Prosopometamorphopsiaの患者さんが見ている顔のイメージを再現する(3月23日号  The Lancet 掲載論文)

2024.04.15

まず今日紹介する予定の The Lancet 論文に掲載されているクイズの写真を見てほしい

(https://www.thelancet.com/doi/story/10.1016/pic.2024.03.21.109783)

 

左の人の顔が右のように見えると患者さんが訴えた場合、診断名は何か?が問題で、Prosopagnosia、Prosopometamorphopsia、Capgras syndrome、 Palinopsia の中から選ぶ。この論文を読む前に答えの出る医師は、Chat-GPT 並みのテキストが記憶されている人だろう。

 

ただProsopagnosia は鼻や目は見えているのに人の顔と認識できない事だとわかるし、Palinopsia は顔が何度も見えると錯覚する反復視のことで、専門医なら答えから除外するだろう。

 

おそらく専門医でもCapgras 症候群を知っているのはかなり知識の豊富な医師で、配偶者を含む親しい人を、他の人物で置き換えられていると錯覚する厄介な病気のようだ。とするとこの病気も除外でき、残る答えは Prosopometamorphopsia になる。

 

とはいえどんな病気か全くわからないので PubMed で調べると、オランダ・ハーグにある Parnassia 精神研究所から、施設で経験した8例と、それ以前に報告されていた73例についてまとめた総説が2020年に発表されていた。

これを読むと、Prosopometamorphopsia とは、脳の損傷や腫瘍によって起こる極めて稀な症状で、人間の顔だけが歪んで見えると訴える。

 

この時、自分の顔が歪む、他人の顔が歪む、顔の片方が歪む、さらには動物の顔に見えるタイプに分けられるが、他人の顔の片方というのが66%、自分の顔の一部が歪むのが4%、他人の顔も自分の顔も歪むケースが30%になる。

 

これを読んで思い出したのが、東京芸大の美術系の学生さんと飲む機会があったとき、自分の顔を鏡なしにかけますかと聞くと、ほとんどの人が即座に描けると答えていたことだ。ところが私自身、鏡で何度も見ているのに、鏡がないと自分の顔が思い浮かばない。

 

頭の中に埋め込まれた形態のイメージが、実際の視覚を統合して顔認識が行われることを考えると、これが他人の顔だけ歪んで見えるケースが66%に達するのは、一般人では自分の顔の鋳型が埋め込まれている確率が低いからかも知らない。

 

このように、Prosopometamorphopsia は脳損傷により、顔の見た時の視覚インプットをトップダウンに統合するイメージ形成の異常と考えられるが、事実 Prosopometamorphopsia に至る障害は、後頭部資格や、脳梁、頭頂野の右側に集中している。

 

このような神経学的所見から、この論文は Prosopometamorphosia から、我々は経験を通して脳内に形成される鋳型に、現実に見ている顔の部分を当てはめることで顔のイメージを形成しているという、先に鋳型ありきの仮説を提案している。

 

またこの鋳型も、いくつかの部位を統合して形成されるため、さまざまな領域間のネットワークが働いており、その一部が壊れると、歪んだ顔になると結論している。

 

本日紹介する論文

今日紹介する論文は、今紹介した総説で詳しく述べられた Prosopometamorphosia の症状と一致する典型例の一例報告になる。

 

タイトルは「Visualising facial distortions in prosopometamorphopsia(Prosopometamorphopsiaで患者さんが見ている顔の歪みを可視化する)」で、3月23日号の The Lancet に掲載された。ただ、稀な病気とはいえ、これだけまとまった研究があるのに、わざわざThe Lancetが掲載したのには大きな理由がある。

 

解説と考察

この58歳男性症例は双極性障害の病歴があり43歳で脳損傷、55歳で一酸化中毒を経験している。そして MRI 検査で右海馬に嚢胞が見られるが、それ以外の変化ははっきりしない。

 

もし海馬の嚢胞が原因であれば、これまでの症例とは全く異なり、顔の鋳型形成ネットワークの複雑性を示す新たな例になる。しかしこの所見は掲載された理由ではない。

 

この論文のハイライトは、この患者さんでは、実物ではなく、写真やモニター画面に現れる顔は歪まないことを利用して、実物を見た時どのように患者さんには見えているのかを、モニター画面の顔のイメージを操作して再現に成功している点だ。

 

すなわち、実物を横に置いて、同じ顔をモニターに投影し、実物と比べながらモニターの顔を変化させ、患者さんが納得できるイメージを画面上で再現した。それが、最初に見てもらった写真になる。

 

まとめと感想

この結果は、実物と画面が並んで提示されているという状況を完全に把握できていても、実物を見ているというシグナルが、並んで置いてある画面に視線が移ると入らないため、異なる像がイメージされている点で、顔認識ネットワークの複雑性とともに、主観と客観という哲学の問題が、脳科学で新しい解釈を与えられているのがわかる。

 

考えてみると、このようなイメージを絵にした画家で最も有名なのは、フランシス・ベーコンだろう。例えばヒューストン美術館のサイトを見てもらうと(https://www.mfah.org/blogs/inside-mfah/understanding-francis-bacon)、まさに歪んだ顔が表現されている。

 

ベーコンは正常の顔も描いているので、おそらく彼には両方がイメージできたのではと思う。芸大生には自分の顔の鋳型があるのと同じで、画家には凡人の持たないさまざまな鋳型があり、それを私たちは楽しんでいる。

著者紹介:西川 伸一

京都大学名誉教授。医学博士であり、熊本大学教授、京都大学教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長などを歴任した生命科学分野の第一人者である。現在はNPO法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン (AASJ) 代表理事を務めながら、1日1報、最新の専門論文を紹介する「論文ウォッチ」を連載している。

【主な活動場所】 AASJ(オールアバウトサイエンスジャパン)
オールアバウトサイエンスジャパンは医学・医療を中心に科学を考えるNPO法人です。医師であり再生科学総合研究センター副センター長などを歴任された幹細胞や再生医療に関する教育研究の第一人者である西川伸一先生が代表理事を務められております。日々最新の論文を独自の視点でレビュー、発信されておりますのでご興味のある方はぜひお問い合わせください。

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