【IT大国インドを支えるアカデミア】前編 教壇に立つ日本人が見た現地キャンパス・支援の実像

2023.09.09 From Science Portal By 滝山展代 / サイエンスポータル編集部

 インドで9~10日、20カ国・地域首脳会議(G20サミット)が開催される。世界で最も人口が多い国となった同国は、AI・ITから月面着陸に成功した宇宙まで最先端の科学技術分野で存在感が増している。新興大国インドを支えているのは教育システムやアカデミアを通じた人材育成だ。前編ではインドに渡り教壇に立ったり、生産現場で学生を支援したりしている日本人の目を通した現地の日常を紹介。インドの強みとそこから得られる学びや今後の日本との関係の在り方を報告する。

インドの教育 幼少期から競争激しく

 インドといえば、2桁かけ算の暗算など、高レベルな数学や物理教育のイメージがある。実際に、人口の多いインドでは1、2歳の頃から保護者が「インターナショナルスクール探し」に駆け回り、「目に見える」成果を非常に大切にする。そして、貧困から抜け出すための唯一の手段が教育と信じている人が多い。「100メートル行けば言語が変わる」と呼ばれるほど方言が多いため、教育は全て英語で行われる。

インドの活気がある街並み。人口が世界最多の14億2800万人を超え、教育の競争が激化している(プラニク・ヨゲンドラさん提供)
インドの活気がある街並み。人口が世界最多の14億2800万人を超え、教育の競争が激化している(茨城県立土浦第一高等学校校長 プラニク・ヨゲンドラさん提供)

 高等教育機関として、インドには世界最高峰のAIやIT技術を学べるIIT(インド工科大学)という大学が全土に23個存在する。インド全土統一試験が行われ、成績順に上から各地の大学に振り分けられる仕組みだ。ただ、いわゆるカースト制(ヴァルナ・ジャーティ制)の色合いが残るインドでは、低位層がずっと貧困から抜け出せないという問題を克服するため、低位層の学生には点数の優遇や学費の減免がある。

 インドの大学選抜試験は文系も理系もそれぞれ統一試験が実施されるが、英語は「できて当たり前」なので試験科目にない。そのほか、歴史・倫理・道徳といった科目の試験は存在しないため、選択しない限り勉強しない。日本の大学生は日本史をある程度知っているが、インドの大学生はインドではかつて大きな文明が栄えたことやイギリス統治下にあったことなど自国の歴史を「知らなくても構わない」という意識だという。

首都ニューデリーと、ムンバイ、ハイデラバードの位置関係
首都ニューデリーと、ムンバイ、ハイデラバードの位置関係

インドで第二の教員人生 ハイレベルな学生教える

 インド工科大学のデリー校(IITD)に2021年に着任したのが東(あずま)善郎教授(原子分子物理学)だ。上智大学理工学部物質生命理工学科を定年退職し、「外国で面白い研究が続けられないだろうか」と考えていたところ、インドに縁がある知人からインドを勧められた。「インドは物理で世界トップクラス」と考えたことと、かねてから新興国に興味があったことから、インドに渡ることを決めた。

東善郎教授の授業風景。欧米の大学院に比べ、退学する学生は少ないとみている(東善郎教授提供)
東善郎教授の授業風景。欧米の大学院に比べ、退学する学生は少ないとみている(東善郎教授提供)

 東教授は現地でB Teck(ビーテック)と呼ばれる学部生と、修士課程の学生を教えている。東教授によると、B Teckの優秀な学生は大学院には進まず、大手企業に就職し、2~3年でマネジャークラスとして活躍する人も多いのだという。他方で、優秀なために飛び級をして修士課程を経ずに博士課程に進学する学生もいる。

 東教授は「シニアの外国人が就職するのは欧米の大学というイメージを覆したかった」とインドに赴任した理由を明かす。数学で飛び抜けた力を持つインド人学生たちを教えていると、日本の学生よりも熱心に授業をこなし、勉強量も多いことに気がついた。東教授は「インド人学生の持つ良さはジュガード」という。これはヒンディー語で「革新的な問題解決の方法」ということ。様々な知恵や経験が結集して課題を解決するといったインド人の持つ気質を評価しており、「『動かない機械があったが、多くの数学の知識が集まっていつの間にか手順が確立され、機械が動くようになった』など、雑多な中から生まれる成果は面白い」と感じている。

いかにして「履歴書を埋めるか」 追求するインドの学生

 もう一人、キャンパス内に日本人の女性教員の姿がある。経営管理学部の池田恵理助教はインドで教員生活をスタートした。元々開発学を専攻しており、成長の早い国に住みたいという願望があった。日本の高度成長期とインドの急成長が重なって見えていた頃に、IITDが外国人教員を募集していると聞き、「インドに呼ばれるよう」にして、着任した。

管理経済学の授業をしている池田恵理助教。身にまとうのはインドの普段着「クルタ」だ(池田恵理助教提供)
管理経済学の授業をしている池田恵理助教。身にまとうのはインドの普段着「クルタ」だ(池田恵理助教提供)

 インドの学生をみていると、上昇志向の強さをひしひしと感じるという。人口が多く、競争が激しいことに加え、「いい給与がほしい」「豊かな生活がしたい」といった個人的な願いや、多数の世代で暮らす家庭がまだ農村部には多いインドでは「家族を養いたい」といったコミュニティの要請に応えようとする学生の熱い志に圧倒される。学校が休みになるとインターンシップや研究助手に手を挙げるなど、「履歴書を埋める」ことに懸命になる姿にインドらしさを感じるのだという。履歴書が長いことはインド人にとって誇らしいこととされ、冗長なものよりも簡潔な経歴を求める日本とは全く異なる文化だ。

諸外国への円借款支援 スタートはインドから

 日本は戦後、高度経済成長を基に他国への支援を進めてきた。外務省によると、ODA(政府開発援助)による円借款の最初の支援国は実はインドだ。1958年以降、ソフトやハードの面で支援してきた。教育面も例外ではない。現在JICA(国際協力機構)が、インド南方に位置し、ムンバイから飛行機で1時間半ほどの場所にあるハイデラバードのIIT校舎の建設費や研究機材を、円借款で援助している。

 円借款のため、将来的にはインド政府が返済する債務となっているが、人口増の中で大学キャンパス整備はインド政府の課題であり、日本による国際貢献の一つとなっている。日本とインドの学生の大学間交流に関して学費を援助する「FRIENDSHIP プロジェクト」では、100人を超えるインド人学生を日本の大学に送り、修士号・博士号の取得を後押ししている。

JICAが支援して建てたインド工科大学ハイデラバード校の国際交流会館。遠方からの教員や学生が一時的に滞在するための施設で、設計は東京大学が行った(JICA提供)
JICAが支援して建てたインド工科大学ハイデラバード校の国際交流会館。遠方からの教員や学生が一時的に滞在するための施設で、設計は東京大学が行った(JICA提供)

 IITハイデラバード校の中には自動車メーカー、スズキの事務所「スズキイノベーションセンター(SIC)」が入っている。同社は2030年度に向けた成長戦略として新興国での成長貢献や電気自動車(EV)といった先端技術を用いた乗用車類の生産に力を入れており、その一環でインドを拠点としている。

 SICでは週に1度「ジャパンアワー」を設け、日本に興味がある学生60~70人が日本語を学んだり、文化に触れたりしている。参加者の中には日本企業に興味を持ち、会社見学に参加した学生も出てきた。SICの北川美沙さんは「インドは人口増加で就業機会が不足している。インドの階級社会で培われた『上からの命令には従う』ということと、日本の企業はマッチする部分があるのではないか」と分析する。

現地スタッフと打ち合わせをする北川美沙さん(写真右)。インドは労働者と労働組合の権利が強いため、成績を付けるときにはその理由を必ず添えて伝えるようにしているという(北川美沙さん提供)
現地スタッフと打ち合わせをする北川美沙さん(写真右)。インドは労働者と労働組合の権利が強いため、成績を付けるときにはその理由を必ず添えて伝えるようにしているという(北川美沙さん提供)

 日本企業がアジアに進出する際、拠点としてインドを選ぶ企業はまだ少ないが、北川さんは「次のマーケットとして選ぶ価値はあると思う。日本の製造業はアフターケアやメンテナンス、カスタマーサポートを大切にしている。インドにはまだ浸透していない価値観で、強みだと思っている」と話した。

 インド政府は半導体産業の誘致を進めている。日印両政府は7月に半導体のサプライチェーン(供給網)確立に向けた協力覚書を交わした。インドの教育レベルの高さは産業の成長にも貢献しており、進出企業にとっても魅力だ。一方で、製造や研究開発拠点作りなどに向けて米国をはじめ各国との競争も激しくなる。めまぐるしい変化を遂げるインドの社会や産業に日本も乗じることができるのかがいま、試されている。

関連リンク

経済産業省「日本企業で活躍するインド人と採用企業へのインタビュー」

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