター副センター長などを歴任された幹細胞や再生医療に関する教育研究の第一人者である西川伸一先生が代表理事を務められております。日々最新の論文を独自の視点でレビュー、発信されておりますのでご興味のある方はぜひお問い合わせください。
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時差がない限り、睡眠不足はあとでぐっすり寝ると取り返せる。即ち睡眠不足を感知して、深く長い眠りを誘導し、すっきり感じさせてくれる脳回路が存在することになる。これまで、ノンレム睡眠 (NREMS) やレム睡眠 (RES) を誘導する神経領域が特定されているが、神経刺激がすぐに睡眠に繋がる回路で、睡眠せずに頑張っているときに興奮して眠りの質を変化させる回路は知られていなかった。
CONTENTS
本日紹介する論文
今日紹介するジョンズホプキンス大学からの論文は、眠りが妨げられると興奮して続く眠りの質を高める回路を特定した面白い研究で、読んでいても自分のことのように感じられる論文だ。6月19日 Science に掲載された。
タイトルは「Sleep need–dependent plasticity of a thalamic circuit promotes homeostatic recovery sleep(睡眠の必要に応じた視床回路の可塑性が寝不足を回復させる睡眠のホメオスターシスを促進する)」だ。
解説と考察
これまでどこを刺激すると睡眠に落ちるかといった研究は多かったが、睡眠不足で睡眠の質が変化するという我々の日常感覚を確かめてみようと着想したことがこの研究のハイライトだと思う。この目的で、刺激により NREMS が誘導される領域に結合して、NREMS を調節する領域を一つづつ刺激してNREMSへの影響を調べ、視床の会合核 (RE) のグルタミン酸作動性興奮ニューロンを化学化合物で刺激することで、数時間遅れて NREMS 時間が伸びることを観察する。即ち、興奮が時間をおいて NREMS に繋がる神経回路の起点を発見したことになる。
次に光遺伝学的方法で RE を20Hzパルスで30分刺激すると、6時間以上の NREMS が誘導できること、また刺激が短いと NREMS の長さも短くなることからまさに睡眠の質を調節していることを明らかにする。面白いのは、ほとんど NREMS を延長しない短い刺激でも、ネズミの寝支度(床を作り、グルーミングする)を誘導できる点で、RE は様々な領域に枝を伸ばして、寝るまでのプロセスを進めていることがわかる。
では睡眠が妨げられると RE の興奮は高まるのか?これを調べるため、RE領域の活動を連続的に記録すると、RE は起きているときに興奮が維持されることが確認された。このとき興奮した神経だけを TRAP法で操作すると、この興奮により眠りの質が変化させられること、さらに光遺伝学的にこのとき興奮した神経が NREMS を延長することも確認し、RE こそが起きている間に睡眠不足を感知しそれを NREMS調節領域に伝えて睡眠を延長する神経であることがわかった。
そのあとさらに詳しい実験を重ねて、投射回路の特定、興奮により起こる生化学的、細胞学的変化について解析しているが、すべて割愛して最終的な結果だけをまとめて紹介する。
これまで見てきたように、起きている時間に RE は興奮し続ける。RE はやはり視床で NREMS を直接調節している不確帯に投射しているが、RE が刺激を受け続けることで不確帯トのシナプス形成に関わる樹状突起が時間とともに広がっていく。即ち起きている時間に合わせてシナプスの細胞学的構造が変化し、興奮頻度が高まる。この構造学的変化は、刺激を受け続けることで起こる CAMKII の活性化により媒介されており、これにより起きている時間に応じて NREMS を直接調節する不確帯の活動を変化させることができる。この細胞学的変化はぐっする眠ることで完全に元通りになるので、同じ感度で睡眠不足を検出できることになる。即ち、ついに起きている時間に応じて次の睡眠の質を決める回路が明らかになった。
このように我々は覚醒時と睡眠時のホメオスターシスを維持していることになるが、最後にこれに関して最近面白いと思ったカナダのビクトリア大学が米国アカデミー紀要に発表した論文を短く紹介する。
睡眠が妨げられると健康に悪いことははっきりしている。では睡眠時間が短い国では病気が多いのか?こんな素朴な疑問を確かめた研究で、まず各国の睡眠時間を比較すると、調べた中で一番短いのが日本で、一番長いのがフランスで、なんとなく納得できる結果だ。ただその差は一時間を超える。
次に各国で睡眠時間と健康指標を調べると、確かに睡眠時間が短いと健康指標が低下するが、それぞれの健康指標のピークは、それぞれの国の平均睡眠時間に一致するという結果だ。即ち、それぞれの国で睡眠覚醒のホメオスターシスを調節している回路の特性が異なっているようだ。
こんな結果を見ると、健康障害はこのホメオスターシスの破れが問題で、単純な睡眠時間だけの問題ではないことがわかる。今後 RE の特性を変化させて短くてもバランスが維持できる時代が来るかもしれない。