「疫病除けマンボウ」の木版画に関する研究の進展

2022.11.28

 コロナ禍が日常になってしまった現在、ワクチンも開発され、何もわからない未知のウィルスだった約3年前と比べ、新型コロナウイルスへの脅威の意識も少し下がったように感じる。しかし、新型コロナウイルス感染者が増え始めた2020年前半、緊急事態宣言の発出で行動制限がなされ、スーパーでマスクなどが品薄になったあの時、多くの人が藁をもすがる思いでこの疫病が早く終息することを願ったはずだ。あの当時、「予言獣」と呼ばれる疫病の流行などを予言し、除災の方法を告げて消える妖怪が話題になった。予言獣にはクタベ、ヨゲンノトリなどいくつか種類がいるが、最も有名になった妖怪がアマビエだ。本当に除災の効果があるかどうかは置いておいて、除災の効果があるとされるアマビエグッズを買ったりして、不安感を紛らせようとした人もいたことと思う。今回は「疫病除け」としてのマンボウについてのお話だ。

コロナ禍で公表された2例目の「疫病除けマンボウ」

 予言獣が生み出された江戸時代にもコレラなどが流行し、人々は不安な日々を送っていた。医療が現在よりも発達していなかった江戸時代、特定の珍しい動物を見ることが疫病除けに効くとの噂が流され、そのような迷信めいたものに縋った人々の記録が残されている。代表的な動物がラクダである。ラクダは当時、疫病除けの効果がある「霊獣」として扱うところがあった。

 興味深いことに、私の研究対象であるマンボウにも疫病除けに使ったという記録がある。しかし、情報が非常に少ない。私がコロナ禍前に知っていた情報は1例だけだったが、コロナ禍に入ってから2例目が公表された。それが和歌山市立博物館所蔵の「疫病除けマンボウ」の木版画だ。2021年には多くのニュースで取り上げられたので、この木版画を見たことがある人もいると思う。私は2例目が公表されたという情報を知った時、結構衝撃を受けた。2例目があったということは、もしかしたらマンボウを疫病除けに使ったという知見が、他にもどこかの古文献に残されている可能性があると感じたのだ。もっと知りたい……。そう考えた私は、和歌山市立博物館に訪問したりして、コロナ禍で新たに公表された疫病除けマンボウの木版画について、世間の関心が薄くなった後も詳しく調査を続けていた。


 和歌山市立博物館所蔵の疫病除けマンボウの木版画が公表された理由は、まさにアマビエなどの予言獣が世間で話題になっていたからだった。それまでは倉庫に保管されていたというので、コロナ禍になっていなければ、この木版画が公表されるのはもっと未来だったのかもしれない。そう考えると、この木版画のことを知れたのは嬉しいが……少し複雑な気分だ。

 本木版画は和歌山市内の男性コレクターから和歌山市立博物館に寄贈された資料群の一つで、詳細な入手背景は不明であるが、資料群には江戸時代後期~明治時代初期のものが多かったことから、この木版画も同じ時代のものと推定された。本木版画は下に別紙が敷かれていることから、元々は掛け軸の一部だったと推測されており、疫病除けのお守りのようなものとして家に飾られていた可能性が考えられている。

木版画の由来を追う。マンボウの古文献調査

 今回、本木版画の由来に迫るにあたり、妖怪研究家の氷厘亭氷泉とタッグを組んでマンボウの古文献の調査を行った。すると、国立公文書館に保存されている原南陽が1802年に著した『査魚志(まんぼうし)』の絵と類似点が多いことが判明した。本木版画と『査魚志』との類似点は以下のとおりである:マンボウの眼が上を向いていること、体全体の縁辺が波打っていること、体全体に鱗が描かれていること、口を開けて歯板が見えていること、胸鰭が上に反り返っていること、胸鰭直前に鰓孔が描かれていること、臀鰭基部直前に肛門が描かれていることである。『査魚志』のマンボウの絵は拡大すると鱗が立体的になっており、本木版画の全身にある白い小さな円は、その立体的な鱗を表したものと考えられた。


 
 本木版画は肛門が渦巻き状に描かれているなど、実物のマンボウからイラストチックにデフォルメされている。普通に考えて、デフォルメされた状態からリアルな実物は描けないと思うので、本木版画は『査魚志』が大元になったものと推測される。『査魚志』は、紀州藩からマンボウの食べ方などを教えて欲しいという要望が水戸藩にきて、水戸藩主が原南陽に本の作成を依頼し、原南陽が磯浜村(現在の茨城県東茨城郡大洗町)で漁獲されたマンボウ(上のカラー図)が解体される様子を画工に描かせ、当時のマンボウの知見も加えて作られた本である。『査魚志』はコピーされた写しが紀州を中心として広く出回ったと推測されたので、その写しを元に本木版画が描かれたものと考えられた。なので、本木版画は和歌山で作られた可能性もあるが、どこで作られたのかは厳密にはわからない。

 本木版画には、「疫病除ケ」「満方」「壹丈五尺四方(=魚の大きさは約4.5メートル四方)」の文字が書かれている。この時代、マンボウに当てる漢字は「万宝」や「馬母法烏」など複数存在したため、「満方」も正式な漢字ではなく、発音に合わせた当て字と思われる。また、約4.5メートル四方と書かれている大きさが本当なら世界記録になるが……計測方法や計測部位が不明なため、そのくらい大きな個体がいたことは窺えるが、科学的に信頼できる数値ではないと判断した。疫病除けに関する知見は、木版画に描かれているマンボウが、何らかの形で疫病除けに使われたものと察することはできるが、それ以上の情報が無いため結局よく分からなかった。私が知っていた1例目の疫病除けの事例も、「長崎ではマンボウ類を疫病除けに使っていた」という内容の一文しか書かれていないため、どのように使っていたのかは不明である。

創作の可能性も…

 しかしながら、今回の調査で興味深いこともわかった。妖怪研究者の間では、アマビエなどの予言獣は各地方に元々伝わっていた伝承ではなく、疫病流行時に江戸など都市部で創作されたものと考えられており、社会不安に乗じた業者が金儲けのために販売・配布していたらしい。ラクダを霊獣扱いして見世物にしていたのも同様の業者である。このことを考えると、マンボウは当時なかなか漁獲できない珍しい大きな魚だったため、もしかしたらこの疫病除けマンボウの木版画も、業者によって創作された可能性がある。この詳細を明らかにするためには、マンボウの疫病除けに関する知見をさらに集める必要がある。それにしても、どの時代でも社会不安に乗じて一儲けしようとする、ある意味逞しい業者が存在することは注意しておきたい。

~今日の一首~

 マンボウの
  疫病除けの
   木版画
    伝承創作
     どちらかな

参考文献

原南陽.1802.查魚志.国立公文書館 デジタルアーカイブ(請求番号「197-0153」)

澤井悦郎・氷厘亭氷泉.2022.コロナ禍で注目された「疫病除けマンボウ」の木版画および「まん延防止等重点措置」の余波.Biostory, 38: 80-84.

 

【著者情報】澤井 悦郎

海とくらしの史料館の「特任マンボウ研究員」である牛マンボウ博士。この連載は、マンボウ類だけを研究し続けていつまで生きられるかを問うた男の、マンボウへの愛を綴る科学エッセイである。

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