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私は海の無い奈良県で海水魚のマンボウ類を研究している。マンボウ類の文献を読み漁っていく中で、民俗学的な知見にも興味が湧くようになっていた。マンボウの民俗は、人とマンボウ類の歴史、関わりを示す資料である。残念ながら私の住む奈良県ではマンボウ類の新たな民俗学的情報は得難いが、奈良県は古くからの伝承が多く残る土地である。同じ奈良県でも山が多い南の地域は私もよく知らないなと思い、足を運んでみることにした。そんなある時、吉野山探索の中で、現地のガイドマップに記されていた「旧女人結界」という場所が私は異様に気になった。結界と言えば、今やファンタジーでは常識となった特定の空間を遮るバリアである。つまり、女人結界とは、女性が入ることができない女人禁制の空間を意味する。ジェンダーフリーが叫ばれる現在では議論を醸しそう……というか既になっているようだが、昔は確かにそういう場所があったであろうことは容易に想像できる。漁業関連でも場所によっては、未だに女性は漁船に乗せられないという話も聞く。女人結界については様々な宗教的理由が唱えられ、特に深い山に根付く地域では日本各地にそのような場所があったようだ。しかし、明治時代以降、女人結界は徐々に解禁されてゆき、鈴木(2022)によると、現在でも伝統的な宗教的理由から女人結界を維持している地域は、奈良県天川村の山上ケ岳(大峯山)と岡山県美作市の後山の2ヵ所のみとなった。吉野山の旧女人結界はそういう時代の名残なのだろう。
奈良県に住む者として、同じ県内に日本で2ヵ所しか現存していない女人結界があることを知り、実際どういう場所なのかこの目で見てみたいという興味が湧いた。そこで2024年4月、実際に女人結界に足を運んだのだが……まずは天川村がどういう場所なのかについて今回はお話ししたい。
天川村に公共交通機関で行くには近鉄吉野線の下市口駅から約1時間バスに乗らなければならない。下市口駅を出ると交番が見える。その交番の手前が天川村方面に行くバス乗り場だ。事前にチケットを買うシステムではなく、降車時にお金を払う通常のバスと同じシステムである。問題はバスの本数が非常に少ないので、事前に時刻表をインターネットで調べた方が良い。私が探索に行った2024年4月18日は、8時47分発の天川川合行きのバスに乗れた。バスは山道を通るので、ちょっとしたアトラクション気分が味わえる。お腹いっぱいの状態だと車酔いする危険性があるので、そこは注意だ。
天川川合のバス停は天川村の入り口に位置し、女人結界のある山上ケ岳に行くには洞川温泉の方に向かわなければならない(洞川にはバスで行けるが、さらに本数が減る)。しかし、天川川合と洞川温泉の間には、みたらい渓谷という観光スポットがあり、今回は天川川合からみたらい渓谷を経由して洞川温泉の方へと向かうことにした。バス停を降りたところに天川村総合案内所があるので、そこでトイレに行って、案内所で詳しい現地の話を聞くことができる。中に入るとストーブを点けていて少し驚いた。
みたらい渓谷方面に向かうと、いきなり川合の吊橋を渡ることになった。大丈夫だと分かっていても、人数制限が書かれているし、それなりに高いので怖い。
吊り橋を超え、天川みのずみオートキャンプ場を超えたあたりから本格的な山道に入っていく。足を滑らせないように慎重に進んだ。観光シーズンではなかったから、人の気配は全くしない。幸い電波は入るので、道に迷ったら、Google地図で現在位置を確かめられた。橋や吊り橋はいくつか渡る必要があり、高所恐怖症の人には向かない道のりだが……滝はいくつも見る事ができた。魚が泳いでいないかなと探したものの、よく見えなかった。みたらい渓谷に到着したのは、天川川合のバス停から歩いて約1時間後だった。みたらい渓谷には大きな滝があるのかなと思っていたら、そういう訳ではなく、エメラルドグルーンの水、巨岩奇岩、周りの植物をセットにした風景を楽しむものらしい。みたらい渓谷に掛かる哀伝橋は、揺れないしっかりとした橋だったので、ここではゆっくり橋の上からの景色を楽しむことができた。ちなみに、哀伝橋の近くにはみたらい休憩所があり、そこまでは車でも行けるので、山道を歩くのが辛い人は車で行くのも良いと思う。
哀伝橋から歩き続けること、1時間50分後、洞川温泉センターに到着。洞川温泉街を歩いていると、温度計を発見し、見てみると昼間でも16℃だった。まずは昼食としてローカル飯を食べて一服、その後、複数ある鍾乳洞の一つ、面不動鍾乳洞の方に向かった。面不動鍾乳洞へは「ドロッコ」という愛称のモノレールに乗って向かう方法と、徒歩で山を登っていく2つの方法がある(モノレールはお金が別途掛かる)。せっかくなので、ドロッコに乗ってみた。ドロッコは乗り場にある電話で担当者を呼び出さなければならないシステムで、乗り物は回転ができないため、帰りは後ろ向きに降りることになった。色々面白い。
ドロッコに乗って行った先には施設があり、鍾乳洞に入る前にトイレに行ったり、売店で軽食を食べることができる。高台にあるので、天川村の洞川地区を一望することができる。天川村は県内の他の地域よりやや気温が低いため、桜はちょうど見頃の時期だった。
面不動鍾乳洞はガイドと一緒に入る形式ではなく、自分で行って見て帰って来るシステムだ。鍾乳洞の中はひんやりとしていて、足元は水で濡れていて滑りやすい。通路も基本的に狭いため、ゆっくり歩かなければならない。鍾乳洞内は観光ポイントに名前が付けられており、インスタ映えしそうな感じにライトアップされている。ツララのように垂れ下がった鍾乳石、地面からタケノコのように盛り上がった石筍は、何万年もかけて形成されたもので、自然の不思議さを感じられる。
面不動鍾乳洞の中でも貴重な鍾乳石は、鍾乳管であり、ストローのように細く中が空洞で、水がゆっくりと滴っていた。
面不動鍾乳洞の中で特に私が面白いなと思ったものは、鍾乳洞内で発掘された哺乳類の化石が祀られているスポットだ。発掘された当初は1000年以上前のニホンザル、テン、カワウソの骨と考えられていたが、その後の研究でニホンザル、カモシカ、ネコの骨であったことが判明した。柏木ら(2013)によると、炭素 14年代測定を行った結果、ニホンザルの化石は今からおよそ1万年前(縄文時代)のものと推定された。他のカモシカやネコの化石もおそらく同じような時代のものと推測されているという。
面不動鍾乳洞を出た後は、龍泉寺に赴き、その裏手にある山道から天川村で一番長い吊り橋として知られているかりがね橋へ向かった。かりがね橋を渡った後、道標には記されていないが、そのまま上の方へと続く道を歩いて行くと、大原山展望台に辿り着ける。大原山展望台からさらに山道を歩いて行くと、桜が咲いているエリアを通り、道なりに下って行くと、天川村立洞川エコミュージアムセンターに辿り着ける。洞川エコミュージアムセンターは残念ながら休館日だったので、また次回。
その後、温泉街の方に戻り、お土産屋さんでどんなものがあるのかを拝見し、この日予約したホテルにチェックインした。洞川温泉街の風景は以下のような感じで、店がずらーっと並んでいて趣がある。「陀羅尼助(だらにすけ)」という和漢胃腸薬の看板が至る所にあるので、絶対に気になるであろう。
温泉街で、夜は提灯が点灯されているので雰囲気は良い感じだ。旅館には温泉付きのところがある。
このように、天川村洞川地区は丸一日歩き回れる自然豊かな観光スポットがたくさんある。日帰りもいいと思うが、せっかく行くのなら一泊二日で温泉街周辺を歩き回ることをおススメする。今回行けなかった鍾乳洞がいくつかあるので、次は行ってみたいところだ(休業している場合があるので、事前に調べた方がいい)。
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滝に渓谷
温泉自然
【参考文献】
柏木健司・阿部勇治・田中大祐.2013.紀伊半島中央部洞川地域の鍾乳洞産哺乳類化石の炭素14年代(予察).名古屋大学加速器質量分析計業績報告書,24: 209-210.
鈴木正崇.2022.女人禁制と山岳信仰.哲學,(149): 145-179.
清水玲子.2024.構造的少子化の進む天川村の現状と社会課題に関する一考察.武蔵野大学サステナビリティ研究所紀要,(1): 59-70.