身体を基盤にした測定法はなぜ現代でも消失しないのか(6月2日 Science 掲載論文)

2023.06.15

パリには数多くの美術館や博物館があるが、その中にMusee de Arts et Metiers(工芸技術博物館)がある。日本語訳からは、工芸品の展示かと思うが、実際には様々な分野の工業の歴史を展示している。


ラボアジェの実験室が再現されているのも見どころの一つだが、長さや重さの測定がどう標準化されたかについての展示から始まる。単位の世界基準を目指したフランスならではの博物館で、私が行った時もルーブル並みに満員だった。


このように近代化・国際化に標準単位の設定は必須だが、それでも古くから使われる、身体の大きさを基礎とした単位がなぜ使われているのかを文化人類学的に調べたのが今日紹介するフィンランド・ヘルシンキ大学からの論文だ。


タイトルは「Body-based units of measure in cultural evolution(身体を基盤にした単位による測定の文化的進化)」だ。


全体を読んでみると、文化人類学的記録にとどまり、サイエンスという点では少し物足りないが、趣の違う論文も掲載しようという編者の判断なのだろう。186の異なる文化で、長さの計測に身体の部分を使っていた(例えばフット、尺:親指と人差し指を広げた長さ)文化の分布と、いつから使われるようになったかの歴史が示されている。


実際、私が子供の頃は、もちろん標準化されていたが、尺や寸は普通に使われていたし、おそらく今でも5寸釘として売られているのではないだろうか。


このようにフランスのメートル法に従わないのは普通に存在するが、身体の長さという標準化していない測定単位を用いている文化もいまだに存在し、そのような分化をリストした後、その理由を考察したのがこの研究になる。


予想通り、ほとんどの文化は測定に身体を使っており、測るという事がコミュニケーションに重要であることを示している。そして、尺やフットのように標準化された単位ではなく、いまもそのまま違いが大きい個人の身体を尺度として使っている文化が存在することもよくわかった。


その詳細を述べることは難しいので、なぜ一定しない身体を単位として使う理由についての考察だけ紹介しておこう。


まず、人間工学的視点がある。例としてカヤックが挙げられているが、これはそれぞれ個人に合わせてデザインする必要があり、わざわざ身体ベースの一定しない長さを使っている。また、フィンランドサーミ族ではスキーの幅も身体を単位として設計する。


我々が服をあつらえる場合を考えてみると、逆に身体の大きさを一度メートル法に直して作るという、まどろっこしいことをしていることになる。他にも重要なのは、槍や弓の大きさで、確かにこれも個人に合わせたあつらえが必要だ。


次の理由は漁に使う網のように伸び縮みする道具の設計で、結局腕を伸ばした時の幅のような機能的単位に合わせてあつらえられるようだ。


次が、いつもメジャーを持ち歩けないことで、実際ゴルフでピンまでの距離を歩いて即成するといった状況だ。


最後が、気候や地形に合わせた単位で、乾燥地帯のいくつかの文化では長い距離を、何回休憩が必要かで表すようだ。


以上、他にも様々な文化の例が示されているが、面白いとはいえトリビアで終わったしまった。


なぜ紹介したのかとお叱りを受けそうだが、昨日誕生日張り切りすぎた反動とお許し願いたい。

 

著者紹介:西川 伸一

京都大学名誉教授。医学博士であり、熊本大学教授、京都大学教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長などを歴任した生命科学分野の第一人者である。現在はNPO法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン (AASJ) 代表理事を務めながら、1日1報、最新の専門論文を紹介する「論文ウォッチ」を連載している。

【主な活動場所】 AASJ(オールアバウトサイエンスジャパン)
オールアバウトサイエンスジャパンは医学・医療を中心に科学を考えるNPO法人です。医師であり再生科学総合研究センター副センター長などを歴任された幹細胞や再生医療に関する教育研究の第一人者である西川伸一先生が代表理事を務められております。日々最新の論文を独自の視点でレビュー、発信されておりますのでご興味のある方はぜひお問い合わせください。

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