自己超越性の脳科学:自分を超え出る脳の働きとは?

2024.12.10

はじめに

私たちは普段、自分という存在を当たり前のように意識している。しかし、この「自分」とは実際何なのだろうか。

多くの人は、自分を「今ここにいる身体と心」として認識している。机や椅子といった物体や、周囲の人々とは明確に区別された、独立した存在としての「私」である。

ところが興味深いことに、時として私たちは、この個としての自己の感覚を超えて、より大きな何かとつながっているような体験をすることがある。例えば宗教的な儀式や瞑想の最中に、そうした感覚を覚えた方も多いのではないだろうか。

心理学では、このような体験を「自己超越性」と呼んでいる。研究によれば、自己超越性の高い人々には、利他的な性質や、文化や社会の枠を超えて世界に貢献しようとする志向性が見られることが分かっている。

本稿では、この不思議な「自己超越性」という現象について、脳科学の観点から探っていきたい。

 

自己超越性とは?

私たちの意識は、時として「自己」という枠組みを超えて広がることがある。この現象を心理学では「自己超越性」と呼び、人間の精神性を理解する重要な概念として注目されてきた。

この自己超越性を理解するにあたって、大きく二つのアプローチがある。

一つは、人間性心理学の視点である。

その中でも特に注目されているのが、人間の欲求を5段階に分けて説明したアブラハム・マズローの研究だ。マズローは、人生の最後の時期に、それまでの理論を大きく発展させる発見をした。それは、自己実現を達成した人々の中に、明らかに異なる二つのタイプが存在するということだった。

マズローの理論によれば、人間は低次の欲望が満たされると高次の欲望に登っていくとされている。

安全に暮らせるようになれば、誰かと仲良く生活したいと望み、それが叶えられれば、他者から認めてもらいたいと欲望する。さらにそれが満たされれば、自分が持つ能力を花開かせたいと望むようになる。このようにして人は自己実現に向かって欲求の階段を登っていくというのが彼の理論である。

(引用:川口 博史 / 小学校創立する人|vol.9_10自己超越欲求)

 

しかし自己実現をした人の中には、さらに大きな欲望を持つ人達がいたのだ。

そのような人たちは、自分の社会を良くしたい、世界を平和な場所にしたいといった欲求を持っていた。そして、その多くの人たちは、何らかの超越的な経験を経て、自らをより大きなものと結びつけて考える傾向があったのだ。

このようなことから、マズローはその晩年、自己実現の上に来るものとして自己超越という概念を提唱した。

またアウシュビッツからの生還者で、『夜と霧』を執筆したヴィクトール・フランクルも自己超越性について論じている。マズローと異なる点は、自己実現と自己超越の関係性である。フランクルは、自らを超えた大きなものへ殉ずる行為が結果として自己実現を促すのではないかと論じている。

 

もう一つの視点は、より科学的・臨床的なアプローチである。この分野で特筆すべき研究者が、ロバート・クロニンジャーだ。彼は「気質・性格インベントリー」(TCI)という心理検査を開発し、自己超越性を客観的に測定可能な特性として捉えた。

クロニンジャーのTCIでは、自己超越性を三つの側面から理解する。

第一の「自己忘却」は、瞑想や芸術活動に没頭する中で自我意識が溶解することを指す。第二の「トランスパーソナル同一化」は、他者や宇宙との一体感を感じる傾向である。そして第三の「精神的受容」は、スピリチュアルな体験や世界観を受け入れる開放性を表している。

いずれにせよ、自己超越性は自分のアイデンティティを大きく拡大し、考え、行動する傾向であると言えよう。

自己超越性を測る尺度

自己超越性には個人差があるが、これを測る尺度もある。いくつか種類がある中から、本稿では臨床研究で使われることの多い成人自己超越目録(Adult Self-Transcendence Inventory;ASTI)を紹介する。

これは一般的な成人の自己超越性を測定するために開発されたもので、以下の10項目について、「5年前と比べて」という時間的な比較を念頭に置いて、4段階(1=強く反対〜4=強く同意)で評価する。

 

1. 静かな黙想に入りやすくなった
2. 自分の人生はより大きな全体の一部だと感じる
3. 他人の意見を気にしなくなった
4. 過去や未来の世代とのつながりをより強く感じる
5. 以前ほど心の平穏が乱されなくなった
6. 自分の自己意識が他者やものへの依存度が低くなった
7. 簡単には怒らなくなった
8. 人生により多くの喜びを見出す
9. 物質的なものの重要性が下がった
10. 敵に対してさえより思いやりを感じるようになった

 

さて、あなたは何点だったろうか。一般成人を対象にしたある研究では、平均点は29.99点、標準偏差は4.61点と報告されている。一般化は出来ないものの、おおよそ7割の人間は25点から35点の間に入る計算になる。ちなみに私は33点で、思いの外、人並みであった。

 

自己超越性と脳機能

自己超越性については神経心理学の分野でも研究が行われているが、右頭頂葉が自己超越性と関連の深い領域として知られている。

頭頂葉は、様々な感覚情報を統合して、主観的な経験を作り出す働きがある。その中でもとりわけ右頭頂葉は自己意識と深く関わっており、この領域の活動が変わることで自己超越的感覚が生み出されるのではないかと考えられている。

例えばある研究では、瞑想の経験が非常に深いチベット僧を対象に、瞑想中の脳活動を調べている。結果としては瞑想の深度が深いほど、右頭頂葉の活動が低下することが示されている。

(Newberg et al., 2001, figure.1)

 

また、びまん性脳損傷患者(交通事故などの強い衝撃で脳全体を広く損傷したもの)を対象としたある研究でも、自己超越性と右頭頂葉機能の関係について調べている。この研究では、右頭頂葉の機能に関わる様々な認知神経学的検査(空間認識機能や身体認知機能)を行い、自己超越性との関わりを調査した。

結果としては、右頭頂葉の機能低下を示す患者は他の領域の機能低下と比べて、自己超越性傾向が高くなったことが示されており、右頭頂葉が自己超越性傾向と関連しているのではないかと考察されている。

自己超越性と深く関わるもう一つの領域としては、中脳水道灰白質が注目されている。

中脳水道灰白質(PAG)はあまり聞き慣れない脳領域だが、脳内ネットワークの中心として私達の感情や行動に大きな影響を与えている。

George et al., 2019, figure 1

 

中脳水道灰白質の本質的な役割はネガティブな刺激に対するリアクションの調整である。

具体的には、生存に関わる危険やリスクに対して不安感情を喚起したり、逃避行動や攻撃行動を引き起こすよう、脳全体の活動を調整しているのだ。

ある研究では脳損傷患者のデータベースを使って、自己超越性と中脳水道灰白質を中心とした脳内ネットワークの関係について調べている。

結果としては、中脳水道灰白質と前頭前野の結びつきが強いほど自己超越性が高まり、逆に、中脳水道灰白質と感情関連領域(皮質下領域・大脳辺縁系)との結びつきが弱いほど、自己超越性が低くなることが示されている。

中脳水道灰白質はセロトニンやオピオイドといった神経伝達物質を使って脳活動を調整しているが、これらの物質は他の研究でも自己超越性と関わることが報告されているものになる。

このように、右頭頂葉や中脳水道灰白質は自己超越性の神経基盤として重要な役割を果たしており、特に前頭前野との結合や感情関連領域とのネットワークを通じて、私たちの意識が「自己」の枠を超えて拡張する体験を制御していることが考えられている。

 

まとめ

では、ここまでの内容をまとめてみよう。

・自己超越性は自分のアイデンティティを大きく拡大し、考え、行動する傾向である。
・自己超越性は人間的成長や精神疾患とも関連する。
・自己超越性に関わる脳領域は右頭頂葉や中脳水道灰白質である。
・瞑想などで自己超越性を高めることもできる。

 

自己超越性自体には良いも悪いもないが、ときには「わたし」の枠を外して振る舞うことで厄介な問題も解消することもあるのだろう。エゴを小脇に抱えつつ、心と体の自由度を上げて、どうにか上手に生きていきたい。

【参考文献】

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Ferguson, M. A., Schaper, F. L. W. V. J., Cohen, A., Siddiqi, S., Merrill, S. M., Nielsen, J. A., Grafman, J., Urgesi, C., Fabbro, F., & Fox, M. D. (2022). A Neural Circuit for Spirituality and Religiosity Derived From Patients With Brain Lesions. Biological psychiatry, 91(4), 380–388.

Johnstone, B., Bodling, A., Cohen, D., Christ, S. E., & Wegrzyn, A. (2012). Right parietal lobe-related “selflessness” as the neuropsychological basis of spiritual transcendence. International Journal for the Psychology of Religion, 22(4), 267–284.

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Newberg, A., Alavi, A., Baime, M., Pourdehnad, M., Santanna, J., & d’Aquili, E. (2001). The measurement of regional cerebral blood flow during the complex cognitive task of meditation: a preliminary SPECT study. Psychiatry research, 106(2), 113–122.

Reischer, H. N., Roth, L. J., Villarreal, J. A., & McAdams, D. P. (2021). Self-transcendence and life stories of humanistic growth among late-midlife adults. Journal of personality, 89(2), 305–324.

著者紹介:シュガー先生(佐藤 洋平・さとう ようへい)

博士(医学)、オフィスワンダリングマインド代表
筑波大学にて国際政治学を学んだのち、飲食業勤務を経て、理学療法士として臨床・教育業務に携わる。人間と脳への興味が高じ、大学院へ進学、コミュニケーションに関わる脳活動の研究を行う。2012年より脳科学に関するリサーチ・コンサルティング業務を行うオフィスワンダリングマインド代表として活動。研究者から上場企業を対象に学術支援業務を行う。研究知のシェアリングサービスA-Co-Laboにてパートナー研究者としても活動中。
日本最大級の脳科学ブログ「人間とはなにか? 脳科学 心理学 たまに哲学」では、脳科学に関する情報を広く提供している。

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