縦長の口をもつ珍魚クサビフグ

2022.10.21

 もし縦長で左右に開閉する口をもつ人間がいたとしたら、あなたはどう思うだろうか? 横長で上下に開閉する口をもつ人間に見慣れた私は畏怖するかもしれない。しかし、自然界は広く、縦長で左右に開閉する口をもつ生物達がいる。意識していないと意外に気付かないが、身近なところでは昆虫やエビカニ類が縦長で左右に開閉する口をもつ生物に該当する。しかし、魚類の中で縦長で左右に開閉する口をもつとされる種は私が知る限り、クサビフグしかいない。私も魚類全般に詳しい訳ではないので、もし他に縦長で左右に開閉する魚がいたら後学のためにご教授頂けると嬉しい。今回はそんな変わった縦長の口をもつ珍魚クサビフグについていろいろお話ししたい。

ワレワレハクサビフグダ

 縦長の口をもつ魚と聞いて、いまいちイメージが湧かない人がいるかもしれない。百聞は一見に如かず。まずは実物を見て頂こう。



 クサビフグの正面から見たアングルだ。この何とも言えないフェイス。私は宇宙人のグレイに似ていると感じたので、Suzuriで「ワレワレハクサビフグダTシャツ」を作って販売している。しかし、念のため宇宙人のグレイのイメージ画像をネット検索してみたところ、我々と同じ横長の口をしているようだ。クサビフグはむしろ「ムンクの叫び」の方が似ているかもしれない……。
 さて、実物を初めて見て驚いた方もいるだろう。どこがどうなっているのかわからない方のために、いくつか体の部位を追記した。


 注目して欲しいのは歯板の位置である。嘴とも呼ばれるこの歯板は上下に付いている。ということは、エサなどを噛み千切る場合、この歯板は左右に動くのではなく、上下に動くことが推察される。実はクサビフグは成長と共に唇にあたる口を覆う膜が著しく前方に突出するために、体の入り口にあたる口は縦長になってしまうのだが、口の奥にある真の口(歯板があるところ)は普通の魚と同じだ。ぬおおお、手前の口と奥の口、説明が難しい……。

謎の多いクサビフグ

 クサビフグは世界的にも神出鬼没でまだまだ謎が多い魚である。数百個体単位で大量に座礁することもあれば、1個体で釣れる時もある。日本近海にもいることはいるのだが、漁獲されることはめっっっったにない。それ故に、魚図鑑でも紹介されることの少ない珍しいお魚だ。生きている状態で観察されることはさらに少なく、15年マンボウ類を研究している私も動画以外では生きている姿を見たことがない。博物館などで保存されている標本では口が閉じているものがあることから、クサビフグの口は左右に開閉するものだと思われていた。しかし、近年、クサビフグを生きている状態で観察した研究者によると、「観察中、この縦長の口は一度も閉じなかった」という。クサビフグの標本を触ると分かって頂けるのだが、この口を覆う伸長した膜は結構がっしりしていて自力で閉じられそうもない。つまり、生きている時、縦長の口は閉じなくてずっと開きっぱなしである可能性があるのだ。これを考えると、クサビフグの保存標本の口が閉じていたのは、単に脱水されて膜が寄っていただけと思われる。本当に縦長の口は閉じないのかについては、生きている状態でのさらなる観察が必要であるが……もし、生きていた状態で口を左右に閉じることがあれば、それはそれで面白い。願わくば、どこかの水族館でクサビフグを飼ってくれはしないだろうか……。

実はマンボウ科、だけどフグ?

 ここまでクサビフグとしか名前を言っていないので、フグの仲間と思われた方も多いことだろう。クサビフグは広義ではフグの仲間で間違いない。しかし、より狭義で捉えると、マンボウの仲間になる。全身を見て頂こう。



 マンボウの仲間にしては体が細長い。写真の個体はまだ小さいので、成長すると、もっと体高も高くなるが、それでもマンボウの仲間にしてはスレンダーな感じだ。クサビフグはマンボウ科の中でも原始的な魚と考えられており、体サイズも1ⅿを超える個体は確認されていない。クサビフグがマンボウの仲間である証拠は、尾鰭(おびれ)が無く代わりに舵鰭(かじびれ)があることだ。毒性検査をした論文は見たことがないが、フグ毒を持っていたという話も聞いたことはない。クサビフグを食べた日本人もいるので、私も冷凍ものの生鮮個体をもらった時に、クサビフグの白身を一口レンジでチンして恐る恐る食べてみたことがある。マンボウというよりはThe白身魚という味だったことを覚えている。


 マンボウ科の仲間は現在5種が有効種として認められているが、マンボウ、ウシマンボウ、カクレマンボウ、ヤリマンボウと、クサビフグ以外は「マンボウ」という名が付く。では何故クサビフグだけ「クサビマンボウ」にならなかったのか? 気になった私はこれについて調べたことがある。クサビフグは1913年に東京帝国大学の田中茂穂教授らの研究チームによって和名が提唱された。英語の論文であるが、Kusabi-fuguと和名も書かれている。マンボウ科であることは示されているのに、何故この名前にしたのかについては記述されていない。命名者も既に亡くなっているため、田中博士が遺した論文や本からこの意図を読み取るしか他に方法がない。私が収集した文献からクサビフグの歴史を追跡してみた。


 1920年代はクサビフグのままであるが、1930年代に入ると田中博士はクサビマンボウと書いたり、クサビフグと書いたりしている。1940年代はクサビマンボウで統一されているが、1950年代はクサビフグに戻り、以降、研究者の間で標準和名という概念ができ、この魚の標準和名にはクサビフグが当てられたので、現在はこの名前で固定されることになった。この流れを見ると、命名者の田中博士はクサビフグと最初に命名したが、後からクサビマンボウに名前を変えようとしていたことが察せられる。クサビフグの命名理由も詳しく書かれたものは見付かっていないが、1930年代の本に「体は・・・全形楔形を呈している」という記述があることから、体型からこの名が付けられたものだと推察される。クサビフグはマンボウの仲間だということを、是非覚えてくれたら私としては嬉しい。

~今日の一首~

 クサビフグ
  縦長の口
   閉じないよ
    フグの名だけど
     マンボウ類や

参考文献

Jordan DS, Tanaka S, Snyder JO. 1913. A catalogue of the fishes of Japan. Journal of the College of Science, Imperial University of Tokyo, 33(1):1-497.

田中茂穂.1927.くさびふぐ.In: 日本動物図鑑.北隆館,p. 394.

田中茂穂.1934.奇魚珍魚.興学会出版部,東京,210pp.

田中茂穂.1940.九 河豚類.In: 魚.創元社,pp. 65-70.

田中茂穂・阿部宗明.1955.図説有用魚類千種.森北出版,294+12pp.

Nyegaard M, Loneragan N, Santos MB. 2017. Squid predation by slender sunfish Ranzania laevis (Molidae). Journal of Fish Biology, 90: 2480-2487.

 

【著者情報】澤井 悦郎

海とくらしの史料館の「特任マンボウ研究員」である牛マンボウ博士。この連載は、マンボウ類だけを研究し続けていつまで生きられるかを問うた男の、マンボウへの愛を綴る科学エッセイである。

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