フロー体験の脳科学:夢の中を生きる方法

2023.09.04

人間、ピンチの時には驚くような力が出ることがある。昔、山登りをしていたときのことである。道に迷い、食料も尽き、夜になりそうなタイミングで、ようやく登山道へ戻れそうな場所を見つけた。しかしそこは断崖絶壁であった。岩登りは下手で、なおかつ怖がりな性格ではあるが、その時だけは全てが違った。なんの不安や恐怖を感じることもなく、まるで近所を散歩するかのように、平然とその崖を登りきったのである。このような現象はフロー体験と呼ばれている。今回の記事ではこのフロー体験について掘り下げて考えてみたい。

 

フロー体験の心理学

フロー体験は、心理学者、ミハイ・チクセントミハイによって提唱された概念である。彼はスポーツ選手やミュージシャンにインタビューを行う中で、最高のパフォーマンスが行えているときには、共通して「流れる(flow)」ような感覚があるということを知った。ちなみにフロー状態には以下のような特徴がある。

・今この瞬間に自分がしていることに集中している。
・意識と行為が一体になっている。
・自意識が消失している。
・自分の行動をコントロールできる感覚がある。
・時間的な感覚が歪み、実際の時間よりも早く感じたりゆっくり感じたりする。
・それをすること自体が喜びとして感じられる。
・簡単すぎず難しすぎない挑戦内容に取り組んでいる。
・目標が明確である。
・自分の行為に対して即時のフィードバックがある。

ゲームや仕事など、何かに没頭して気がついたら時間が過ぎ去っていた、そのような経験は誰しもあるとは思うが、そのような状態がフロー体験である。このフロー体験に入るための勘所は2つである。一つは課題の難しさ、もう一つはその人の性格である。

課題については、簡単すぎず難しすぎないことが大事だと言われている。下の図を見てもらえば分かるように、自分の力を十分に発揮する必要がある課題ではフロー状態に入りやすい。

(梶浦と中山, 2010年 図2)

 

また性格的には、オートテリック(自己目的的)パーソナリティはフロー体験に入りやすいことが知られている。これは「自分がやりたいからやる」という性格傾向で、お金や称賛などの報酬がなくても、自発的に課題に取り組める性格である。もう少し具体的に述べるなら、以下のような特徴がある人物である。

・好奇心が強い。
・粘り強い。
・集中力がある。
・内発的なモチベーションが高い。

ちなみに日本の大学生を対象に調査した研究では、オートテリックパーソナリティであるものは、そうでないものと比べて、より難易度の高い課題を選ぶ傾向があることが報告されている(Asakawa, 2004年)。

参考までにフロー体験を評価する尺度を紹介する。あなたが昨日取り組んだ課題はどの程度のフロー体験を引き起こしただろうか。ちなみに私がこの原稿を執筆した時のスコアは65点、昨日の夕食の支度をしている時のスコアは57点であった。


作業課題版Flow尺度(吉田, 2013年)

(全く当てはまらないを1点、どちらともいえないを4点、非常に当てはまるを7点として計算)

1.有意義な時間を過ごした
2.瞬間瞬間に、何をしたいのか、何をすべきなのかが、はっきりわかっていた
3.とても楽しかった。
4.課題の難しさと自分の能力が釣り合っていた
5.次に何が起こっても、それにうまく対応できると感じていた
6.時間が早くすぎるように感じた
7.課題に集中するのは容易だった
8.課題にどれだけうまく対応できているかを感じていた
9.退屈だった
10.していること全体を、うまくコントロールできていると感じていた
11.時間が経つのを忘れていた
12.我を忘れて課題に取り組んでいた
13.もう一度やりたいと思った
14.していることが、うまくいっているのがわかっていた

フロー体験の脳科学

フロー体験に関わる脳の仕組みを解き明かそうとする取り組みは数多く行われている。しかしフロー現象は複雑な心理的現象であることもあり、未だ詳しいことは良く分かっていない。この節ではフロー現象について現在考えられている3つの仮説を紹介する。

一過性前頭葉機能低下仮説

フロー体験では、前頭葉の機能が一時的に低下するという仮説である。とりわけ自己意識に深く関係する内側前頭前野はフロー体験で活動が低下することが明らかになっている。しかし認知機能に関係する外側前頭前野は、フロー体験中であっても課題の種類によっては活動が高くなったり低くなったりと一定していない。このことからフロー体験を前頭葉の活動低下と単純に関連付けるのは難しいのではないかとも論じられている(Gold, 2021年)。

 

フロー体験の同期理論

これはフロー体験をしているときには脳の中の2つのネットワークが同調しているという理論である。一つは前頭頭頂ネットワークと呼ばれるもので、作業をテキパキこなす時に働くものである。もう一つは報酬系で、これはやる気を出して頭の回転を上げるようなものである。この2つのネットワークが同調することで、フロー体験特有の優れたパフォーマンスや喜びが生じるのではないかと考えられている(Gold, 2021年)。

 

フロー状態の内部モデル仮説

さらにもう一つの仮説は小脳と大脳基底核がフロー体験に大きく関係しているのではないかというものである(Gold, 2021年)。小脳には運動に関わる様々なパターンが蓄えられている。このような運動パターンは内部モデルと呼ばれている。「昔とった杵柄」という言葉があるように、年を取って腰が曲がっても、杵を与えると不思議に餅つきができたりすることがある。これはおじいさんおばあさんの小脳に餅のつき方が内部モデルとして蓄えられているからである。

 

また大脳基底核は運動を自動的にコントロールする働きがある。カメレオンであれば、小さな物体が見えれば自動的に舌が飛び出す。人間であっても自動車を運転しているときには半ば自動的に手足が動く。このような自動的な運動コントロールには大脳基底核が関わっている。フロー体験では、昔学習した運動パターンが非意識的に繰り出されているが、これには小脳と大脳基底核の働きが関わっているというのが、フロー状態の内部モデル仮説である。

 

 

フロー体験の促し方

ではこのフロー体験を促す方法にはどのようなものがあるのだろうか。いくつかの研究からイメージトレーニングはフロー体験に効果があることが報告されている。試合でフロー状態に入っている時の様子を繰り返しイメージすることで、実際にプレーしているときも、よりフロー体験が深くなり、パフォーマンスも改善するという(Nicholls, 2005年)。もう一つは瞑想を行うものである。台湾の野球選手に4週間に渡ってマインドフルネストレーニングを行わせたところ、フロー体験が深くなり、試合のパフォーマンスも改善傾向を示したことが報告されている(Chen, 2018年)。さらには電気刺激でフロー体験が深まるとの報告もある。電気刺激で脳活動を変える方法として経頭蓋直流電気刺激(tDCS)がある。この方法で左外側前頭前野の活動を低下させ、右頭頂葉の活動を増加させることでフロー体験が深くなり、テレビゲーム(テトリス)の成績も向上したというのだ(Gold Ciorciari, 2019年)。しかしながらこれらの介入方法は未だ発展途上のものなので、その効果については慎重に判断したい。

 

 

まとめ

では、ここまでの内容をまとめてみよう。

 

  • フロー体験は、あることに夢中になって他のことを忘れるほど集中している状態である。
  • フロー体験は挑戦的な課題を行っている時に生じやすい。
  • フロー体験には、前頭葉や頭頂葉、報酬系、小脳、大脳基底核が関わっていると考えられている。
  • フロー体験は、瞑想やイメージトレーニング、電気刺激で深まる可能性がある。

 

なにかに夢中になれる人生は幸せである。子供を見ていると常に限界ギリギリにチャレンジしていている。一日の半分くらいはフロー体験をしているのではないかと思うこともある。理由はない、やりたいからやる、そういった潔い覚悟で生きられたら人生は輝くのではないだろうか。夢の中を生きていきたいものである。

著者紹介:シュガー先生(佐藤 洋平・さとう ようへい)

博士(医学)、オフィスワンダリングマインド代表
筑波大学にて国際政治学を学んだのち、飲食業勤務を経て、理学療法士として臨床・教育業務に携わる。人間と脳への興味が高じ、大学院へ進学、コミュニケーションに関わる脳活動の研究を行う。2012年より脳科学に関するリサーチ・コンサルティング業務を行うオフィスワンダリングマインド代表として活動。研究者から上場企業を対象に学術支援業務を行う。研究知のシェアリングサービスA-Co-Laboにてパートナー研究者としても活動中。
日本最大級の脳科学ブログ「人間とはなにか? 脳科学 心理学 たまに哲学」では、脳科学に関する情報を広く提供している。

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【参考文献】

Asakawa, K. (2004). Flow experience and autotelic personality in Japanese college students: How do they experience challenges in daily life?. Journal of Happiness studies, 5(2), 123-154.
https://doi.org/10.1023/B:JOHS.0000035915.97836.89

Chen, J. H., Tsai, P. H., Lin, Y. C., Chen, C. K., & Chen, C. Y. (2018). Mindfulness training enhances flow state and mental health among baseball players in Taiwan. Psychology research and behavior management, 12, 15–21.
https://doi.org/10.2147/PRBM.S188734

Gold, J., & Ciorciari, J. (2019). A Transcranial Stimulation Intervention to Support Flow State Induction. Frontiers in human neuroscience, 13, 274.
https://doi.org/10.3389/fnhum.2019.00274

Gold, J. M.(2021) The Psychophysiology of Flow States.

Nicholls, A, Polman, Remco, & Holt, N (2005) The effects of an individualized imagery interventions on flow states and golf performance. Athletic Insight Journal, 7(1), pp. 43-66.
https://psycnet.apa.org/record/2005-06237-005

梶浦久江, & 中山伸一. (2010). 音楽と効果音がブロック崩しゲームのフロー体験に与える影響. デジタルゲーム学研究, 4(1), 13-18.
https://doi.org/10.9762/digraj.4.1_13

吉田一生. (2014). Flow時の脳活動:近赤外線分光法(fNIRS)を用いた検討. 北海道大学大学院保健科学院 保健科学専攻 保健科学コース. 学位論文
https://doi.org/10.14943/doctoral.k11872