著者紹介:西川 伸一
京都大学名誉教授。医学博士であり、熊本大学教授、京都大学教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長などを歴任した生命科学分野の第一人者である。現在はNPO法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン (AASJ) 代表理事を務めながら、1日1報、最新の専門論文を紹介する「論文ウォッチ」を連載している。
【主な活動場所】 AASJ(オールアバウトサイエンスジャパン)
オールアバウトサイエンスジャパンは医学・医療を中心に科学を考えるNPO法人です。医師であり再生科学総合研究センター副センター長などを歴任された幹細胞や再生医療に関する教育研究の第一人者である西川伸一先生が代表理事を務められております。日々最新の論文を独自の視点でレビュー、発信されておりますのでご興味のある方はぜひお問い合わせください。
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アフリカのシクリッドは口の中で子供を育てることや、クエの口の中を掃除する代わりに敵から守ってもらうベラの仲間が存在することはよく知られているが、視覚の及ばない場所で餌と間違わない認識が行われているはずだ。
CONTENTS
本日紹介する論文
今日紹介するハーバード大学からの論文はタコが視覚が効かない夜の海や、岩の隙間を長い足を伸ばしてサーチし、餌とそれ以外を区別する仕組みの一端を明らかにした研究で6月17日Cellにオンライン掲載された。
タイトルは「Environmental microbiomes drive chemotactile sensation in octopus(環境の細菌叢がタコの化学的触覚感覚を決める)」だ。
解説と考察
このグループは2020年にタコの足に存在して海中で特定の化学物質を感知する感覚受容体(CR)
を明らかにする論文を発表していた。26種類のCRがゲノム上に存在するようだが、この研究では最初に遺伝子クローニングされ、研究が進んでいるCR1に焦点を当てている。
また、触覚の機能として、生きたカニと死んだカニを区別する行動、及び卵を守るとき死んだ卵を区別して排除する行動を選んで、このときの区別にCR1がどう関わるかを研究している。
CRは匂いと同じで化学化合物を認識するので、区別に繋がる化合物を明らかにする必要があるが、死んだカニの甲羅や卵の殻に多くの細菌叢がとりついて分解を始めることに着目し、細菌叢の構成成分のなかの100種類近くを個別に培養し、細菌の分泌化合物を含む上清の刺激活性を、CR!遺伝子を導入したヒト細胞株を用いて、パッチクランプ法で調べている。
大変な実験だが、結果は予想通りでかにの甲羅由来のバクテリアではシュードモナス・アルカリゲンスが、排除された卵の殻からはビブリオ・アルギノリティクスの上清が刺激効果があることがわかった。そして、それぞれから最も強い反応を誘導する2種類の有機化合物H3CとLUMを単離している。切り離したタコの足に添加する実験でも、反応パターンは異なるものの、強い足の反応を誘導することに成功している。
次に、CR1とH3C, LUMを含む様々な化合物との結合を構造学的に調べ、CR1は水に溶けない非親水性化合物と結合するポケットを持っているが、非親水性化合物であれば同じように反応するわけではなく、構造的にはポケット周辺にある異なるアミノ酸残基と水素結合の仕方で、異なる化合物と結合していることがわかった。
カルシウムの流入に関わるチャンネル構造との関係で見ると、LUMやH3Cはチャンネルを閉じているアミノ酸のポジションを変化させて、カルシウムの流入を高めることを示している。
以上の構造学的知識の上に、もう一度死んだ甲羅や排除された卵を見るとそれぞれH3CやLUMgが死亡とともに濃縮し始め、さらにこれらの化合物により吸盤による結合が抑えられていることを確認している。
タコの感覚についてこれほど大々的に真面目に研究を進めたことに脱帽するが、これほどの研究を支えている、今迫害にも負けずトランプと闘っているハーバード大学にも敬意を表したい。