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人間は心優しい生き物である。困っていた人がいたら手を差し伸べ、我が身を捨てても仲間を守る愛すべき生き物である。しかし同時に残虐な生き物である。仲間を脅かすものに対しては容赦せず、いくらでも残酷になりうる恐ろしい生き物である。特に戦争では数万人単位で殺人が行われ、20世紀ではおよそ1億人が戦争が原因で死亡している。今回の記事では戦争に関わる心理学的知見と、それに関連する脳科学的メカニズムについて考えてみたい。
CONTENTS
人間がなぜ戦争を行うかについてはいくつかの心理学的な仮説がある。これについていくつか紹介しよう。
これは戦争が起こる理由は男性が好戦的だからだという仮説である。ある2つのグループが限られた資源を巡って争っている時には、男性がリスクを取って攻撃行動をするほうがメリットが大きい。なぜなら男性が死んだとしても、それで争いで勝つことができれば、残った女性と男性で子孫を増やすことが出来るからだ。しかし女性には攻撃行動に出るメリットはない。なぜなら女性が戦争で死んでしまえば、争いで勝っても子孫を増やせないからだ。それゆえ男性は好戦的で女性は回避的になるのではないかと考えられている(Van Vugt ら, 2009年)。
戦争ではしばしば「浄化」のメタファーが使われる。行動免疫系仮説とは、よそ者に対する排斥・攻撃行動には「きれい好き」が関係しているという仮説である。私達の祖先は感染症状を避けるために、様々な心理的特質を獲得してきた。例えば排泄物や腐敗物など感染リスクが高いものを生理的に拒否するようなものがそれに当たる。行動免疫仮説では、他所者を排斥・攻撃する心理の裏には、感染症状を避けようとする本能的な傾向が関係しているのではないかと論じられる(Landryら, 2022年)。なぜなら古来、病原菌を運んでくるのは、常によそ者ものだったからだ。パンデミック時のアジア人差別や県外越境者への攻撃行動を思い出すと、これも行動免疫系によるものだったのかなと思うがどうなのだろう。
戦争ではしばしば相手を人間として見なさなくなる。これには高度な知性が関係しているというのが亜種人類仮説である。相手を亜種人類と見なすためには、概念能力(文明人、未開人、アジア人などのラベリング能力)、本質論的思考能力(文明人には理性があるが、未開人には理性がない、など)、階層的思考(文明人が一番偉く、その下に未開人、動物が続く、など)が必要である。これらの高度な認知能力があって、始めて敵を亜種人類として捉えることが出来る。私達の脳は人間を殺すことを躊躇うように設計されているが、相手を亜種人類として捉えることで、その躊躇いが消すことができる(Smith, 2011年)。これを裏付けるように、他のエスニックグループを人間未満と捉える傾向が強いものは、より排斥傾向が強いことが報告されている(Kteilyら, 2015年)。ちなみに以下の図がその心理的傾向を調べるために使われるものになる。
(Kteilyら, 2015年 Figure 1)
戦争ではしばしば「正しい」こととして暴力行動が行われる。オーストラリアの社会神経心理学者、ラントス博士は、その論文の中で「正しい」暴力が行われる心理的メカニズムを示している(LantosとMolenberghs, 2021年)
(LantosとMolenberghs, 2021年 Fig. 1を参考に筆者作成)
「正しい」暴力は、相手に対する心理的な態度が変化することで起こる。具体的には、相手を攻撃することに対する躊躇いや共感が低下する。
その前段階として、道徳的逸脱、非人間化、シャーデンフロイデが起こる。道徳的逸脱とは、道徳的なタガが外れて、ズルをすることや嘘をつくことが気にならなくなることである。非人間化とは、相手を人間としてみなさなくなることであり、シャーデンフロイデは、相手の不幸に対して喜ぶ心理のことだ。これらの心理的変化があって、最後に「正しい」暴力行動が引き起こされると考えられている。では、これらの心理的変化に脳はどのように関わっているのだろうか。
道徳的逸脱とは、正しいことをするために道徳から外れた行いをすることである。具体的には、他人を傷つけたり、話を誇張したり、盗んだりすることをさすが、パンデミックや戦争では道徳的逸脱が起こりやすくなることが報告されている(LantosとMolenberghs, 2021年)。ある研究では、集団同士で争っている時には、個人同士で争っている時と比べて、自己意識に関わる脳領域(内側前頭前野)の活動が低下し、道徳的逸脱が起こりやすくなることが報告されている。このことから戦争で起こる道徳的逸脱行為には、自己意識の低下が関係しているのではないかと論じられている(Cikaraら, 2013年 )。
(Cikara et al., 2013, FIGURE 2 )
(Cikara et al., 2013, FIGURE 2 )
戦争では、しばしば人を人と思わなくなる行為が起こるが、これは非人間化と呼ばれている。相手を見ている時には自己意識に関わる脳領域(内側前頭前野)の活動が高まる。この脳活動は、相手を我が身に移し替えて、その気持を察する心の働きを反映している。しかしホームレスや薬物中毒者のような人を見る時には、この脳領域の活動が低下し、あたかも物品を見ているときの脳活動が引き起こされることが報告されている(HarrisとFiske, 2006年)。
他人の不幸は蜜の味という言葉もあるが、シャーデンフロイデとは他人の不幸を喜ぶ心の働きである。サッカーチームのサポーターを対象にしたある研究では、ライバルチームのサポーターが苦しんでいるときの脳活動を調べてみると、喜びに関わる脳領域(側坐核)の活動が増加し、共感に関わる脳領域(島皮質)の活動が低下していることが示されている(Hein ら, 2010年)。またこの傾向は排他的な人ほど強いことが報告されている。このことから排他的な性格のものは、部外者の苦しみを喜びと感じやすいのではないかと論じられている(Heinら, 2010年)。
戦争では破壊や殺人が正しいこととして行われるが、この時、罪や罰を感じる脳領域の活動が低下することが報告されている。ある研究では民間人を射撃するときと敵を射撃するときの脳活動を比較しているが、敵を射撃する時には、外側前頭眼窩野と呼ばれる脳領域の活動が低下していることが示されている。
前頭眼窩野は価値判断に関わる脳領域である。前頭眼窩野の内側部はポジティブな価値(報酬;お金や成功、賞賛など)で活動が高まるが、外側部はネガティブな価値(罰:損失や失敗、非難など)で活動が高まる。敵を射撃している時には外側部の活動が低下したことから、戦争での攻撃行動では、罪や罰に対する感覚が低下するのではないかと論じられている(Lantos & Molenberghs, 2021)
(Fettesら, 2017年 figure 1を参考に筆者作成)
このように、戦争では、道徳的逸脱、非人間化、シャーデンフロイデなどが起こり、共感性が低下することで暴力行動が引き起こされる。では、これを抑えるにはどのような方法があるのだろうか。ある研究では、対立グループが自分をどのように見ているかを理解することで、対立グループにより共感を寄せることができるようになることが示されている。
グループ同士が対立する時にはお互いに疑心暗鬼な状態になる。つまり対立グループは自分たちのことを人間として見ていないのではないかという気持ちが高まってしまう。スタンフォード大学の社会心理学者、ランドリー博士は、米国の熱心な民主党員と共和党員を対象に、対立グループが実際どれくらい自分たちを人間としてみなしているかを正確に伝えることで、この疑心暗鬼が解けるかを調査している。結果として、自分たちが思っている以上に、対立グループは自分たちのことを人間としてみなしていることが分かることで、対立グループに対する非人間化傾向が軽減することが示されている(Landryら, 2022年)。また別の実験では、ウクライナ戦争勃発時に、アメリカ人にロシア兵の人間性を示したメディアを示したところ、ロシア人に対する非人間化が抑制されたことも報告している(Landry ら, 2023年)。このことからメディアの介入によって戦争における非人間化を抑えることが出来るのではないかと論じられている。
では、ここまでの内容をまとめてみよう。
戦争で見られるような残虐行為はチンパンジー同士の争いにおいても見られるという。チンパンジーと人間が分岐したのは450万年前と言われているが、案外私達の脳の中にはその頃のメカニズムが残っているのかもしれない。中東のことわざに「愚かさは楽しみのために使え」というものがある。おそらく私達人間は愚かであることから逃げられない。逃げられないのであれば、せめてそれを自覚して、楽しみのためだけに使いたいと思うのだが、どうだろう。
Fettes, P., Schulze, L., & Downar, J. (2017). Cortico-striatal-thalamic loop circuits of the orbitofrontal cortex: promising therapeutic targets in psychiatric illness. Frontiers in systems neuroscience, 11, 25. https://psycnet.apa.org/doi/10.3389/fnsys.2017.00025
Kteily, N., Bruneau, E., Waytz, A., & Cotterill, S. (2015). The ascent of man: Theoretical and empirical evidence for blatant dehumanization. Journal of personality and social psychology, 109(5), 901–931. https://doi.org/10.1037/pspp0000048
Landry, A., Fincher, K., Barr, N., Brosowsky, N., Protzko, J., Ariely, D., & Seli, P. (2022). Harnessing Dehumanization Theory, Modern Media, and an Intervention Tournament to Reduce Support for Retributive War Crimes. Modern Media, and an Intervention Tournament to Reduce Support for Retributive War Crimes. http://dx.doi.org/10.2139/ssrn.4482478
Landry, A. P., Ihm, E., & Schooler, J. W. (2022). Filthy Animals: Integrating the Behavioral Immune System and Disgust into a Model of Prophylactic Dehumanization. Evolutionary psychological science, 8(2), 120–133. https://doi.org/10.1007/s40806-021-00296-8
Landry, A. P., Schooler, J. W., Willer, R., & Seli, P. (2023). Reducing explicit blatant dehumanization by correcting exaggerated meta-perceptions. Social Psychological and Personality Science, 14(4), 407-418. https://doi.org/10.1177/1948550622109914
Lantos, D., & Molenberghs, P. (2021). The neuroscience of intergroup threat and violence. Neuroscience and biobehavioral reviews, 131, 77–87. https://doi.org/10.1016/j.neubiorev.2021.09.025
Smith, D. L. (2011). Less than human: Why we demean, enslave, and exterminate others. St. Martin's Press.
Van Vugt, M., & Park, J. H. (2009). Guns, germs, and sex: How evolution shaped our intergroup psychology. Social and Personality Psychology Compass, 3(6), 927–938. https://doi.org/10.1111/j.1751-9004.2009.00221.x