Covid-19の嗅覚障害の意外な発生メカニズム:染色体構築の崩壊(1月26日、Cell オンライン掲載論文)

2022.02.11

約20年前、シンガポールで感染したおそらく何らかのコロナウイルスによって、1日発熱した後、3ヶ月程度続く嗅覚障害に見舞われたことがある。幸い1年程度でかなり回復したのだが、食べ物やワインと言った良い匂いは完全に回復しているのに、悪臭と呼ばれている多くの刺激には反応できない。


これほど複雑な障害は別として、第5波までのCovid-19で嗅覚障害は回復後も続く最も重要な後遺症になっている。


嗅覚神経細胞にウイルスが直接感染するという考えもあったが、現時点ではこの可能性は低いと考えられており、一番有力なのは鼻粘膜の支持細胞が感染することで、嗅覚神経細胞が間接的に傷害されるという考えだ。


嗅覚細胞は一種の幹細胞システムで、一定期間ごとに置き換わる。従って、細胞が傷害されると、次の細胞に置き換わるまで嗅覚は回復しない。これが、後遺症として症状が長く続く原因になる。


ただ、これだと鼻粘膜に感染した場合、ほとんどの患者さんで嗅覚障害が起こって良さそうなものだが、δ株ですら35%程度にとどまっている。


また、組織学的にも全ての嗅覚細胞が消失したという状況では無いことから、支持細胞障害や、炎症による嗅覚細胞の障害というシナリオでは、Covid-19の嗅覚障害を説明し切れていない。


今日紹介するコロンビア大学からの論文は、Covid-19による嗅覚障害を、高い説得力で説明してくれる研究でPre-proof版が1月26日Cellにオンライン掲載された。


タイトルは「Non-cell autonomous disruption of nuclear architecture as a potential cause of COVID-19 induced anosmia(外部からの刺激により核内の染色体構築が崩壊することがCovid-19による嗅覚障害の原因)」だ。


この研究は、ハムスターを使った実験系を用いて、これまで提案されていた仮説を除外するところから始めている。


まず、嗅覚神経細胞にウイルスが感染して細胞が傷害されるという仮説については、 single cell RNAseqを用いてウイルス感染を細胞レベルで調べ、感染しているのはほとんどが支持細胞で、感染後急速に細胞数が低下するが、嗅覚神経では1割以下しか感染が見られないことを確認している。


次に、鼻粘膜が感染した後の遺伝子発現の変化から、確かに支持細胞では、炎症性反応も含め、ウイルス感染による反応が起こっているが、嗅覚神経数は感染後もほとんど変化していない。


以上から、嗅覚障害は嗅覚細胞の機能的な障害によると考えられる。実際、嗅覚に関わる嗅覚受容体の発現を調べると、感染後ほとんどの受容体の発現田低下し、10日まで回復が見られない。


また、嗅覚神経の投射をコントロールする遺伝子Adcy3の発現も低下している。


この研究のハイライトは、嗅覚受容体遺伝子の発現低下を調べるために、核内の染色体トポロジーを調べるためのHiC実験を行った点で、何百もある嗅覚受容体が一律に低下するためには、核内染色体立体構造の大きな変化が存在すべきであると想定した結果だ。


核内トポロジーについての説明は省くが(興味のある人はhttps://aasj.jp/news/watch/3533 を参照して欲しい)、染色体上に散在する嗅覚受容体遺伝子が接近して存在するクラスターが、感染後すぐから崩壊することが分かった。


これは、嗅覚細胞外部からの刺激によると考えられるので、おそらく様々な因子を鼻粘膜に点火する実験を行ったのだと思うが、結局Covid-19感染ハムスターの血清を点火したとき、同じように染色体構造の崩壊が起こり、嗅覚受容体遺伝子のクラスターが消失することを発見している。


後は、ハムスターでの結果が、人間にも当てはまるか、感染後死亡した剖検例で調べているが、詳細は省く。


以上、結論としては、Covid-19感染により分泌される様々なサイトカインの作用により、嗅覚受容体遺伝子が核内に近接して存在するためのTAD(Topology associating domain)が崩壊し、嗅覚受容体発現が低下することが嗅覚障害の原意であると特定している。


このシナリオが説得力があるのは、一度このクラスターが崩壊すると、それまで一つの嗅覚受容体遺伝子を発現していた嗅覚細胞が、同じ受容体を発現するための仕組みが完全に壊れることだ。


一方で、この受容体の発現に応じて、嗅覚神経は扁桃体の特定の領域に投射することで、臭いのイメージを作っている。


このため、いくら後から嗅覚受容体の発現が戻っても、最初発現していた受容体が発現する確率は低く、投射による表象と矛盾するため、臭い感覚が混乱することになる。おそらく感じても認識できない状況が出来る。


さらに、分泌サイトカインの作用であるため、全ての人が同じように反応する必要は無い。


大変よく出来たシナリオで、HiCまでやったことでこれほどのことが分かる。さらに、TADが外部刺激でこれほど見事に崩壊するとしたら、その刺激の特定は、今後トポロジー研究にも大きな契機となるように思う。

オールアバウトサイエンスジャパンは医学・医療を中心に科学を考えるNPO法人です。医師であり再生科学総合研究センター副センター長などを歴任された幹細胞や再生医療に関する教育研究の第一人者である西川伸一先生が代表理事を務められております。日々最新の論文を独自の視点でレビュー、発信されておりますのでご興味のある方はぜひお問い合わせください。