アニメの聖地は「マンボウ本」の聖地! 大洗探索!

2023.01.13

 茨城県の大洗町と言えば、今やアニメ「ガールズ&パンツァー」(通称ガルパン)の聖地として有名である。ガルパンは女子高生達が戦車を使って競い合う架空のスポーツの話であるが、現実にある店の名前も出てきたりする。アニメファンが聖地巡礼として大洗町に足を運ぶようになり、町興しに成功した例としても知られ、いまや研究対象としても注目されている。アニメは2012年に放送され、既に10年が過ぎたが、現在でも大洗町のあちこちにはガルパン要素が散りばめられている。



 しかし、私が今回聖地巡礼にやって来たのはガルパンが目的ではない。大洗町は伝統的にマンボウに縁のある土地でもあるのだ。大洗とマンボウと言えば、多くの人はアクアワールド茨城県大洗水族館のことを思い浮かべるのではないだろうか? 確かに大洗水族館は全国でも数少ないマンボウを常時複数個体飼育している水族館だ。しかし、大洗とマンボウが結ばれる縁はもっと古く、少なくとも江戸時代にまで遡る。

今回はそんな大洗とマンボウについてのお話だ。

 

江戸時代に書かれたマンボウ本

 私が知る限り、マンボウに関する日本の古文献は1600年代から存在するが、その多くは現在の動物図鑑のように、様々な動物紹介の一つとしてマンボウが紹介されているに過ぎない。しかし、1800年代の江戸時代にはマンボウだけの知見を集めた本(マンボウ本)が2つ存在する。一つは原南陽が1802年に著した「査魚志(まんぼうし)」、もう一つは栗本丹洲が1825年に著した「翻車考(まんぼうこう)」である。2つのうち「査魚志」には、かつて磯浜村と呼ばれていた時代の大洗町で漁獲されたマンボウに関する知見が載っている。大洗町の中には、磯浜町という名の地区が今も残っている。
 
 「査魚志」については、疫病除けマンボウの木版画の記事でも少し触れたが、「査魚志」は、紀州藩から『マンボウに関する情報(特に食べ方や加工法)が欲しい』と要望を受けた水戸藩主(第6代藩主・徳川治保)が、原南陽にマンボウに関する情報をまとめるよう命を出し、原南陽は水戸領内であった磯浜村(現在の大洗町の一部)で漁師への聞き取り調査やマンボウが解体される様子を観察し、図を画家に描かせるなどしてまとめ上げた本である。原南陽は藩主から1802年2月に依頼を受けて、同年7月に本を完成させたというので、当時としては結構早く本をまとめ上げたのではないだろうか。ちなみに、当時の藩主・徳川治保はマンボウの腸が好物でよく食べていたという知見が残っている。


 「査魚志」の前半は過去の文献を羅列し、マンボウの当時の呼び名、獲れた場所、食べられる部位、加工方法、大きさ、薬としての効能などについての知見が書かれている。絵を挟んで後半は原南陽の取材や考察がまとめられているが、前半にまとめた文献の情報は嘘と真実が半々だと指摘しているのが面白い。江戸時代の人もマンボウの無茶苦茶な情報は疑問に感じていたようだ。原南陽は磯浜村に加えて、江名の濱(福島県)の漁師にもマンボウに関する取材をしており、磯浜村と江名の濱の情報を比較した考察も書かれている。マンボウの消化管内容物からクラゲが出てきたこと、マンボウの眼を取り出し中のものを洗い流して乾燥させた眼球の殻にホタルを入れて子供のおもちゃとしていたこと、寒い時期より温かい時期に獲れること、沿岸にはあまり寄ってこないこと、肉は水分が多いこと、水面で体を横たえることなど、原南陽の記述は現代でも通じる鋭いマンボウの情報を書いていた。前半と後半の知見を明確に分けるように、本の中間にマンボウの全身図や解体する様子の絵が描かれているのだが、これが今から221年前に磯浜村で漁獲された個体と思われる。

 査魚志については、国立公文書館デジタルアーカイブで全ページ公開されており、誰でも見ることができる。興味がある方はぜひ読んでみて欲しい!

原南陽.1802.查魚志.国立公文書館 デジタルアーカイブ(請求番号「197-0153」)

 

観光パート。大洗探索!

 詳しい場所は記されていないので、ピンポイントで漁獲された場所はわからないが、現在の磯浜町の範囲をGoogle地図で調べてみると、ちょうど大洗水族館のある場所からかねふくめんたいパーク大洗のある場所までの範囲で、徒歩でも一時間もかからない! 自転車があればより快適に「査魚志」の個体が獲れた場所を見て回ることができる! 事前に調べると、何と大洗駅のすぐ横にうみまちテラスなる建物ができており、一日1,000円でレンタサイクルができるようになっていた。これもガルパンの経済効果だろうか……何度か大洗駅には行ったことがあるが、今回発展している駅前を見て私は衝撃を受けた。どうも2年前に駅前がリニューアルされたらしい。私が駅に降り立った2022年12月4日は何かイベントをやっていたようで駅前が賑わっていた。



 早速自転車をレンタルして大洗町をサイクリングする。マンボウの調査で何度かこの町には来たことがあったが、調査を終えるとすぐに帰っていたので、観光するのは今回が初めてだった。レンタルサイクルは初めて使ったが驚いた。電動自転車で、地図を見られるようにスマホをセットする場所が備えられていた。これは町を探索し甲斐がある! お昼はどぶ汁を食べたいと思っていたので、まずはそちらへ。その後、沿岸沿いに自転車を走らせると、大洗漁協を発見! 初めて来た。大洗に定置網はないので、残念ながらここにマンボウが水揚げされることはまずないだろう……しかし、江戸時代はここで漁獲されたのかもしれない。



 少し自転車を走らせると、大洗岬に到着。小さな石がたくさん転がっている。海鳥が石の間を突いて何か食べていた。もしかしたら江戸時代ではここでマンボウが獲れたのかもしれない。



 さらに自転車を走らせると、初日の出でよく話題になる神磯の鳥居に到着した! 波は荒ぶっていなかったので迫力ある写真は撮れなかった。結構遠い場所に鳥居があるのかなと思っていたが、思ったよりも近くにあった。近くには写真を撮りやすいようなスポットも確保されていた。ここではさすがに江戸時代でもマンボウは漁獲されていなかったものと思われる。古来より有名な場所なので、もしここでマンボウが漁獲されていたら、「査魚志」にも何かしら記述が書かれていたはずだ。神磯の鳥居と道路を挟んで反対側にある大洗磯前神社には今回行かなかったが、大洗磯前神社は水戸黄門こと徳川光圀が参拝した際に「あらいその 岩にくだけて散る月を 一つになして かへる浪かな」と歌を詠んだそうだ。実は水戸黄門もマンボウと縁がある人物で、マンボウを好んで食べていたという知見がある


 目の前に広がる海のどこでかつてマンボウが獲れ、「査魚志」が作られたのだろうと聖地に想いを馳せ……自転車を返す前に、隣町の那珂湊おさかな市場まで足を運んだ。休日とあってか、那珂湊おさかな市場は夏祭りを彷彿とさせるような人だかりでとても賑わっていた。インターネットで調べた限りではすぐに見終わるかな~と思っていたのだが、鮮魚店が横一列に並び、海産物が所狭しとたくさん置かれている! 地元で何か獲れているのかなと見て回るだけでも楽しい。冬の味覚、生牡蠣もその場で食べられるようで、かなり心惹かれたが、もしノロウィルスに当たったら辛くなるなと思って我慢した。マンボウは売られていないかな~と淡い期待をして全店舗見て回ったが、やはりどこにも売られていなかった。

 ガルパンの聖地である大洗は「マンボウ本」の聖地でもある。大洗に足を運ぶことがあったら是非江戸時代のマンボウに想いを馳せて欲しいと思う。

 

~今日の一首~
 ガルパンの
  聖地巡礼
   大洗
    マンボウ本の
     聖地でもあるよ

 

 

 

参考文献

原南陽.1802.查魚志.国立公文書館 デジタルアーカイブ(請求番号「197-0153」)

小菅桂子.1992.クジラとマンボウとアンコウと――長い海岸線のめぐみ.In 水戸黄門の食卓 元禄の食事情(中央新書1059).中央公論社,東京,138-145.

藤井弘章.1999.マンボウの民俗―紀州藩における捕獲奨励と捕獲・解体にまつわる伝承―.和歌山地方史研究,36: 13-33.

喜馬佳也乃・佐藤壮太・渡辺隼矢・川添航・坂本優紀・卯田卓矢・石坂愛・羽田司・松井圭介.2018.『ガールズ&パンツァー』ファンにみる聖地・大洗における巡礼行動の特性.筑波大学人文地理学研究,38: 45-58.

 

【著者情報】澤井 悦郎

海とくらしの史料館の「特任マンボウ研究員」である牛マンボウ博士。この連載は、マンボウ類だけを研究し続けていつまで生きられるかを問うた男の、マンボウへの愛を綴る科学エッセイである。

このライターの記事一覧