言葉を理解するボノボ Kanzi は反実仮想能力を持っている(2月5日号 Science 掲載論文)

2026.02.26

 

毎年4月、できるだけ入学式に近い日を選んで京大医学部の新入生に early exposure としての講義を行っている。3年前からは「生命誕生からChatGPT38億年」というタイトルで、生成AIがDNAと自然言語の世界を統合しつつある今を伝え、新しい未来に彼らがコミットするよう励ましている。いつもある程度の反応は感じているが、昨年講義直後に質問に来た学生さんから「チョムスキーの生成文法は間違っているのでしょうか?」と質問され、講義をして良かったと心底感じた。

 

というのも、生成文法が統語規制として最初から必要だという考えは、我々の脳がAIと同じように教師なしの学習で確率的共起を可能にする言語空間を形成できるとすると間違っていることになる。この点を短い講義の間に感じた入学したばかりの若者がいることは、新しい人間の教育こそが我が国の生きる道である事を確信させる。

 

大規模言語モデルと同じように我々が言語を処理しているとすると考えると、何故人間だけが言語を話すのかについて答えるのが難しくなる。即ち、脳に統語力が生まれたから言語が出来たと考えるとわかったような気になるが、ニューラルネットを学習させれば確率共起的言語空間を形成できるなら、サルでも成長期に言語を学習することで言語を獲得できていいはずだ。

 

この考えをサポートするのがある程度の文を理解し300以上のシンボルを獲得したボノボ Kanzi で、他の言語を教えられたチンパンジーやボノボとの最も大きな違いは、言葉を学習していた母親の訓練の場にいることで、幼児期から言語インプットがあったことが挙げられる。

 

本日紹介する論文

この Kanzi に、実在しない物があたかも存在するように振る舞って遊ぶ、即ち反実仮想能力あるかどうかを調べた論文が英国スコットランドのセントアンドリュース大学から2月5日号の Science に発表された。

 

タイトルは「Evidence for representation of pretend objects by Kanzi, a language-trained bonobo(実在しないが、あたかも実在するように想像する物を表象することが、言語を学習したボノボ Kanji には出来る)」だ。

 

解説と考察

この研究は言語に長けた Kanzi でないと出来ない。課題は簡単で、二つの透明なコップを机に置き、それにやはり空のピッチャーから水を注ぐふりをする。この時、Kanzi Look と言葉で指令を行う。その後、もう一度コップからピッチャーに水を戻すジェスチャーを見せた後、Kanzi どちらを選ぶ?と聞いて、実際には水がなくても、ピッチャーに戻すふりをしなかったコップに水があるように振る舞うかを調べた。結果は100%ではないが、チャンス以上の確率で、実在しない物をあたかも実在するように振る舞うゲームを遊べることを証明した。

 

同じような実験を、かごにブルーベリーを入れるという反実仮想実験を行い、同じようにこの能力を証明している。他にも、実験結果が本当に実在しない物を実在するように表象できているのか確かめる実験を行い、少なくとも Kanzi にはこの能力があると結論している。

 

まとめと感想

結果は以上で、褒美を与えたり条件付けを行わなくても、ある程度言葉でコミュニケーションできる Kanzi でないと出来ない実験だが、この結果は様々なことを考えさせる。

 

言語誕生の最も大きなインパクトは、実在しないことを語れるようになったことだ。その結果、実在しない未来を語り、見たこともない世界を語る宗教もうまれた。科学も同じで、今実在しない物を求める作業といえる。ただ、これが言葉の誕生によるのか、逆に実在しないものを表象する能力が先に発生して言葉が可能になったのか、決めるのは難しい。Kanzi を用いた実験でも、Kanzi だけが言葉を獲得したサルだと考えると、この実験だけでは言語が先か、反実仮想能力が先かは決められない。いずれにせよ、深層ニューラルネットで確率共起的言語空間形成が可能なので、これが出来ない学習条件を考えていくことで、この問題に答えが出るかもしれない。

 

しかし Kanzi も今や44歳だ。新しい Kanzi は育っているのだろうか?

追伸、Kanzi は昨年3月に死亡しているようです。これが最後の論文でしょうか。

著者紹介:西川 伸一

京都大学名誉教授。医学博士であり、熊本大学教授、京都大学教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長などを歴任した生命科学分野の第一人者である。現在はNPO法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン (AASJ) 代表理事を務めながら、1日1報、最新の専門論文を紹介する「論文ウォッチ」を連載している。

【主な活動場所】 AASJ(オールアバウトサイエンスジャパン)
オールアバウトサイエンスジャパンは医学・医療を中心に科学を考えるNPO法人です。医師であり再生科学総合研究センター副センター長などを歴任された幹細胞や再生医療に関する教育研究の第一人者である西川伸一先生が代表理事を務められております。日々最新の論文を独自の視点でレビュー、発信されておりますのでご興味のある方はぜひお問い合わせください。

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