憎しみの脳科学:そのメカニズムと対処法

2023.11.29

私達には様々な感情がある。その中でも「憎しみ」は、非常に扱いにくい感情の一つである。憎しみは心の奥深くで長い間燃え続け、時に自分や他者の人生を蝕んでしまうことがある。しかし、憎しみとは一体どのような感情なのだろうか。今回の記事では、憎しみと関連する心と脳の仕組みについて考えてみたい。

 

憎しみの心理学

憎しみと良く似た感情に怒りがあるが、アリストテレスは、その著書、『弁論術』でその違いについて論じている(戸塚, 1992年)。以下はそれをまとめたものである。

このように並べてみると、憎しみのほうがより扱いにくい感情であることが分かる。怒りは自分が直接関わった相手だけに向けられるのに対して、憎しみは顔も名も知らぬ幅広い人に向けられる。そして、怒りは時間が経てば和らぐことがあるが、憎しみは相手を抹消するまで消え去ることがない。

また、憎しみと似た感情として、復讐心や屈辱感、軽蔑感などもある。アムステルダム大学の心理学者、フィッシャー教授はこれらの感情を以下の図に示す図にまとめている。

Fischerら, 2018年、figure 1を参考に筆者作成

それぞれの感情の目的については、怒りは標的を変化させること、軽蔑は社会的に除外すること、屈辱感は自己防衛的に身を引くこと、復讐は苦しみの均衡を回復すること、そして憎しみは標的を破壊することと論じられている(Fischer, 2018年)。また図を見てもらえば分かるように、憎しみは他のネガティブな感情を包含する広範な感情であることも示されている。

進化論的観点からは、憎しみにはグループの生存を高める意味があったと言われている。限られた資源をめぐって他グループと争っている状況下で、憎しみを利用して相手を殲滅できる方が有利だったからである(Zhu, 2022年)。つまり憎しみとは、過酷な環境下で生き残るための適応的な感情だった可能性もある。

 

 

憎しみの脳科学:脳内ネットワークと非人間化

セミール・ゼキ博士は、美と脳の関係を探る神経美学で知られているが、憎しみと脳の関係についても研究も行っている(ZekiRomaya, 2008年)。実験では、被験者に憎い人物や中立的な人物の顔を見せ、その時の脳活動を測定している。加えて、被験者に憎しみの程度についても回答させ、憎しみと脳活動の関連を調べている。

ZekiとRomaya, 2008年, Figure 1. 顔の一例

 

結果として、憎しみが強いほど、島皮質や運動前野、内側前頭回、被殻といった脳領域の活動が高まることが示されている。

ZekiとRomaya, 2008年, Figure 5.

 

ちなみに島皮質は、美味しい、悲しいなどの情動的な知覚に関わる領域である。また運動前野や内側前頭回は、走ろう、投げようなど、運動の準備に関わる領域である。そして被殻は脳の奥深くにあって、嫌悪感や運動のコントロールに関わる領域である。総じてこれらの脳領域の活動の高まりは、憎い相手への攻撃衝動と嫌悪感の高まりを反映しているのではないかと論じられている(ZekiRomaya, 2008年)。

さらに、これらの脳領域の繋がりが、うつ病で弱まることを示した研究もある。この研究ではうつ病患者の脳内ネットワークを調べているが、憎しみと関連する脳領域の繋がりが弱くなっているというのだ(Tao, 2013年)。このような変化は、うつ病で憎しみが弱まることと関連しているのではないかと論じられている。

また憎しみと関連の深い心理メカニズムとして、「非人間化」がある。これは文字通り、相手を人間以外の存在へと認知する傾向を指す。非人間化された相手への攻撃を正当化しやすくする効果があると考えられている。ある研究では、被験者に人種や職業などのカテゴリーを提示し、非人間性や類似性などの評価をさせる実験を行った。すると、非人間的な評価と相関して、下前頭回の活動が高まることが明らかになった(Bruneauら, 2018年)。

Bruneauら, 2018年, Figure3を参考に筆者作成

 

下前頭回は、言語処理や概念形成などの高次脳機能に関与している。したがってこの結果は、非人間化が単なる感情的反応ではなく、むしろ言語や概念に基づいた理性的プロセスであることを示唆している。「あいつは人間ではない」という理性に欠けた判断は、逆説的に高度な認知機能を必要としているのかもしれない。

 

 

憎しみを和らげる方法

それではこの根深い憎しみを緩和する方法はあるだろうか。関連文献を調査してみたが、憎しみそのものを直接的に「治療」する研究報告はほとんどないことが分かった。これは抑うつや不安障害などに関する膨大な研究報告数と対照的である。ただし、アートセラピーが憎しみの緩和にある程度寄与しうることを示唆する報告はある。創作活動を通じて自己理解が促され、対象へのまなざしが多面的になることで、憎しみが和らぐ可能性があるというのだ。しかし他方で、根深くアイデンティティと結びついた憎しみを完全に払拭するのは容易でないとの指摘もある。この点では依存症の治療と同様の困難さがあるという(Simi, 2017年)。また進化心理学の観点からは、憎しみが生存可能性を高める適応策として獲得された、ある意味「正常な」感情であるという指摘もある。憎しみが「正常」なものであるなら、それを「治療」することも難しい。やはり憎しみは扱いが難しいのかなとも思ってしまう。

 

 

まとめ

では、ここまでの内容をまとめてみよう。

 

  • 憎しみの目的は相手を抹消することである。
  • 憎しみの原因は、相手が「何をしたか」ではなく、「何であるか」である。
  • 憎しみには高次の脳領域が関わっている。
  • 憎しみを「治療」する方法は確立されていない。

 

限られた資源を奪い合う時代であれば憎しみにも効用があったのかもしれない。しかし21世紀に生きる現在、憎しみは効用よりも弊害のほうが大きい。憎しみは理性の誤作動のようなものかもしれない。誤作動そのものを止めることは難しいが、それを自覚することはできる。私達の脳は不完全である。その不完全さを理解した上で、より善い生を歩んでいきたい。

著者紹介:シュガー先生(佐藤 洋平・さとう ようへい)

博士(医学)、オフィスワンダリングマインド代表
筑波大学にて国際政治学を学んだのち、飲食業勤務を経て、理学療法士として臨床・教育業務に携わる。人間と脳への興味が高じ、大学院へ進学、コミュニケーションに関わる脳活動の研究を行う。2012年より脳科学に関するリサーチ・コンサルティング業務を行うオフィスワンダリングマインド代表として活動。研究者から上場企業を対象に学術支援業務を行う。研究知のシェアリングサービスA-Co-Laboにてパートナー研究者としても活動中。
日本最大級の脳科学ブログ「人間とはなにか? 脳科学 心理学 たまに哲学」では、脳科学に関する情報を広く提供している。

【主な活動場所】 X(旧Twitter)はこちら

このライターの記事一覧

 

【参考文献】

Bruneau, E., Jacoby, N., Kteily, N., & Saxe, R. (2018). Denying humanity: The distinct neural correlates of blatant dehumanization. Journal of Experimental Psychology: General, 147(7), 1078–1093.
https://doi.org/10.1037/xge0000417

Fischer, A., Halperin, E., Canetti, D., & Jasini, A. (2018). Why we hate. Emotion Review, 10(4), 309-320.
https://doi.org/10.1177/1754073917751229

Simi, P., Blee, K., DeMichele, M., & Windisch, S. (2017). Addicted to hate: Identity residual among former White supremacists. American Sociological Review, 82(6), 1167–1187.
https://doi.org/10.1177/0003122417728719

Tao, H., Guo, S., Ge, T., Kendrick, K. M., Xue, Z., Liu, Z., & Feng, J. (2013). Depression uncouples brain hate circuit. Molecular Psychiatry, 18(1), 101–111.
https://doi.org/10.1038/mp.2011.127

Zeki, S., & Romaya, J. P. (2008). Neural correlates of hate. PloS one, 3(10), e3556.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0003556

Zhu, L. (2022) Analysis of the Hatred Mood Related to Social Psychological and Evolutionary Factors.

アリストテレス著、戸塚七郎訳(1992).弁論術(アリストテレス).岩波文庫