「何百万人もの命救った」とカリコ氏らを高く評価 130億回投与の新型コロナワクチン開発、今年のノーベル生理学・医学賞

2023.10.12 From Science Portal By 内城喜貴 / 科学ジャーナリスト、共同通信客員論説委員

 今年のノーベル生理学・医学賞はメッセンジャーRNA(mRNA)と呼ばれる遺伝物質を使った新型コロナウイルスワクチンの開発に道を開いた2人の研究者に贈られることになった。受賞者はドイツのバイオ企業ビオンテック顧問で米ペンシルベニア大学のカタリン・カリコ客員教授(68)と、同大学のドリュー・ワイスマン教授(64)の2人。スウェーデンのカロリンスカ研究所は2日の記者会見で「世界中で130億回も投与され、何百万人もの命を救った。社会が通常に戻ることを可能にした」と2人の研究業績を高く評価した。

米ペンシルベニア大学の受賞記念イベントで教員や学生らと記念写真に収まるカリコ氏(中央左)とワイスマン氏(同右)=ペンシルベニア大学提供
米ペンシルベニア大学の受賞記念イベントで教員や学生らと記念写真に収まるカリコ氏(中央左)とワイスマン氏(同右)=ペンシルベニア大学提供

 カリコ氏らはmRNAを構成する物質の一部を置き換えることにより、炎症反応を起こさずに体内に入れる技術を開発。この技術を基にビオンテックが米製薬大手ファイザーと新型コロナワクチンを共同開発し、米モデルナも同じ仕組みのワクチンを開発した。開発着手から1年も経たない2020年末に実用化され、その後世界各国に普及した。

 カリコ氏は冷戦時代のハンガリーで生まれ、つましい生活をしながら分子生物学を習得。苦労して渡米した後にワイスマン氏と出会って研究を重ねた。ノーベル財団から電話がかかってきた時は早朝で寝ていたというカリコ氏だが、その後ペンシルベニア大学で記者会見に臨み、後に続く女子学生らにエールを送った。

2023年の生理学・医学賞の受賞者を発表するカロリンスカ研究所の記者会見の様子(ノーベル財団の記者会見を伝える動画から、同財団提供)
2023年の生理学・医学賞の受賞者を発表するカロリンスカ研究所の記者会見の様子(ノーベル財団の記者会見を伝える動画から、同財団提供)

1年足らずで実用化した背景に2人の技術

 中国・武漢で新型コロナウイルスが初めて発見されたのは2019年12月。日本では年が明けて20年1月中旬に初めて感染者が確認され、瞬く間に欧米やアジア各国に感染が拡大した。一方、ウイルスのゲノム配列も感染の初確認から間もなく公表された。その後1年足らずでビオンテックとファイザーがmRNAワクチンを開発した。同年12月には英国で接種が始まり、すぐに世界に広がった。モデルナ製の接種も続いた。

 ウイルス感染症に対するワクチンはこれまで人体に無害なウイルスタンパク質などを利用していたが、開発と製造、つまり実用化まで時間がかかるという難点があった。通常10年は必要とされてきた。新型コロナウイルスワクチンがこれほど早く実用化した背景には、カリコ氏らの基礎的なmRNA技術の蓄積があった。

 mRNAは、DNAに書かれた遺伝情報をもとにタンパク質が合成される際の“中間体”として働く。mRNAワクチンはこの性質を利用し、ウイルスタンパク質そのものを注入するのではなく、その“設計図”を注入し、人体の細胞内でスパイクタンパク質を作らせる。このタンパク質を認識した体内の免疫機構が抗体を作り、本物のウイルスが体内に侵入したときに抗体が戦う仕組みだ。

mRNAワクチン接種後の人体の細胞表面にスパイクタンパク質ができる仕組みの概念図(ノーベル財団提供)
mRNAワクチン接種後の人体の細胞表面にスパイクタンパク質ができる仕組みの概念図(ノーベル財団提供)

「置き換え手法」で異物と認識されずに人体内へ

 mRNAを利用してワクチンを作るアイデアは1990年ごろからあった。しかし、mRNAは体内で分解されやすく、異物とみなされて炎症などの強い反応を起こしやすいことが障害となり、実用化は難航していた。

 ノーベル財団などの解説によると、ペンシルベニア大学の研究者だったカリコ氏とワイスマン氏は1997年からmRNAワクチン開発に伴う課題を解決する研究を本格的に開始。mRNAを構成する「ウリジン」という物質を、トランスファーRNA(tRNA)では一般的な「シュードウリジン」という物質に置き換えると、人体内で異物と認識されないことを見つけた。この「置き換え手法」の論文は2005年に発表された。2人はそれまでに数え切れないほどの実験を繰り返したという。

 カロリンスカ研究所の担当者は「mRNAに詳しかったカリコ氏と免疫学の知識があるワイスマン氏がお互いの専門知識を補うように研究を進めた」と記者会見で解説した。

 カリコ氏とワイスマン氏はそれぞれどのような経歴を持ち、やがて出会い、世界の多くの人を救う研究成果を上げるという運命を共にするようになったのか。改めて2人の経歴に注目すると、カリコ氏は1955年1月17日、ハンガリーで生まれて82年に同国のセゲド大学で博士号を取得し、同国科学アカデミーの研究所を経て85年に渡米。米テンプル大学の博士研究員、ペンシルベニア大学上級研究員などを経て、2013年にビオンテックに移った。21年からはセゲド大学の教授とペンシルベニア大学の客員教授を兼務している。

 一方、ワイスマン氏は1959年9月7日に米国で生まれ、81年に米ブランダイス大学を卒業し、87年に米ボストン大学で免疫学と微生物学の博士号を取得し、ペンシルベニア大学医学部准教授などを経て、2013年に教授になった。

mRNAを構成するウリジンをシュードウリジンに置き換えることより炎症が起きる免疫反応を抑える仕組みの概念図(ノーベル財団提供)
mRNAを構成するウリジンをシュードウリジンに置き換えることより炎症が起きる免疫反応を抑える仕組みの概念図(ノーベル財団提供)

母国で研究を打ち切られたカリコ氏、米国でも苦境を経験

 カリコ氏は2021年に慶應医学賞、22年に日本国際賞を受賞している。21年11月に開かれた科学技術振興機構(JST)主催の「サイエンスアゴラ2021」でもオンラインで講演している。授賞式や講演などで何度も来日し、講演やメディアのインタビューなどで、mRNAワクチン研究で成果を上げるまでの研究人生を振り返り、苦労や苦難の日々を語っている。

 カリコ氏自身の話や公表資料によると、生まれたのはハンガリー東部の田園都市ソルノク。第2次世界大戦の空襲を受けて荒廃したが、生まれ育ったころ町は復興しつつあった。とはいえ冷戦時代で物資は乏しく、水道もテレビもなく、生活は楽でなかったが、精肉店を営む両親と妹と送る日々は「幸せだった」という。10代のころは両親の勧めもあり生物学を熱心に勉強した。「私は好奇心旺盛な子だった。16歳の時に科学者になると決めた」と慶應医学賞受賞の講演で語っている。その後、伝統と実績があるセゲド大学に進学して分子生物学を深く学んだ。

 同大学で博士号を取得し、同国科学アカデミーの研究所で研究を続けたが、30歳を迎えた85年に研究費を打ち切られた。欧州諸国での研究を模索したが受け入れ先がなく、テンプル大学だけが受け入れてくれることが分かり、エンジニアの夫や当時2歳の長女と渡米を決意したという。当時の日本円に換算すると推定20万円あまりの手持ち資金だけを抱え、帰国することを考えない「覚悟の渡米」だったようだ。

 当時ハンガリーでは外貨持ち出しを禁じられていため、手持ち資金を長女のクマの縫いぐるみ「テディベア」の中に隠して新天地に持ち込んだエピソードは有名だ。長女は米国でボート選手になり、2008年ロンドン、12年北京の2回のオリンピックのボート競技で米国代表チームの一員として2回連続金メダルを獲得している。

 カリコ氏はその後、1989年にペンシルベニア大学に移り、ここでエイズワクチンの研究をしていたワイスマン氏と出会う。mRNAの医療応用の研究を本格的に始めたものの、扱いが難しいmRNAの研究に対する理解は広がらずに助成金も打ち切られる苦境も経験した。それでもめげずに研究を続けた。2005年mRNAワクチンの論文を発表後も当初は関心を集めなかった。決して順風満帆な研究者人生ではなかった。

日本国際賞授賞式でマスク姿の両氏(2022年4月13日、国際科学技術財団提供)
日本国際賞授賞式でマスク姿の両氏(2022年4月13日、国際科学技術財団提供)

故・古市氏の発見が貢献、日本人研究者とも交流 

 カリコ氏の講演には、2022年10月に81歳で亡くなった日本の分子生物学者・古市泰宏氏が何度も登場した。古市氏は富山大学薬学部を卒業後、東京大学大学院で博士号取得。国立遺伝学研究所でmRNAの研究を続け、1970年代半ばにRNAの先端にある「キャップ」という構造を見つけている。帽子のような形をしていることからその名前が付いた。

 この構造がないとRNAは正しく動かないという。DNAと比べてRNA、特にmRNAの研究は地味だったが、キャップの構造がなければmRNAは機能せず、タンパク質は生成できない。このためmRNAワクチン実用化につながる重要な研究と言われている。古市氏は残念ながらカリコ氏らの受賞の報を聞かずに昨年亡くなったが、コロナ禍にあって新型コロナワクチンの世界的な普及を喜んでいたに違いない。

 カリコ氏は研究分野が近いことから東京医科歯科大学で生体機能修復研究を続ける位高啓史教授や、同氏の論文レビューを担当した免疫学が専門の東京大学医科学研究所の石井健教授らと交流があった。大阪大学はホームページに「カリコ氏は本学の研究者とも縁が深い方であり、長年にわたりこの研究分野を強力に推進してきた大阪大学としてお2人の栄誉を心からお祝い申し上げます」とのメッセージを掲載している。

 また、京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥名誉所長は研究所のX(旧ツイッター)で「ご受賞おめでとうございます。対談の機会をいただいた際は粘り強く研究を進められたとお聞きし、心より尊敬の念を抱きました。mRNAワクチン技術という画期的な発明により多くの人が救われました」などとコメントした。

 親交のある日本人から祝福の声が相次いでいるが、共通する印象は「気さくな人柄」や「地道な研究も黙々と続ける粘り強さ」だ。

日本国際賞の受賞記念講演で故・古市泰宏氏の研究成果がその後の研究を進める契機になったことを説明するカリコ氏(国際科学技術財団提供)
日本国際賞の受賞記念講演で故・古市泰宏氏の研究成果がその後の研究を進める契機になったことを説明するカリコ氏(国際科学技術財団提供)

コピー機の前で出会い、「研究の壁」を語り合う

 ノーベル生理学・医学賞に決まったカリコ氏はノーベル財団の電話インタビューに「最初は誰かが冗談を言っているのかと思った」と答えたという。その後、間違いでないことが分かるとペンシルベニア大学内でワイスマン氏とそろって記者会見に臨んだ。

ノーベル生理学・医学賞受賞が決まった後、記者会見する両氏(ペンシルベニア大学提供)
ノーベル生理学・医学賞受賞が決まった後、記者会見する両氏(ペンシルベニア大学提供)

 カリコ氏は会見で嬉しそうに1997年にコピー機の前でワイスマン氏と出会った当時の様子を語った。当時コピー機は少なく、順番待ちの時間は格好の情報交換の場だった。2人とも研究は壁に突き当たっていた。「いろんなアイデアを語り合うのは素敵だった」「研究室は別のビルだったが共同研究を始めて楽しかった」。

 ワイスマン氏も「(カリコ氏と出会った当時)研究費も取れず、研究内容に関心も持ってもらえなかった。臨床試験も失敗続きだったが、カリコ氏と出会ってその後20年も一緒に研究することになった」「私たちは決して諦めず忍耐強く研究し続けた」などと述べた。

 司会者から女性の学生、研究者ら、後に続く後輩へのアドバイスを求められるとカリコ氏は「スポットライトを浴びたければ女優になればいい。指示に従いたければ軍隊がいい。でも問題を解決するのが好きなら科学はあなたのためにあります」と答えている。

ペンシルベニア大学で教員や学生らの祝福を受ける両氏(ペンシルベニア大学提供)
ペンシルベニア大学で教員や学生らの祝福を受ける両氏(ペンシルベニア大学提供)

多くの感染症ワクチンやがん治療への応用に期待

 カリコ氏は日本国際賞受賞者の記者会見で、自分たちのmRNA研究について「もともとはワクチンを作ろうとは思っておらず、医薬品に利用しようと研究を続けた。新型コロナワクチンの開発研究は(感染者を救う)倫理的な義務感からだった」と語っている。

 結果として世界の多くの人々を感染から守ったり、重症化から守ったりした。世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長も「パンデミックの制御に重要な役割を果たした」と述べているが、カリコ氏らが開発した技術は今後応用が広がる可能性が高いと予想されている。

 カロリンスカ研究所は、マラリアやインフルエンザなどの感染症のワクチンのほか、がん治療への応用が期待できるとしている。カリコ氏も研究成果を解説する講演の中で、がん細胞を攻撃する目的で免疫機構を刺激するワクチンの研究などを紹介している。

 同研究所は2氏の業績を高く評価したが、記者会見ではmRNAワクチンの安全性に対する質問も出た。これに対し同研究所の担当者は「既に130億人が接種を受けているが、副反応は限定的で大きな懸念とは考えていない。新型コロナウイルスに感染する方が長期的な健康影響がある」との見解を示した。そして「mRNAワクチンが(体内で)どのように機能するか、引き続き仕組みを説明する必要がある」と指摘した。

 ノーベル財団は科学分野の賞の種類を問わず、安全性や倫理性などに課題が残る研究成果には賞を授与しないことで知られる。今回新型コロナワクチンの技術に賞を贈ることを決めたことは賞の安全性も認めた形だが、同時に授与する責任も負ったことになる。

がん治療など、mRNAワクチン技術応用の可能性を示す概念図(ノーベル財団提供)
がん治療など、mRNAワクチン技術応用の可能性を示す概念図(ノーベル財団提供)

関連リンク

ノーベル財団プレスリリース「2023年生理学・医学賞」
米ペンシルベニア大学ホームページ

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