著者紹介:西川 伸一
京都大学名誉教授。医学博士であり、熊本大学教授、京都大学教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長などを歴任した生命科学分野の第一人者である。現在はNPO法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン (AASJ) 代表理事を務めながら、1日1報、最新の専門論文を紹介する「論文ウォッチ」を連載している。
【主な活動場所】 AASJ(オールアバウトサイエンスジャパン)
オールアバウトサイエンスジャパンは医学・医療を中心に科学を考えるNPO法人です。医師であり再生科学総合研究センター副センター長などを歴任された幹細胞や再生医療に関する教育研究の第一人者である西川伸一先生が代表理事を務められております。日々最新の論文を独自の視点でレビュー、発信されておりますのでご興味のある方はぜひお問い合わせください。
このライターの記事一覧
研究側にいると、遺伝性の希少疾患の治療法開発が加速しているように感じる。実際 CRISPR/Cas を用いる遺伝子編集の臨床治験成功の論文を目にするようになったし、ClinicalTrial Gov. でも100近い治験が進んでいる。さらに、遺伝子疾患を遺伝子治療ではなく薬剤で治療する試みも進んでいる。なんと言っても昨年の一押しは FOP 患者さんで新しい異所性の骨形成を完全に抑制する内服薬の開発についての論文だが、他の遺伝子疾患でも薬剤探索が進んでいる。
CONTENTS
本日紹介する論文
今日紹介するイェール大学からの論文は、滑脳症と呼ばれる脳の皮質が肥厚して脳のしわ(脳回)ができなくなる病気を、現在うつ病の治療薬として治験が行われている内服薬で治療できる可能性を示した研究で、1月1日 Nature にオンライン掲載された。
タイトルは「Dysregulation of mTOR signalling is a converging mechanism in lissencephaly(mTOR シグナル異常は滑脳症共通のメカニズム)」だ。
解説と考察
滑脳症の原因遺伝子としては10種類以上の遺伝子が知られており、多様なメカニズムで起こる状態だと考えられているが、組織学的には神経幹細胞から発生した神経細胞が分化して移動する過程が傷害されている。
このグループは、これまで知られていなかった滑脳症の原因遺伝子として PIDD1 遺伝子を特定し、この機能を研究する目的で、PIDD1 変異患者さんから iPS細胞を作成、さらに正常 iPS細胞に PIDD1 変異を導入し、滑脳症形成過程を試験管内で調べている。
期待通り、神経オルガノイド形成初期からこの変異により脳室側に存在する幹細胞の数が増えていることがわかる。さらに時間がたつとオルガノイド最外層の Cortical Plate が肥大することを突き止める。細胞学的には神経幹細胞の増殖が高まり、分化が遅れることで起こる異常であることが特定される。
そこでこの細胞学的変化の背景を single cell RNA sequencing を用いて正常オルガノイドと比較することで調べると、一番目立つ変化として mTOR 経路の分子の発現異常が特定される。また、プロテオームの解析でも、同じように mTOR シグナルの低下による変化が最も目立つ変化として特定された。
残念ながらなぜ PIDD1 機能低下により mTOR シグナルが低下するのかについては特定されていない。しかし、他のタイプの滑脳症からiPS細胞、そして脳オルガノイドを作成し、プロテオームを調べると mTOR シグナル異常が見られることを発見している。
そこで、現在うつ病の治療薬として治験が進んでいる内服で脳特異的に作用する mTOR 活性化剤 NV-5138 を培養に加えると、PIDD1 異常だけでなく、他の原因の滑脳症 iPS細胞由来の脳オルガノイドの組織学的変化が正常化する。さらに重要なのは、オルガノイド形成50日目ですでに cortical plate 肥厚が起こってしまった後でも、この薬剤を加えると細胞の分化と移動が促進され、正常の脳構造がかなり回復する点で、生後に治療を行っても効果が得られる可能性がある。
まとめと感想
以上が結果で、子供には使われたことはないと思うが、第一相の安全性試験はクリアされた薬剤なので、比較的早い時期に滑脳症にも適用されるのではと期待する。