著者紹介:西川 伸一
京都大学名誉教授。医学博士であり、熊本大学教授、京都大学教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長などを歴任した生命科学分野の第一人者である。現在はNPO法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン (AASJ) 代表理事を務めながら、1日1報、最新の専門論文を紹介する「論文ウォッチ」を連載している。
【主な活動場所】 AASJ(オールアバウトサイエンスジャパン)
オールアバウトサイエンスジャパンは医学・医療を中心に科学を考えるNPO法人です。医師であり再生科学総合研究センター副センター長などを歴任された幹細胞や再生医療に関する教育研究の第一人者である西川伸一先生が代表理事を務められております。日々最新の論文を独自の視点でレビュー、発信されておりますのでご興味のある方はぜひお問い合わせください。
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本日紹介する論文
このブログでは、類人猿の進化というと骨格やゲノムといった観点からの論文を紹介してきたが、今日紹介するウィスコンシン大学からの論文は、歯のエナメルから類人猿の食べ物を知ることができるとする研究で、6月4日 Nature にオンライン掲載された。
タイトルは「Enamel nanocrystal misorientation increased with meat-eating and agriculture(エナメル微小結晶の向きのずれは肉食と農耕により拡大する)」だ。
解説と考察
歯のエナメルを電子顕微鏡で見ると、ハイドロオキシアパタイトの柱状結晶がびっしりと並んだ美しい構造を持っているのがわかる。これによって強度だけでなく、表面の保護や修復に関わっていることが知られている。ただ表面に無数に並んだエナメル柱の構造の変化を定量的に扱うことは難しかった。
この研究のハイライトは、PELICANと名付けた高解像度でエナメルクリスタルの角度を測定する方法を開発したことで、光電子顕微鏡など使って偏光に対するエナメル柱の反射を調べることで、結晶構造の向きのずれなどを促成する方法の開発で、これにより無数にあるエナメル柱内に存在する向きがずれたエナメル柱を測定することができる。
と説明したが、この光学原理について完全に理解しているわけではない。ただ、これにより、一つ一つは長さや太さ、向きが異なる異なる動物のエナメルクリスタル構造を同じ土俵で比較することができるようになった。
まずこれを利用して、クルミの殻を歯で砕いて食べるサルと主に果物を食べているサルの奥歯のエナメルクリスタルの構造を調べると、クルミを主食にしているサルで結晶の向きのずれ (misorientation) が極めて大きくなることを確認している。物理学的原因については全く触れられていないので、正しいかはわからないが、例えば直立原人等の化石でもはっきりとこの misorientation が残っているので、人類学にも使えることになる。
手始めに、主に植物を咀嚼していたと言われている250万年前にアフリカに棲息していた Paranthropus boisei の歯と、肉食が始まったエレクトスやハビリスの歯を比べると、肉食とともに misorientation が大きくなることがわかる。
最後に、ホモサピエンスで、農耕が始まるよりずっと前、40000年前の歯と農耕が始まってからの1550年前及び700年前の歯、そして50年前の歯を比べると、直立原人と比べて農耕以前のホモサピエンスでは、misorientation が低下するが、農耕とともに急に上昇して、エレクトスなどと比べてもさらに高い値を示すことがわかった。
残念ながら、農耕の始まった後を1550年前で代表させるなど、考古学的な緻密さがないので、misorientation を固い食べ物によると考えるのは乱暴な気がするが、歯のエナメルに注目し、全体の構造を定量化できるこの方法は、緻密な考古学と一緒になると、おもしろいと思う。