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私たちはときどき、不思議なほど根拠が薄い話を信じてしまったり、明らかに矛盾した情報があっても「自分は正しい」と思い込み続けたりすることがあります。たとえば、いわゆる“陰謀論”を信じる人に対して、「どうしてそこまで強く信じられるのだろう?」と疑問を抱いた経験はないでしょうか。
こうした「誤信念」にまつわる問題は、昔から哲学者や心理学者たちの関心を集めてきました。最近では、脳科学や認知科学の分野で新しいヒントが見つかりつつあります。そのヒントとは「脳はただ外界の情報を受け取るだけでなく、“予測”を立てながら世界を理解している」という考え方です。本稿では、予測符号化理論と呼ばれる枠組みをベースに、脳内で重要な役割を担うドーパミンという物質が、誤信念を形成・維持する仕組みにどう関わっているのかを分かりやすく解説していきます。
まず押さえておきたいのは、脳は単なる“情報受信機”ではないという点です。私たちはしばしば、「目や耳から入ってきたデータをそのまま脳が読み取っている」とイメージしがちですが、実際には少し違います。脳は外界の出来事を受け取る前から、「次に何が起こるだろう?」という予測を立てており、現実とのズレ(誤差)を確認しながら自分の理解を更新しているのです。
この見方は予測符号化理論と呼ばれ、近年の認知神経科学を支える代表的なモデルになっています。予測と現実が大きく食い違えば、脳は「誤差が大きいぞ」と捉え、仮説を修正しようとします。逆に誤差が小さければ、従来の仮説が合っていると考え、あまり変更を加えない――これが基本的な仕組みです。
さらに、この理論には「自由エネルギー原理」という概念も関係します。人を含む生物は、環境から受け取る“驚き”や“不確実性”をできるだけ減らそうとする、という考え方です。脳が積極的に先回りして予測を立てるのも、そのほうが誤差を小さく保ちやすく、結果としてよりスムーズに日常生活を営めるからだと考えられています。
本来ならば、脳の予測と実際の情報の間にズレがあると、私たちはその誤差を学習のきっかけにして、仮説を修正していきます。たとえば、「このお店のコーヒーは安いはずだ」と思っていたのに高かったら、「思ったより高いんだな」と考えを変えられるのが正常な学習プロセスです。
しかし、何らかの理由で誤差が正しく処理されず、「自分の予測と合わない情報」を無視したり曲解したりしてしまうことがあります。これが極端に進むと、事実とはかけ離れた仮説を抱き続ける――いわゆる「誤信念」に陥るのです。
たとえば、陰謀論を信じる人は、「政府(あるいは巨大組織)が裏で何か悪事を働いている」という仮説を強く持っています。そのため、それに合わないニュースやデータがあっても「その情報は政府側が作った偽情報だろう」と解釈してしまい、自分の仮説を補強し続けるのです。つまり、本来は“学習チャンス”になりうる誤差が、無視されてしまいます。
精神医学の領域でも、統合失調症などで見られる被害妄想(「誰かに監視されている」と強く信じてしまう症状)が、同じ仕組みで説明できるのではないかと言われています。ほんの些細なきっかけを“意味深なサイン”として過剰に受け取り、「やはり誰かが監視している」とますます確信してしまうわけです。
次に注目したいのがドーパミンという神経伝達物質です。以前は「快楽ホルモン」として知られていましたが、今では「報酬予測誤差」を脳に知らせる物質だと理解されています。要するに、「思っていたより良かった!」「思っていたより悪かった!」というズレをシグナルとして伝え、脳に学習を促す役割を担っているのです。
• ドーパミンが過剰に放出されると:
些細なズレでも「これは大変だ!」と大きく意味づけしてしまうので、「これは特別な事象だ」と過度に認識してしまう恐れがある。
• ドーパミンが不足していると:
本来なら「ここを直さなきゃ」と思うレベルのズレでも、「まあ、そんなに気にしなくていいか」と見過ごしてしまい、誤ったままの仮説を放置する可能性がある。
こうしたドーパミン機能の偏りが、脳の“誤差処理”システムをゆがめ、誤信念を形成・維持する一因になると考えられます。統合失調症などの症状を説明するモデルとしては「異常なサリエンス(意味づけ)仮説」が有名です。わずかな刺激に対してもドーパミンが過剰に放出されることで、本来は無関係な出来事を「自分に対するメッセージだ」と誤解してしまう――これが妄想を生み出すきっかけになるのではないかと言われています。
では、なぜ人によって「誤信念に陥りやすい人」「そうでもない人」がいるのでしょうか。一つの要因として考えられているのが、ドーパミン機能を左右する遺伝子多型(一塩基多型:SNPなど)の存在です。
SNP(スニップ:1塩基多型)とは|初めての遺伝子検査
たとえば、ドーパミン受容体(D2)の遺伝子、またはカテコール-O-メチルトランスフェラーゼ(COMT)遺伝子と呼ばれるものの中には、わずかな配列の違いがあり、それによってドーパミンの働きが微妙に変化します。こうした違いが「報酬をどれだけ強く感じやすいか」「予想外の情報をどの程度重視するか」に影響を与える可能性が指摘されているのです。
もちろん、誤信念は遺伝だけで説明できるわけではありません。私たちが育った環境、受けてきた教育、日常的に接している人間関係など、社会的な要因も非常に大きな影響を持ちます。ただし、脳が「予測と誤差」で動いている以上、ドーパミンの個人差が誤信念の形成リスクに関係していると考えるのは自然なことでしょう。
「では、誤信念を抱いている人にどう対処すればいいのか?」――それは非常に難しい課題です。何かを強く信じている人は、たとえ矛盾する証拠を示されても「それこそが陰謀では?」とより深く疑い、逆に防衛的になってしまうことがあります。
しかし、脳の学習メカニズムを踏まえると、完全に手がないわけではありません。
1. 丁寧な対話を重ねる
頭ごなしに「間違っている!」と否定すると、防衛本能によって誤信念がより強固になる可能性があります。相手の視点をある程度受け止めながら、少しずつ「矛盾点」や「ほかの可能性」を認識してもらうことで、脳に“誤差”を感じる場面を作ることが大切です。
2. 安全な環境や信頼関係の構築
人は自分の大切な信念が揺らぎそうになると、心理的に不安になります。その不安を和らげるような安心できる場があると、誤差を素直に受け入れやすくなるという指摘もあります。
3. 「自分の予測は絶対ではない」と意識する
自分自身が誤信念を持つ可能性は、だれにでもあります。脳は常に予測をしているからこそ効率的に世界を処理できる反面、偏りが生じやすい仕組みでもあるわけです。「本当にそうなのかな?」と自問自答する癖をつけるだけでも、誤信念にはまりこむリスクを下げられるかもしれません。
私たちは外界の情報をただ受け身に処理しているわけではなく、脳内で積極的に予測を作り出しています。そして、その予測が間違ったまま修正されないときに「誤信念」が生まれるのです。ドーパミンは、この“予測”と“誤差修正”をコントロールする要として働き、ときに誤学習を引き起こすことさえあります。
しかし、そもそも「信じる」という行為がなければ、私たちは複雑な社会や将来の見通しを持ちながら生活することは難しいでしょう。誤信念はこの“信じる力”の裏返しとも言えます。
最終的に重要なのは、「脳は予測する装置である」という理解です。この仕組みを知っておけば、自分自身の思い込みや他者の固執する信念に対して、少し冷静に向き合えるかもしれません。たとえ完全に誤信念を防げなくても、“予測”の働きを意識することで、新しい情報や意見を受け入れる余裕を持ちたいものです。