【新論文】327年ぶり(たぶん)に岡山県で記録されたマンボウの話

2024.07.05

北木島(岡山県)

 

 「持つべきものは友達」とはよく言ったもので、私の場合、基本的に一日中家に引き籠っているので、リアルで話す友達はほぼ皆無だが、X(旧Twitter)上にはたくさん知人がいる。

 マンボウ属は体サイズが大きく、多くの人が知っている特殊な形態をした魚類であるために、インターネット上のSNSなどにも写真や動画をアップロードされやすい。私はSNSを活用して、これまで知られていなかった地域からのマンボウ属の分布も明らかにしてきた。まさに現代らしい市民科学の活用法と言えよう。

 そんな中、今回は実に"327年ぶり"となるニュースがSNSを起点に生まれたので、記事にしたい。

岡山県近海でマンボウの漁獲

 今回、2024年6月上旬に知人のXユーザーから、Facebookに瀬戸内海で漁獲されたマンボウ属の情報が上がっているよとの連絡が来た。Facebookはめったに見ないので、こういう情報を頂けるのはありがたい。早速そのページを確認すると、道の駅笠岡ベイファームが、マンボウ属が獲れることは珍しいので、一般向けに一定の期間展示しているとのことだった。

 幸運にもアップロードされた写真には漁獲場所と思しき情報が載っていた。漁獲場所は笠岡……調べてみると、岡山県だった。岡山県近海でマンボウ属が漁獲されたという情報は、澤井(2016)として論文を書いたことがあったのですぐに思い出したのだが……それは今から327年前の記録である。

 この古記録以外でマンボウ属が岡山県近海で漁獲された記録はあったかな……とすぐに思い浮かばなかった。実際、瀬戸内海でマンボウ属が漁獲されることは珍しい。もしやこれは貴重な情報になるかもと思い、私はすぐに道の駅笠岡ベイファームに連絡を取った。

 

 以前の記事で紹介したように、私はマンボウ属が漁獲されたら提供して欲しい基礎的な情報を道の駅笠岡ベイファームに伝え、「2024年6月5日に笠岡諸島の北木島(岡山県笠岡市北木島町)の沖合に設置された定置網で漁獲された全長80 cmの個体」であるとの情報を得た。

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 研究に協力して頂けるのは非常にありがたいことである。心から感謝したい。複数送って頂いた写真をよく観察すると……確かにマンボウであることが確認できた!

更に掘り下げ、個体を識別していく

 この個体は全長1m以下なので、ウシマンボウの目立つ外観的特徴である頭部と下顎下部の隆起による識別法が使えない(ウシマンボウの頭部と下顎下部は成長とともに発達するが、全長1m以下ではまだ全く隆起していない)。

 

 となると、他の識別点を観察する必要があるのだが……この個体には胸鰭より後方にある体表の盛り上がったシワが観察され、舵鰭縁辺部の骨板数が8個あり、また舵鰭も全体的に少し波打っていることが写真からでも分かった。これらの特徴はすべてマンボウに当てはまるため、この個体はマンボウと同定された。

 

 今回の新しい発見としては、日本近海におけるマンボウとウシマンボウの簡単な識別点として有効な胸鰭より後方にある体表の盛り上がったシワが、今までは全長90cm以上の個体で有効とされていたのだが、全長80cmのマンボウにもこの体表の盛り上がったシワが確認されたので、この形質は全長80cm以上で有効であることが分かった。逆に全長80cm以下の個体ではこの盛り上がったシワがマンボウにあるかどうか現状では不明なので、調べる必要がある。今後の私の課題だ。



 さて、岡山県の海は播磨灘と備讃瀬戸という人類が境界線を引いた2つの海域に属している。一方、播磨灘と備讃瀬戸はそれぞれ別の府県をも含む海域を指す。つまり、播磨灘で漁獲された、もしくは備讃瀬戸で漁獲されたという記録があったとしても、それイコール岡山県の記録とは言えないのである。以下に登場する文献は、ここでは省略するが、澤井(2024)に詳細なリストがあるので、気になった方は論文の方をチェックして欲しい。

 

 私はまず、マンボウ属の全国的な分布を扱った文献(相良・小澤,2002;太平洋資源開発研究所,2005;Yoshita et al., 2008;波戸岡・萩原,2013;池田・中坊,2015;澤井,2017)を調査した……が、それらの文献には岡山県からのマンボウ属の記録は書かれていなかった。主要な文献に書かれていないということは、この時点で岡山県にマンボウ属が出現すること自体が稀であることを意味している。

 

 続いて、播磨灘における文献を調べると、6つの文献にマンボウ属のことが書かれていた:石丸(1721),白井(1934),石丸(1965),鴨川シーワールド(2010),西松(2017),増田(2018)。

 これらのうち、石丸(1721)以外の文献は、府県が特定できない、もしくは写真や絵が無くて種を同定できなかった。石丸(1721)は古い文献だが、マンボウと同定できる絵が描かれており、元禄10年(1697年)4月9日に兒嶋郡胸上村(現在の岡山県玉野市胸上の周辺)で漁獲されたことが記述されていたので、岡山県でマンボウが漁獲されたことを明確に示している。つまり、327年前に岡山県の海域でマンボウが獲れていたことは確実なのだ。

 

 一方、備讃瀬戸におけるマンボウ属の記録は、山田ほか(2007)と鴨川シーワールド(2010)が見つかったが……2文献とも府県も種も特定できなかった。つまり、これらを総合すると、今回、道の駅笠岡ベイファームで展示されていたマンボウは、備讃瀬戸にもマンボウがいたという明確な証拠となるものであり、岡山県からの確実なマンボウの記録としては、327年ぶりとなる可能性がある。また、おそらくであるが、笠岡諸島および北木島からの学術的なマンボウの記録は本研究が初になると考えられた。

 

 マンボウは過去から現在まで膨大な数の文献があるので、もちろん、今回私が見逃してしまった文献の中に、岡山県で漁獲されたマンボウの他の記録が存在する可能性も十分にある。しかし、結構多くの文献をチェックしたので、岡山県でマンボウが漁獲されることは結構珍しいのではないかと思っている。

 

 道の駅笠岡ベイファームの方の話では、北木島近海でマンボウ属は稀に獲れるらしいとの話なので、実際のところ、どのくらい珍しいのかはもっと詳しく調べてみないと分からない。瀬戸内海で確実にマンボウと同定できた情報は非常に少ないので、もし、瀬戸内海でマンボウ類と遭遇することがあれば、私に写真を送って下さると嬉しい!


 岡山県
  マンボウ記録
   かなり稀有
    今後もデータ
     収集必要

 

参考文献

澤井悦郎.2016.正宗文庫蔵『備陽記』にみられた日本最古と考えられるマンボウの絵に関する考察.Biostory, 26: 97–101.

澤井悦郎.2024.写真に基づく北木島(笠岡諸島,岡山県)から得られたマンボウの確かな記録.Nature of Kagoshima, 51: 55-58.

【著者情報】澤井 悦郎

海とくらしの史料館の「特任マンボウ研究員」である牛マンボウ博士。この連載は、マンボウ類だけを研究し続けていつまで生きられるかを問うた男の、マンボウへの愛を綴る科学エッセイである。

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