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生物分類の世界はとても深い。分類学が世間的に注目されるのは新種記載した時くらいであるが、分類学者は標本や文献の調査に日夜地道に励んでいる。なんせ時代が経つにつれ標本も文献も延々と増えていく。時には何百年分もの情報を整理しなければならず、なかなか研究中に心が折れることも多い。
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分類学の命題は生物1つ1つに学名を付けることである。これだけを聞けば簡単そうに思えるかもしれないが、実際はかなり複雑な作業を要する。あるところで新種記載された生物が、また別のところでも新種記載されていて、後の研究者がそれらを両方とも調査すると、実はどちらも同じ生物だったということは結構ある(分類群にもよるが)。学名は1つの種につき1つしか付けられないため、どちらの学名にするかを選ばなければならない(被った学名それぞれをシノニムという)。学名には「先取権の原理」というものがあり、同種に複数の学名が付けられていた場合は、基本的により古い学名を採用しなければならない。要するに、先にその生物を発見して学名を付けた人を称えましょうというシステムだ(もっと簡単に言えば早い者勝ち)。
しかし、単純に早い者勝ちかと問われればそうではなく、動物の場合は「国際動物命名規約」に則って学名を付けていなければ、先に命名していても後の研究者の名付けた学名がその種の学名として有効になる。生物に学名を付けることは分類学者にとっての偉業であるため、誰がその偉業を成し遂げたのかということを日夜調べているのである。
私の博士論文の大きなテーマは、当時、遺伝的・形態的にマンボウMola mola (Linnaeus, 1758)とは別種であることはわかっていたが、学名があやふやだったウシマンボウMola sp. A(「マンボウ属のA種」の意)の学名を特定することであった。長期にわたる研究の末、私はウシマンボウの学名はMola alexandrini (Ranzani, 1839)であると結論付けてSawai et al. (2018)として論文を出版することができた。学名の後ろのRanzaniは命名者で、1839は命名年である。ウシマンボウは新種ではなかったが、マンボウとは別種ということを明確に示すことができて良かったと感じている。私的には徹底的に調べたつもりだったので、ウシマンボウの学名に異議を唱えられることはそうそうないだろうと考えていた。
しかし、2022年10月、早くも私が再記載したウシマンボウの学名に異議を唱える論文が出版された。それがBritz (2022)である。Britzは著名な魚類の分類・形態学者で、私もよく論文を読んでいた(会ったことは無い)。そんな著名な研究者から異議を唱えられて、動揺しない方がおかしい。私の研究は間違っていたのだろうか……情緒不安になりつつも、Britz (2022)の論文を読んでみた。
私の書いたSawai et al. (2018)は19ページであるのに対し、Britz (2022)はたった2ページだった。その2ページで私の研究が否定されるのはなかなかショッキングである。しかし、研究者たるものどんな批判も受け入れなければならない。そして、自分が間違っていたのならその認識を正さなければならない。しかし、もし反論するのであれば新たな論文を書いて異議を唱えなければならない! 今回は少し話が難しいので、先に論点をまとめた図をのせておこう。
Britz (2022)の指摘は、私がウシマンボウの「タイプ標本(その種の世界基準標本)」と同定した標本(ここでは分かりやすいように★推定タイプ★と表現する)の全長(大きさ)と形態の2点についてだった。
まずは全長の指摘から解説しよう。今から184年前、Ranzani (1839)は2種のマンボウ属を新種記載した。その時の2種の学名がOrthragoriscus alexandrini Ranzani, 1839(現在は属名が変わりMola alexandrini、私が言うウシマンボウ)と、Ozodura orsini Ranzani , 1839(現在はマンボウMola molaのシノニム、つまりマンボウと同種)だ。
Ranzani (1839)は2種のタイプ標本(※それぞれホロタイプの1個体しか調べていない)についてそれぞれ、Or. alexandriniの全長は「6. 2. 3.」、Oz. orsiniの全長は「1.6.3.」と記述した。その当時、その雑誌では常識だったので測定単位が省略されたのだと思われるが、当時のことを知らない私にはこの数字がメートル法なのか、ヤードポンド法なのか、その他の測定単位だったのかは分からなかった。私は論文出版当時、ヨーロッパ圏の各国で様々な計測単位が用いられていたことは調べていたが、どの国の測定単位も似たような値だろうと判断し、メジャーな測定単位であるイギリスの帝国単位「1 foot (= 30.48 cm)、1 inch (= 2.54 cm)、1 line (= 0.21 cm)」を採用した。イギリスの帝国単位で変換すると、Or. alexandriniの全長は188.6 cm(つまり6 feet 2 inches 3 lines)、Oz. orsiniの全長は46.4 cmとなる。
一方、Ranzani (1839)が記載した2種のタイプ標本が保管されているMuseo di Zoologia dell' Università di Bologna (イタリアのボローニャ大学の博物館)で、私が計測した★推定タイプ★の全長は190.0 cm、Oz. orsiniのタイプ標本の全長は59.7 cmであった。私が調査した当時、ボローニャ大学の博物館でOr. alexandriniのタイプ標本は行方不明とされていたのだが、私は階段の踊り場で、Ranzani (1839)に描かれてるOr. alexandriniのタイプ標本の図によく似た剥製(=★推定タイプ★)が展示されているのを再発見した。
私はRanzani (1839)のOr. alexandriniの全長と★推定タイプ★の全長が非常に近かったことから、★推定タイプ★が行方不明になっていたOr. alexandriniのタイプ標本とする根拠の一つとした(形態調査でこの2つの一致する点が多かったことが決め手だが、話が長くなるのでここでは省略する)。一方、Oz. orsiniの全長はRanzani (1839)の計測と私の計測で、同じ標本を計測したにも関わらず約13 cmもの違いがあったが、ボローニャ大学の博物館がタイプ標本として認識していたものを調べたし、これは計測の仕方が違うなど人為的な差異だろうと判断し、Sawai et al. (2018)では特に議論はしなかった。
ここでBritz (2022)は、Ranzani (1839)による2種のタイプ標本の計測値と私が調査した2標本の計測値において、ズレる個体がいることに疑問を抱いた。Britz (2022)はメートル法が導入される前(1861年以前)にイタリアで使われていた測定単位を調べた。当時イタリアで一般的に使われていた計測単位はpiede liprandoで、「piede (=51.377 cm)、oncia (= 4.281 cm) 、punto (= 0.357 cm)」をRanzani (1839)によるOr. alexandriniの全長「6. 2. 3.」に適用して変換すると、全長317.9 cmとなり、私が計測した★推定タイプ★の全長190.0 cmより遥かに大きくなると主張した。
また、当時ヨーロッパ各国では地域によって使われていた測定単位は大きく異なっていたといい、ボローニャ地方では「piede (=38 cm)、oncia (= 3.17 cm) 、punto (= 0.26 cm)」に相当する測定単位が使われていたと指摘した。ボローニャ地方の測定単位をOr. alexandriniの全長「6. 2. 3.」に適用して変換すると235.1 cmとなり、やはり私が計測した★推定タイプ★の全長190.0 cmより遥かに大きくなると主張した。どちらの古いイタリアの測定単位を使っても私が計測した★推定タイプ★の全長より遥かに大きくなるため、私が調査した★推定タイプ★はOr. alexandriniのホロタイプではない(つまりRanzani (1839)が記載した個体とは別個体)であると結論付けた。
一方、Oz. orsiniの全長に当時イタリアで一般的に使われていた計測単位を適用すると77.9 cmになるが、ボローニャ地方の測定単位を適用すると57.8 cmとなり、私が計測したOz. orsiniの全長(59.7 cm)に非常に近くなる。この約2 cmの差異は計測箇所のわずかな違いだろうとBritz (2022)は推察した。本当に奇妙なことに、ボローニャ地方の測定単位を使えば、私が計測した標本(★推定タイプ★)とRanzani (1839)が計測したOr. alexandriniの全長の差異は大きくなるが、Oz. orsiniの全長の差異は小さくなるのだ。当時ヨーロッパの地方によってここまで測定単位が大きく異なっていたことを私は知らなかったので、Britz (2022)の指摘は正しく反論できない。
また、Britz (2022)は、Ranzani (1839) にあるOr. alexandriniの図とSawai et al. (2018)に載せた★推定タイプ★の写真を比較して、形態が微妙に異なると指摘した。ここでRanzani (1839)の図と私が調査した★推定タイプ★の写真を見比べて欲しい。
めっちゃ似てない??? そりゃあ、184年も過ぎてれば経年劣化で鰭の先が欠けたりするだろうけど、全体的なフォルムそっくりじゃない???と私は思ったのだが、Britz (2022)はこの2つは別個体と主張した。まあ、分類学者は微妙な形態の違いを指摘することが仕事なので、そのことに関しては私も文句は言わない。
Britz (2022)は以下の4点の形態が異なると主張した:Ranzani (1839)の図の臀鰭は★推定タイプ★より短い、Ranzani (1839)の図の下顎は★推定タイプ★より強調されていない、Ranzani (1839)の図は★推定タイプ★より吻が突出している、Ranzani (1839)の図は★推定タイプ★と比べて口に対する眼の位置が異なる。これは確かにBritz (2022)の指摘通りである。しかし、逆を返すとそれ以外の大部分は似ていることを認めているとも取れる。記載された当時はまだ写真撮影技術もなかったようだが、実物を見て描いたにしてはかなり精巧に描かれていると私は思う。この微妙な形態の違いに関する指摘は個人的には納得できていない。
Britz (2022)はこの全長と微妙な形態の違いから、Ranzani (1839)の図と★推定タイプ★は別個体と考え、そうなるとOr. alexandriniのホロタイプは無いことになり、この学名はspecies inquirenda (未確定種)になると指摘した。そして、ウシマンボウMola sp. Aに割り当てる学名は、Or. alexandriniのシノニムになっていたがホロタイプが存在するMola ramsayi (Giglioli, 1883)であると提唱した。つまり、ウシマンボウの学名はMola ramsayi であるとBritz (2022)は提唱しているのだ。
Mola ramsayiのホロタイプは私も調査したことがあり、ウシマンボウの形態的特徴と一致したので、この学名がウシマンボウに有効であることは同意する。しかし、私はBritz (2022)の見解とは異なり、Or. alexandriniのホロタイプは★推定タイプ★であると確信している。ウシマンボウの学名はMola alexandriniとMola ramsayi、どちらが真にふさわしいのか……現在揺らいでいる状況だ。実は私はBritz (2022)の見解に反論する論文を現在書いている。私の説が正しいかBritz (2022)の説が正しいか、いざ論文上で真っ向勝負といこうじゃないか!
ウシマンボウ
ホロタイプ有無
食い違う
どちらの学名
真に適切か
Sawai, E., Yamanoue, Y., Nyegaard, M. & Sakai, Y. 2018. Redescription of the bump-head sunfish Mola alexandrini (Ranzani 1839), senior synonym of Mola ramsayi (Giglioli 1883), with designation of a neotype for Mola mola (Linnaeus 1758) (Tetraodontiformes: Molidae). Ichthyological Research, 65: 142-160.
Britz, R. 2022. Comments on the holotype of Orthragoriscus alexandrini, Ranzani 1839 (Teleostei: Molidae). Zootaxa, 5195: 391-392.