報酬系の脳科学:なぜ私達は欲望するのか?

2024.06.06

人間は欲望に突き動かされる生き物です。求めるものを手に入れるため、やりたいことを達成するため、私たちは努力を惜しみません。そして脳内には、「報酬系」と呼ばれる欲望を叶えるメカニズムが備わっています。この記事では、報酬系について深く掘り下げていきましょう。

 

報酬とは?

報酬系の話をする前に、まず報酬とは何かという点について確認しましょう。心理学的には報酬には大きく分けて2種類あります。

 

1つ目は一次的報酬です。これは、食料や水、性的対象などで、直接生存や生殖に関わるものです。

 

もう1つは二次的報酬です。これは、一次的報酬と紐づけられたものになります。具体的にはお金や地位、賞賛などです。これらは直接食べたり飲んだりできませんが、最終的には食べ物や魅力的な異性を手に入れるために役立ちます。そのため、一次的報酬と同じように私達に強い欲求を引き起こすのです。

 

報酬系のはたらきとその重要性 

生物の究極的な目的は、生き延びることと子孫を増やすことです。そして報酬系の役割はこれらの目的を叶えることになります。ではわたしたちが生き延び、子孫を増やすために大事なものとはなんでしょうか?

 

まず1つは学習です。自然界であれば獲物の取り方を学ぶことで生き残れるようになるでしょう。営業マンであれば、契約の取り方を学ぶことで首がつながります。このように生き延びるためには学ぶことが大事なのですが、報酬系は成功や失敗を糧として学習を促進させる働きがあります。

 

2つ目は接近行動です。何かが欲しかったら実際に近づかなければいけません。報酬系は不安を抑え、やる気を高めることで接近行動を促します。好きな異性に接近するのも、気になる営業先に電話をかけさせるのも報酬系のおかげです。

 

3つ目は意思決定です。買うか買わないか、結婚するかしないかの意思決定をすることで人生が展開していきます。そしてこの意思決定を促すのが報酬系です。どんな小さな意志決定でもそこには欲望が関係していて、報酬系がその黒幕として活動しています。

 

そして、最後の4つは快感情です。生存・生殖に必要なものには快感情が生じるように設計されています。例えば出産や育児は女性に様々なリスクや負担を引き起こしますが、好きな男性と過ごす時間や性行為はそれを圧倒するポジティブな感情を引き起こすとされています。報酬系は快感情を引き起こすことで、生存や生殖が有利になるように仕掛けているのです。

 

報酬系の基本的構造とその機能

では、この報酬系はどのような仕組みになっているのでしょうか。

 

報酬系の起点になるのは中脳黒質緻密部です。この領域はドーパミンを放出して報酬系全体をコントロールします。

Arias-Carrión, 2010, figure 1を参考に筆者作成

 

そして、報酬系の中心的な役割を担っているのが側坐核そくざかくです。側坐核が活性化すると、快楽、学習、モチベーションに関わる様々な神経伝達物質が放出されます。オピオイド(快楽)、ドーパミン(覚醒とモチベーション)、グルタミン酸(学習と記憶)、GABA(不安の緩和)などです。これらの物質が複雑に絡み合うことで、私たちの心と体は大きく変化します。

 

一方、線条体は報酬学習に関わっています。報酬学習といえば、パブロフの犬を思い出してもらえば分かりやすいと思います。肉と一緒にベルの音を聞かされると、ベルの音だけで涎が出る、あの実験です。私達の脳も報酬を得ることで、様々なことを学んでいきますが、線条体はこのような学習や行動変化を司っています。

 

また、報酬系が活性化すると、私たちの思考力も高まります。欲しいものを手に入れるためには、素早く賢明な判断が求められます。アルコール依存症者が、お酒を手に入れるために天才的な知恵を働かせるのは、報酬系が前頭前野を刺激し、知能を一時的に向上させるからだと考えられています。

 

このように、報酬系は、生存と生殖に有利な行動を促進するために、様々な脳領域に働きかけています。報酬系は、私たちの感情、行動、思考を巧みに操って、次世代へ命をつなぐための重要な仕組みなのです。

 

報酬系の進化

報酬系は進化的な歴史は古く、魚類の時代には既に基本的な仕組みが出来上がっていました。下の図に示すように、解剖学的にも魚類と哺乳類の報酬系には数多くの共通点があります。

O'Connell & Hofmann, 2011, figure3を参考に筆者作成

 

しかし、哺乳類の中でも、ヒトの報酬系は特殊な進化を遂げたことも報告されています。例えば、報酬系の一部である側坐核と腹側淡蒼球ですが、これらの活動が他の霊長類よりも強くなっています(Hirter et al., 2021)。

O'Connell & Hofmann, 2011, figure1を参考に筆者作成

 

これらの領域は、共感性やパートナーへの愛情など、社会的な報酬に関連しています。ヒトは、他の霊長類と比べても、他者とのつながりを求める傾向が強いのですが、この特徴は、ヒト独自の報酬系の進化と関連しているとも考えられています。

 

また、これらの領域は脂肪分への好みとも関連しており、ヒトは他の霊長類よりも高カロリーな食べ物を好む傾向があります(Raghanti et al., 2023)。この傾向も、報酬系の進化の結果である可能性があります。

 

さらには、これらの変化が依存症へのなりやすさとも関連しているのではないかとも考えられています(Raghanti et al., 2023)。ヒトは他の動物と比べても薬物依存になりやすく、またストーカーや恋愛依存など行動嗜癖もヒト独特のものです。

 

報酬系の歴史は古く、ヒト特有の進化もあいまって、様々な人間らしさを形作っていると考えられます。社会的つながりや高カロリー食への嗜好、依存症へのなりやすさなど、ヒトの行動や特性の多くが報酬系の進化と密接に関わっているのです。

 

報酬系の発達と変化

人間の報酬系は、一生を通じて変化していきます。特に思春期と高齢期には、大きな変化が見られます。

 

思春期は、リスクの高い行動が増加する傾向があるため、危険な年齢と考えられています。これは、腹側被蓋野と呼ばれる脳の部位が過敏に反応することが原因だと考えられています(Telzer, 2016)。その結果、危険な性行為や犯罪行為、違法薬物などに手を出す可能性が高くなります。

O'Connell & Hofmann, 2011, figure1を参考に筆者作成

 

一方、高齢期には判断能力の低下が見られますが、これも報酬系の変化と関連しています。側坐核の働きが低下することで、物事の悪い面を捉える能力が低下するのです。

通常、意思決定の際にはメリットとデメリットの両方を考慮しますが、側坐核の機能低下により、デメリットに目が向きにくくなり、物事の捉え方が一面的になりがちです。

 

O'Connell & Hofmann, 2011, figure1を参考に筆者作成 

 

さらに、高齢者では失敗から学ぶ力も低下しています。失敗から学ぶためには報酬系が適切に働く必要がありますが、側坐核の働きが弱くなると、失敗からの学びが困難になります。

 

まとめ 

ではここまでの内容をまとめてみましょう。

 

・報酬系は、欲求や喜びを司る脳の仕組みである。

・学習や接近行動、意思決定などに関わっている。

・進化的に古い仕組みだが、ヒトでは独自の進化も見られ、依存症とも関連している。

・思春期と高齢期には報酬系の活動が変化し、独特の行動変化が見られるようになる。

 

報酬系は喜びや欲望の基盤となる仕組みです。喜びなくしては人生はつまらないものになってしまいますが、欲望に振り回される人生もまた大変です。中庸の心を持って、報酬系と仲良く付き合っていきたいものです。

【参考資料】

Arias-Carrión, O., Stamelou, M., Murillo-Rodríguez, E., Menéndez-González, M., & Pöppel, E. (2010). Dopaminergic reward system: a short integrative review. International archives of medicine, 3, 24.

 

OConnell, L. A., & Hofmann, H. A. (2011). The vertebrate mesolimbic reward system and social behavior network: a comparative synthesis. The Journal of comparative neurology, 519(18), 35993639. 

 

Raghanti, M. A., Miller, E. N., Jones, D. N., Smith, H. N., Munger, E. L., Edler, M. K., Phillips, K. A., Hopkins, W. D., Hof, P. R., Sherwood, C. C., & Lovejoy, C. O. (2023). Hedonic eating, obesity, and addiction result from increased neuropeptide Y in the nucleus accumbens during human brain evolution. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America120(38), e2311118120.

 

Schultz W. (2015). Neuronal Reward and Decision Signals: From Theories to Data. Physiological reviews, 95(3), 853–951. 

 

Telzer E. H. (2016). Dopaminergic reward sensitivity can promote adolescent health: A new perspective on the mechanism of ventral striatum activation. Developmental cognitive neuroscience, 17, 5767. 

 

著者紹介:シュガー先生(佐藤 洋平・さとう ようへい)

博士(医学)、オフィスワンダリングマインド代表
筑波大学にて国際政治学を学んだのち、飲食業勤務を経て、理学療法士として臨床・教育業務に携わる。人間と脳への興味が高じ、大学院へ進学、コミュニケーションに関わる脳活動の研究を行う。2012年より脳科学に関するリサーチ・コンサルティング業務を行うオフィスワンダリングマインド代表として活動。研究者から上場企業を対象に学術支援業務を行う。研究知のシェアリングサービスA-Co-Laboにてパートナー研究者としても活動中。
日本最大級の脳科学ブログ「人間とはなにか? 脳科学 心理学 たまに哲学」では、脳科学に関する情報を広く提供している。

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