新しい発想のK-Ras阻害剤開発等 2023年 3つの論文の振り返り(10月号 米国化学会雑誌)

2024.01.09

世界ではとどまることのない憎しみの応酬が続き、我が国では法を平気で破る無頼の輩の巣窟に成り下がった立法府が放置されたままの今日だが、生命科学の進展を振り返ると、生成AIの波を始め、新しい年へと続く多くの興奮があった。

 

これについては、YouTube で2023年の生命科学の一押しについて紹介しているので是非ご覧いただきたい。

 

今日は、この時私の一押しとして紹介した論文を再掲しておく。

 

本日紹介する論文①

私の印象に残った進展は2つで、一つは5月8日に紹介した、頭の中で考えていることを非侵襲的に fMRI で解読することに成功したテキサス大学からの論文で、fMRI 一人16時間という大変な実験だが、漫画を見て頭に浮かんだ文章をかなりの正確さで解読できるところまで来たのは驚きだ。

 

また、解読にChatGPTの原点であるGPT-1を用いている点も、実際の脳とAIを組みあわせる研究という新しい方向性を示している様に思えた。

 

本日紹介する論文②

もう一つの一押しが、新しい発想に基づくK-Ras阻害剤の開発だ。HPでは8月19日、スローンケッタリング研究所から発表された、K-Ras のポケットを化合物で塞ぐのではなく、イムノフィリンと呼ばれるシャペロン様蛋白質を K-Rasnと結合させて阻害する方法を紹介した。蛋白質同士の結合なので、変異に関わらず阻害でき、耐性がでにくい。

 

本日紹介する論文③

今日、これに加えて紹介したいのは我が国の中外製薬の研究所から10月号の米国化学会雑誌に発表された論文で、既に第一相の試験まで進んでいる、変異の種類を問わない K-Ras阻害剤の開発だ。

 

このHPでは原則として我が国からの論文は他のメディアでも紹介されるからと、紹介してこなかったが、この研究は新しい発想の創薬である点、さらに開発までの過程が詳しく書かれている点、そして K-Ras にとどまらず、新しい阻害剤開発につながる点で素晴らしい論文で、遅まきながらではあるが今日紹介することにした。

この研究は、真菌から分離された環状ペプチドでできた免疫抑制剤サイクロスポリンが、経口投与可能で、細胞内に到達して働くことにヒントを得て、環状ペプチドが薬剤として利用できる条件検討から始めている。これまでもペプチドを用いた創薬は行われてきたが、この研究の特徴はまず薬剤として使うための条件検討、すなわち創薬基盤の構築から始めている点で、感心する。

 

553ペプチドについてまず薬剤としての利用可能性を調べると、8−12アミノ酸からなるペプチドで、一定の脂肪への親和性を持ち、天然にはないN-アルキル化アミノ酸を備えた環状ペプチドであれば細胞内に到達すること、またこの条件を満たすペプチドの多くは経口投与可能で、血中濃度を維持できることを明らかにしている。

 

詳細はすっ飛ばしているが、この辺の実験と記述は圧巻で、創薬への意志とは何かがよくわかる。役所の意向に忖度して枕詞のように創薬の可能性に触れている多くの申請書がいかに薄っぺらかが、この論文を読めばよくわかる。文科省、厚生省、AMEDのメンバーには是非一読を勧めたい。

 

さて、薬剤利用可能性の条件が整うと、今度は環状ペプチド合成のための様々な条件設定が待っているが、これも省略する。この結果、異なるmRNA配列に合わせて、様々な修飾アミノ酸がランダムに取り込まれ、薬剤利用可能な環状ペプチドを大規模に合成したライブラリーができる。そしてこの基盤が創薬に使えるか、最初の試金石としてこれまで創薬のチャレンジをはねのけてきた K-Ras を選んだのもさすがだ。

 

スクリーニングの結果 AP8784ヒット環状ペプチドを特定し、SOS結合部位に広く結合していることを確認している。その後、C末のアミノ酸のN-アルキルパターンを変化させて脂肪への親和性や K-Ras結合性がさらに高まるよう変化させ、ついにLUNA18という経口可能で、正常の K-Ras を含むほとんどの K-Ras変異を抑制し、移植ガンの増殖を完全に抑えることを確認している。実際、有効濃度が30pMというのは素晴らしい。

 

正常K-Ras も抑えるので、少し心配になるが、サルを含む様々な動物での投与実験の後、10月の時点で第1相の臨床治験に入っているという。

 

これまで論文上では Ras阻害剤研究で我が国の存在感はほとんどなかったが、一躍トップに躍り出た感じだ。しかも新しい発想で素晴らしい。素人ながら考えると、小分子化合物と異なり、環状ペプチドが”べたっ”とつくことで Rasの可塑性を押さえ込んでいる様に思える。先に紹介したスローンケッタリング研究所の基盤と比べても遜色ない。是非第3相までスムースに進むことを願う。

 

このように、2024年はK-Ras制御によるガン治療の本当の元年になることを祈る。

著者紹介:西川 伸一

京都大学名誉教授。医学博士であり、熊本大学教授、京都大学教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長などを歴任した生命科学分野の第一人者である。現在はNPO法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン (AASJ) 代表理事を務めながら、1日1報、最新の専門論文を紹介する「論文ウォッチ」を連載している。

【主な活動場所】 AASJ(オールアバウトサイエンスジャパン)
オールアバウトサイエンスジャパンは医学・医療を中心に科学を考えるNPO法人です。医師であり再生科学総合研究センター副センター長などを歴任された幹細胞や再生医療に関する教育研究の第一人者である西川伸一先生が代表理事を務められております。日々最新の論文を独自の視点でレビュー、発信されておりますのでご興味のある方はぜひお問い合わせください。

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