同じ遺伝子変異が起こってもガンへと進む細胞と進まない細胞の差が生まれるメカニズム(4月30日 Nature オンライン掲載論文)

2025.05.16

 

ガン遺伝子やガン抑制遺伝子の概念が確立してからは、ガンが発生するためには様々な遺伝子変異が重なることが必要であるという多段階説が広く受け入れられている。その結果、例えば正常の細胞がガンと同じセットのガン遺伝子変異を持っていても、まだハードルが越えられていないだけだと、不思議に思わなくなっていた。

 

本日紹介する論文

今日紹介するカナダトロントにあるMount Sinai病院からの論文は、発ガン遺伝子セットが揃ってもガンにならない細胞がもつ共通メカニズムをしつこく調べ、ちょっと意外な結論に到達した研究で、4月30日 Nature にオンライン掲載された。

 

タイトルは「Cell cycle duration determines oncogenic transformation capacity(細胞周期の長さがガンへの転換を決める)」だ。

 

解説と考察

この研究の設定が面白い。網膜芽腫の発生頻度からRb1遺伝子がガン抑制遺伝子として働いていることを分子生物学がまだ進んでいなかった時代に突き止めて、ガン抑制遺伝子研究のきっかけを作ったのは京都賞を受賞したKnudsonさんだが、このグループもマウスでRb-1遺伝子を欠損させたときに網膜細胞で起るガンの発生をモデルにしている。ただ、人と違ってマウスの場合、Rb-1だけを欠損させてもp107と呼ばれる分子が発現して穴を埋めるので、実験では両方を完全欠損したマウスを使っている。このマウスでは100日後にほとんどのマウスではっきりとしたガンが網膜に発生する。

 

しかし生まれてから経時的に網膜を調べると、異常増殖はすでに生後8日目から始まっている。しかも、網膜を形成するほとんどの神経細胞で同じように異常増殖が起こる。ところが、ガンへと伸展するのはアマクリン細胞だけで、他の神経細胞はこのセットが揃っていてもガンにならない。

 

これまでこの違いは、例えば細胞死の起こりやすさ、免疫感受性、など様々な説明がされており、私自身も納得していた。

 

この研究は異なる細胞をそのまま比べるのではなく、アマクリン細胞のガン化を抑制する遺伝子操作を行い、この操作で変化する過程を調べている。Rb-1/p107 両方が欠損したマウスに、細胞周期調節に関わるp27-CDK経路を調節しているskp2ユビキチンリガーゼを欠損させるとガンが起こらないことが知られている。さらに、skp2の発現量が半分に低下させたマウスでも発生率が低下する。Skp2はp27を分解するので、この結果はRb-1欠損による発ガンにp27が必須であることを示している。

 

そこで、p27経路が欠損してガン発生が防止されるとき、細胞のどの過程が変化しているのか詳しく検討している。例えば、ガン遺伝子セットが発現しても細胞が死んでしまってガンにならない可能性を生後すぐの網膜で調べると、他の細胞と同等にアマクリン細胞もアポトーシスを起こしているし、skp2が欠損したマウスでもこの状態は変わらない。同じように、細胞老化も、免疫サーべーランスも、あるいはDNA損傷などこれまでガン化を阻止している要因として知られている様々な過程も、調べる限り決定的な要因ではないことを確認している。

 

その上で、skp2ノックアウト網膜アマクリン細胞で起こっている変化を調べると、細胞周期に関わる遺伝子の発現が目立って変化していることがわかった。そこでDNA合成の速度を調べる目的でEdUを30分間取り込ませたあと、2.5時間後に今度はBrdUを取り込ませ、両方がラベルされる頻度から細胞周期全体の長さとS期の長さを調べる凝った方法を用いて、ガン化が防がれている細胞ではS期ではなく細胞周期全体が延長していることを明らかにしている。即ち、細胞周期の短い細胞で発ガン変異セットが起こったときだけガン化することを明らかにしている。実際、Rb-1/p107欠損マウスで網膜の様々な細胞の細胞周期を調べると、ガン化するアマクリン細胞が他の細胞に比べて大きく細胞周期の時間が短い。

 

S期の長さは変わらず、しかもp27/CDK2の活性が落ちると細胞周期全体が延長することから、おそらくG1/S期が延長していると考えられるので、ガンの変異セットがCDK2活性が高くG1/Sへの移行が早い細胞で発生すると、ガン化すると考えられる。

 

残念ながらこれ以上のメカニズムは調べられていないが、代わりに他のガン化変異セットでも同じことが言えることを、脳下垂体、肺ガンなどで明らかにしている。結果は以上で、これまで考えもしなかった要因がガン化を決めるというので驚いた。もし本当だとすると、遺伝的にガンのリスクの高い人は、間欠的に細胞周期を延長する薬剤を摂取することでリスクを下げる可能性もある。

著者紹介:西川 伸一

京都大学名誉教授。医学博士であり、熊本大学教授、京都大学教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長などを歴任した生命科学分野の第一人者である。現在はNPO法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン (AASJ) 代表理事を務めながら、1日1報、最新の専門論文を紹介する「論文ウォッチ」を連載している。

【主な活動場所】 AASJ(オールアバウトサイエンスジャパン)
オールアバウトサイエンスジャパンは医学・医療を中心に科学を考えるNPO法人です。医師であり再生科学総合研究センター副センター長などを歴任された幹細胞や再生医療に関する教育研究の第一人者である西川伸一先生が代表理事を務められております。日々最新の論文を独自の視点でレビュー、発信されておりますのでご興味のある方はぜひお問い合わせください。

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