「待つ力」の脳科学|なぜあなたは我慢出来ないのか? 意外と深い「待つ」という"非認知能力"

2024.07.03

最近、よく聞く言葉に「非認知能力」というものがある。これは学校のテストで図れる頭の良さではなく、この社会で生きていくうえで必要になる認知能力を意味する。例えば、計画を立てる、仲間と協力する、自分の気持ちをコントロールするなどだ。

 

そして、この非認知能力の一つに「待つ」というものがある。「待つ」と一言で言ってもこれは奥が深い。なぜなら、待つためには色々と頭を使う必要があるからだ。まず、自分が何を望んでいるのかを知る必要があるし、待つことのメリットやデメリットも考えなければいけない。そして何よりも、今すぐ欲しいという自分の燃えるような欲求を手懐ける必要がある。

 

しかし、人間の脳は「待つ」ことが苦手である。

 

というのも、人間の脳は、後からもらえるものは価値を割り引いて感じるクセがあるからだ。この脳のクセは、行動経済学で「遅延割引」と呼ばれている。そして、「遅延割引」の程度によって、「待つ」能力が変わってくるからだ。今回の記事では、この遅延割引について深く掘り下げて考えてみたい。


遅延割引とは?

今すぐもらえる1万円と3年後にもらえる1万円のどちらを取るだろうか。言わずもがな、今すぐもらえる1万円だろう。人間の心には「遅延割引」と呼ばれるクセがある。後からもらえるものの価値を割り引いて感じてしまうのだ。

 

そしてこの割引率は、もらえるのが後になればなるほど高くなる。例えば、私の場合は、今もらえる1万円は額面通りに感じられるが、半年後の1万円は8000円程度に、3年後の1万円は5000円程度にしか感じることができない。

このような割引率の変化は一定の関数で示すことができる。数式が苦手な人はスルーしてもよいが、一般的な公式を以下に示す。


V ;現在価値 、A ;将来価値(遅延後に得られる報酬量) 、k ;割引率 、D ;遅延時


そして、これをグラフにすると以下のような形になる。

このように、後からもらえるものの価値は時間とともに急激に低下し、その後緩やかに低下していく。

 

一見すると不合理に思える遅延割引だが、太古の世界で生き延びるためには合理的だったのはないかと考えられている。明日の生存が保証されない環境では、現在手に入るものを優先することが「理性的」な選択になるからだ。

 

また、この遅延割引には個人差もある。いくつかの研究から遅延割引率が低い子ども(待つ能力が高いもの)は、大学生になったときには成績優秀で、中年になったときにも所得が高く、健康状態が良いことが報告されている(FrostとMcNaughton, 2017年)。そういった意味では、遅延割引がどれくらいかというパラメーターは人生を大きく左右すると行ってもよいだろう。


遅延割引に関係する要因

遅延割引率の個人差には様々な要因が関係している。

一つは社会経済状態である。特に生まれ育った社会経済状態(家庭の所得や社会的地位)は、遅延割引率に大きな影響を与える(Luら, 2022年)。つまり生まれや育ちが貧しかった場合、一般に遅延割引率は高くなりやすい。これは貧しい環境でサバイバルするために、心と体が適応的に変化したからではないかと考えられている。

将来の不確実性が高い環境では、現在手に入る確実な報酬を選択することが生存に有利に働くため、そのような適応が起きたのではないかというのである。

 

第二に、年齢による変化がある。遅延割引率は、青年期と老年期で高く、中年期に最も低くなる傾向がある(FrostとMcNaughton, 2017年)。つまり、人生の中で最も思慮深い判断ができるのは中年期だということになる。仕事における「脂が乗り切った時期」という表現は、一定の妥当性を持つと言えるだろう。

 

また知能の高さや精神疾患も遅延割引率に影響する。一般に知能が高いほど遅延割引率が低く、「待つ」ことができる。それに対して統合失調症やアルコール依存症、薬物依存症では遅延割引が非常に大きくなり、「待つ」ことができなくなる。加えて、アルコールや薬物そのものが遅延割引を押しあげる働きもあるため、依存症では悪循環的に遅延割引率が大きくなることが考えられている(FrostとMcNaughton, 2017年)。


遅延割引と関係する脳領域

遅延割引に大きな影響を与える脳の仕組みは2つある。一つは前頭前野を中心とした脳領域、もう一つは報酬系と呼ばれる脳領域である。

前頭前野は人間になっては発達した脳領域で、いわば理性を司る領域である。今すぐ手に入れることと後から手に入れることをじっくりと考えて、どちらが本当に得なのかを深く考えることに関わっている。



それに対して、報酬系は進化的に非常に古い脳領域である。その起源は魚類に遡れるほどで、基本構造は数億年間変わっていない。そして、この報酬系は欲しい物を手に入れるために心と体をギアチェンジさせる働きがある。私たちは欲しい物を目の前にしたときは鼻息が荒くなり、身体も前のめりになってしまうが、これは報酬系が、興奮ホルモン、ドーパミンを介して心と体の調子を変えてしまうからである。

そしていくつかの研究から、前頭前野の活動が高いものは遅延割引率が低く(すなわち待つことが得意で)、報酬系の活動が高いものは遅延割引率が高い(すなわち、待つことが苦手である)ことが報告されている(Koffarnusら, 2013年)。

 

また、報酬系のはたらきに深く関わるホルモン、ドーパミンの仕組みが、通常と異なるものは、遅延割引率が高く、依存症や肥満になりやすいことも報告されている。

 

その意味で、遅延割引率は体質的に決定されている部分もあるといえる。


遅延割引を改善する方法

現代では遅延割引率が低いほうが、生きていくうえで何かと都合が良い。では遅延割引率を低くする方法はあるのだろうか。

いくつかの研究から様々な方法で遅延割引率を低くすることができることが分かっている。

一つは未来を想像することである。例えば10年後には大きな家で幸せに暮らしているなどを想像することである。これはEFT(episodic future thinking; エピソード的未来思考)と呼ばれているが、少年犯罪者や薬物依存症者を対象にした研究から、EFTにより遅延割引率を低くできることが報告されている(Peters とBüchel, 2010年, Scholtenら, 2019年 )。

また、ただ想像するだけでなく、より詳細に具体的に想像することで効果が高まるとされている。

もう一つは体調を整えることである。特に空腹時や疲労時は欲求ホルモン、ドーパミンの働きが強くなりやすい。その結果、報酬系が強く働き、目先の利益に目が行きやすい状態になってしまうのだ。何か大事なことを決めるときには、空腹時や疲労時は避けたほうが懸命だろう。

 

運動もまた人間を賢くする。青少年を対象にしたある研究では、週3回、30分の運動を行うことで遅延割引率が低下することが報告されている(Sofisら, 2017年)。その仕組としては、運動を繰り返し行うことで、前頭前野を中心とした脳領域のはたらきが改善するからではないかと考えられている。

 

そして、最後の一つはメメント・モリ(死を思え)である。ある研究では、自分の死を深く考えることで遅延割引率が低くなることが報告されている(Kelley と Schmeichel, 2015年)。自分の死期を意識することで、心は「いま、ここ」を離れ、大きな時間軸で世界を捉えるようになる。もし、何か迷うことがあったら、自分がいつ、どのように死ぬかについて意識をはせることも良いのかもしれない。


まとめ

では、ここまでの内容をまとめてみよう。

・遅延割引とは、後からもらえるものの価値を割り引いて感じる心の仕組みである。
・遅延割引率には個人差があり、遅延割引率が低いものは社会的に成功しやすい。
・未来を想像することや、体調を整えること、運動することで遅延割引率を引き下げることができる。

 

一般に遅延割引率が低いほうが社会的に成功しやすいと言われているが、これも程度問題である。メメント・モリでもないが、人生はいつか必ず終わる。あなたが「いつか」と思っていても、その「いつか」がやってくる前に人生が終わることもある。

 

さらには欲望には旬がある。年を取ったらやってみようと思ってたことが、その時になってみたら、さほど楽しいと思えないこともあるだろう。年を取ったらハワイで波乗りするよりも自宅で盆栽の手入れをしている方が楽しいということもある。

 

これらの意味で、やはり「待つ」ことは難しい。ただ待てば良いというわけでないからだ。時には待とうとする理性を押しのけて、やりたいことをやってのける蛮勇さが問われることもある。理性と蛮勇さの2頭立て馬車を上手に駆って、この旅の終着地まで駆け抜けたいものである。

【参考文献】

Frost, R., & McNaughton, N. (2017). The neural basis of delay discounting: A review and preliminary model. Neuroscience and biobehavioral reviews, 79, 48–65. 

Kelley, N. J., & Schmeichel, B. J. (2015). Thinking about Death Reduces Delay Discounting. PloS one, 10(12), e0144228. 

Koffarnus, M. N., Jarmolowicz, D. P., Mueller, E. T., & Bickel, W. K. (2013). Changing delay discounting in the light of the competing neurobehavioral decision systems theory: a review. Journal of the experimental analysis of behavior, 99(1), 32–57. 

Lu, J., Lu, Q., & Lu, L. (2022). Differential Effects of Fundamental and Longitudinal Life History Trade-Offs on Delay Discounting: An Evolutionary Framework. Behavioral sciences (Basel, Switzerland), 12(3), 63. 

Peters, J., & Büchel, C. (2010). Episodic future thinking reduces reward delay discounting through an enhancement of prefrontal-mediotemporal interactions. Neuron, 66(1), 138–148. 

Schacter, D. L., Benoit, R. G., & Szpunar, K. K. (2017). Episodic Future Thinking: Mechanisms and Functions. Current opinion in behavioral sciences, 17, 41–50. 

Sofis, M. J., Carrillo, A., & Jarmolowicz, D. P. (2017). Maintained Physical Activity Induced Changes in Delay Discounting. Behavior modification, 41(4), 499–528. 

著者紹介:佐藤 洋平(さとう ようへい)

博士(医学)、オフィスワンダリングマインド代表
脳科学・医学的知見を企業のマーケティングコミュニケーションに活用する専門家。理学療法士として15年の臨床経験を持ち、筑波大学大学院にてコミュニケーションに関わる脳活動の研究で博士号を取得。 2012年より、企業の製品・サービスの価値を科学的エビデンスに基づいて説明するコンサルティング業務を展開。「なぜそれが効果的なのか」「どこに価値があるのか」を神経科学・医学生理学・心理学の研究知見から解明し、 ステークホルダー向け資料やマーケティング素材として翻訳・構成・監修することを専門とする。多くの大手企業への学術支援実績を持ち、研究知のシェアリングサービスA-Co-Laboではパートナー研究者として活動。
日本最大級の脳科学ブログ「人間とはなにか? 脳科学 心理学 たまに哲学」運営者。

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